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バンコク便り

第39回「時代の転換期? 2020年のタイはどうかしている 後編」

コロナの影響で国によってはひとりしか入国していないケースも

 日本もここのところ新型コロナウィルスの第2波なのか、国内新規感染者が激増していると聞いている。タイはしばらくの間、国内での新規感染者がいないので、様々な規制緩和が進んできている。しかし、実際に住んでいる中での感想は、タイ国内は日本以上に揺れ動いているということだ。それもあっていろいろありすぎて、中編からの記事更新が少々時間が経ってしまった。この間になにが起こっていたのか、簡単に書き進めたい。
 まず、タイは日本と違い、新型コロナウィルス対策がかなり強硬である点がより変化が大きくなる理由だ。タイは政府がイコール陸軍のようなもの。そのため、「権力」が強大である。簡単に言えば、いとも簡単に白を黒に変えることができる政府なのだ。これに関しては後述したい。
 そのため、政府がこうしろと言ったら、国民はそれに従う。タイは資本主義であるにもかかわらず、社会主義のベトナムにこのあたりは似ている。タイを「隠れた共産主義国」と呼ぶタイ人もいるくらいだ。タイ政府も国民の生活や経済活動はまず置いておいて、強硬策でコロナウィルスの押さえ込みに入ったのだ。
 前回、ベトナムからボク自身が危うく帰国できなくなりそうな話を書いた。そんなハノイ市内では外国人差別が著しかった。明らかに空いているのにもかかわらず、外国人という理由だけで「満席だから」と入店を断られる店が多数あった。
 タイはそこまではなかったものの、3月26日の非常事態宣言によって実質的に国全体がロックダウンの状態に入った。ご存知のようにタイは観光収入にも大きく頼る国なので、外国人観光客の入国がなくなると経済的に痛手を被る。それでもタイ政府は国境封鎖や航空機の飛来を禁じた。
 ちなみに、2020年1月から6月にかけての入国者数は、タイ・イミグレーション警察発表数値では下記になる(例年上位に入っている国だけを抽出)。非常事態宣言中も貨物関係は国境通過や航空機飛来は可能だった。そういった船員・乗組員関係を差し引いた人数だ。


国籍1月2月3月4月5月6月
中国1,040,005 166,222 60,815 61 10 
マレーシア 355,294 206,755 99,838 2,413 352 235 
ラオス 286,319 252,131 169,392 193 110 114 
韓国 204,802 51,756 8,691 45 
日本 159,411 137,145 26,933 22 50 94 



 1月はまだ騒動の前なので、むしろ前年同月比では増加している。この中では中国の2月の減り方が激しい。これは中国政府が海外への団体旅行を禁じた影響もある。5月には物流関係者を除くとたったひとりしか入国していない。毎月100万人超だったのに、である。


タイ国内の感染者数が減ったとはいえ・・・・・・

 強硬策に国民が従ったことで4月末にはタイ国内の新規感染者数が激減。今振り返ってみて一番厳しかったのは、アルコール販売もできない、飲食店や商業施設もすべて閉鎖、夜間も外出してはいけない、さらにはタイ人が最も大切にする休暇であるタイ旧正月「ソンクラーン」が中止になった4月だった。病気の蔓延が理由で旧正月そのものがなくなるというのは、おそらくタイ史上初めてのことだ。
 タイでも日本のように生活援助や休業補償などを要求する声は上がった。しかし、政府が打ち出した支援策は生活費として月5バーツを3ヶ月間援助するというものだった。ところが、これが抽選という「全員に出ないのかよ!」という日本なら暴動にもなりかねない対応だった。それに批判はあったものの、タイでは仕方がないとあきらめる人が多かった。ただ、銀行や様々な企業がローンや支払いを待ってくれたり、割引など、タイらしい優しい一面が民間企業に見られたことも救いだったかもしれない。
 5月6月7月は毎月規制が緩和され、飲食店だけでなく商業施設も再開し、さらにはバーなども営業再開している。このとき、タイ政府はクラスター発生を懸念し、すぐにその場にいた人を特定できるよう「タイチャナ(タイは勝つ)」というプラットフォームを用意した。
 このプラットフォームはウェブサイトを利用し入店・退店を確認するシステムで、店に入る前に入り口のQRコードから店のアカウントに入り、チェックインボタンを押す。出たらアウトボタンを押すのだが、これが非常に面倒だった。タイ政府のシステム構築と実施は迅速で見習うべきだが、詰めが甘いというか、運用する側のことを考えていない。結局この「タイチャナ」は1週間もしないうちに形骸化して、今や誰も使っていないと言っていい。商業施設でも入り口の検温は続いており、係員もチェックインを促すものの、ただ言うだけで見ていやしない。
 ぱっと見た感じはバンコクは現在、通常どおりに戻った印象だ。ところが、バンコクで見慣れた光景のひとつでもある「あるもの」が足りない。外国人だ。日本など特定の国に対しては労働許可証がある、タイ人配偶者がいるなどの要件を満たせばタイに入国できるようになっているが、まず在日タイ大使館の許可を取らなければならないなど、いまだタイへの道は遠い。日本以外ではそもそもフライトがない国も少なくない。
 そのため、外国人が在住者だけに限られているので、市街地には外国人がほとんどいない状態になっている。王宮やワット・ポーなどの外国人定番のスポットも今はタイ人しかいない状況だ。これは飲食店の明暗を分ける事態にもなっていて、昨今和食ブームで乱立した日本料理店も、元々日本人をターゲットにしていた店は再開しても閑古鳥が鳴き、タイ人向けの居酒屋は満席という状態になっている。
 だから規制緩和が始まっているとは言っても、飲食店や商業施設にとっては地獄はこれからで、営業するランニングコストがかかるのに客が来ないという事態が続くことになり、おそらく年内に倒産するところがまだまだたくさん出てくると見られる。


検温とマスク着用が義務づけられている
商業施設に入るには検温が必須であることと、マスク着用が義務づけられている。

幽霊屋敷のようだ
商業施設再開直後は店子がオープンしていないので幽霊屋敷のようだった。


そんなことよりもタイの歴史が動こうとしている

 先述のとおり、タイへのフライトがない国も少なくない。逆に言えば、非常事態宣言以降に国に帰れなくなっている外国人も多いということになる。一説ではその数は25万人とも言われる。タイ政府は非常事態宣言時に無条件で4月末までビザが自動延長される措置を採った。その後も復帰のめどが立たず延長が行われ、7月21日に9月26日まで滞在できるようタイ政府が再度自動延長を認めた。これによって25万人とも言われる外国人が不法滞在にならなくて済み、その外国人たちにとってタイ政府の決定は感謝以外のなにものでもなくなった。
 ところが、である。一方ではタイ政府に不満の声を上げている人たちが増えている。これまでタイでは政府を批判することは投獄の恐れがあるなど、危険なことだった。表立って政府を批判すれば、なんらかしらの刑法が適用されて捕まることもある。だからこそ、タイは隠れた共産主義国などと批判するタイ人も出てくるのだ。
 しかし数年前からタイ人たちは「景気悪化は政府の責任」と言い始め、現政権の吸引力が落ち始めてきた。2006年から続くタイの政情不安ではタクシン派と保守派に分かれてのやり合いだったものの着地点がなくなり泥沼化していた。そこに現れたのがどちら側でもないという新しい軍部だった。だからこそ、2014年の現状最後のクーデターでは国民から歓迎された。
 ところが、選挙をすると言いながらもなかなかしない。やっと2019年に実施したと思ったら、新たな政党が登場して若者たちに期待されたものの、最終的に今年2月下旬、選挙違反で解党命令が出た。これに対し、ついに若者たちが激怒した。
 今年に入って何度かタイ国内の大学などでデモ活動が行われ、7月に入ってから特に頻繁に反政府デモ集会が開催されてたくさんの若者が参加している。8月に入っても勢いは収まらず、週末のデモの規模は拡大し逮捕者も出た。
 これらのデモでは国王に関しての意見が掲げられている。たとえば今年2月3月に行われた大学構内の小さなデモにおいて、若者が「ドイツの空気はいいですか?」といったプラカードが掲げられた。これは現国王がタイ国内にほとんどおらず、ドイツで暮らしていることの皮肉だ。
 この皮肉は、タイをよく知る人からすると目をこすって何度でも読み返してしまう内容だ。ボクも非常に強い驚きを持ってこの報道写真を目にした。なぜなら、タイには王室を批判するとかなり厳しい刑罰を受けることになるからだ。王室不敬罪という刑法があり、タイ国内では王室を批判することは許されない。
 特に2006年の政情不安が始まって以降、両陣営はこの刑法を悪用して互いの陣営をつぶし合ってきた。言った言わないの証拠も適当なまま告発し、うまくいけば敵陣を刑務所に送れるので、この十数年間は毎年、たくさんの人が不敬罪で逮捕されている。
 そんな中で現政権を批判し、現政権と親密だと言われる国王を、タイの若者たちがタイ国内で批判するようになった。先日の7月18日のデモでは若者たちが王室不敬罪の廃止を求める声が特に強く上がった。8月のデモでも同様に不敬罪廃止の声が上がっている。
 実は今年6月に現国王が王室不敬罪を一時停止するように政府に命じているという事実もある。確かに「ドイツの空気はいいですか」のプラカードの時点で国王に動きはなかったが、その後国王は政府に対して不敬罪の停止を命じた。これによって若者たちも堂々と声を上げられる状況になったとも言える。
 とはいえ、タイ国内でこれまでの習慣や文化とは大きく異なる若者たちの政府と王室への批判行動に、さすがのプラユット首相も「行きすぎている」と発言したと報道されている。タイ政府のデモ隊への感情も高ぶっているのか、先述のとおり、8月のデモでは逮捕者も出ている。
 政府への反発の火種は去年の選挙からくすぶり始めていたのでコロナとは全然関係がなく、コロナ禍が起ころうが起こるまいが避けては通れなくなっていたタイの若者たちの意思表示だ。一説では、非常事態宣言が8月末まで延長になったのは、政府側もコロナに関係なく、こういった政治批判への対策を容易に打ち出せるようにしているという話もある。
 タイ政府は今、コロナと反政府活動対策に一寸も間違った対応ができない危機的状況にある。昔ならマスコミをコントロールしつつ、反発する国民を武力で黙らせることは可能だった。しかし、今はネットの発達でそれはできない。
 現状不敬罪は停止中であって廃止ではないので、若者たちも振り上げた拳を引っ込めることももうできないだろう。もしかしたら、タイは再び大きな転換期を迎えているのかもしれない。偶然、コロナ禍であり、非常事態宣言が出ている真っ最中だが、これが双方にとってどう影響するのか。2020年後半もタイは大きく揺れ動きそうだ。


今はタイ人しかいないアユタヤの象乗り場
普段は外国人しかいなかったアユタヤの象乗り場も、今はタイ人しかいない。

規制緩和で渋滞も見られる
規制緩和でタイ国内のタイ人による観光は復活していて、場所によっては渋滞も見られる。

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  1. 2020/08/21(金) 10:52:36|
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第38回「時代の転換期? 2020年のタイはどうかしている 中編」

まさか新型コロナウィルスがここまでの問題になるとは

 タイトルの通り、2020年のタイは「激動」である。前編のように凶悪事件が起こっているわけだが、今度はその話題がかき消されるほどの問題が起こっている。これはタイだけではなく、世界中で猛威を振るう新型コロナウィルス「COVID-19」のことだ。
 タイでも中国旧正月である春節にこのウィルスの話題はあった。ただ、これまでもSARSなど中国の方からやって来た病気の蔓延はあったものの、経済を脅かすほどのものではなかったのはご存知の通りだ。今年の春節は1月25日だったが、華人の多いタイには中国からたくさんの中国人が訪れていたし、タイ人もそれに対してあまり警戒はしていなかった。
 実際、タイの入国管理局の統計を見ると、2020年1月期はいつもよりも少し多い、100万人超の中国人がタイを訪れている。タイでも2月上旬ごろから感染者がみつかっていたものの多くは中国人だったし、2月中旬ごろから新規感染者がほとんどみつからなかったことから、街中でマスクをする人が減り始めていた。体感的にボク自身も「収束し始めたか」と思っていたほどだ。
 ところが、この油断が結局、今の騒動に繋がってしまった。
 必ずしもそれだけではないのだが、この油断によりムエタイが開催され、そこで100人を超える集団感染が起こってしまったのだ。ムエタイは国技とはいえ、ギャンブルとして認められている。そのため、油断した人々が大量に押し寄せ、賭け事に熱中し、あっという間に感染が広がったという。
 その後、数十人単位で増え、3月20日を過ぎてから毎日100人を超える新規感染者が出て、同26日の時点でタイ国内の感染者がついに1000人を突破してしまった。
 政府は非常事態宣言を出し、3月26日から4月末までタイは外国人の入国を基本的に禁止し、周辺の陸路国境すべてを閉鎖している。実質的に鎖国のような状態で、あの春節当日、誰がここまでの問題になると予想していただろうか。正直ボク自身、3月15日前後でさえ、こうなるとは思いもしていなかった。


危うくタイに帰れなくなるところだった

 実はどうしても外せない取材と打ち合わせで、ボクは3月15日から20日までベトナムの首都ハノイにいた。あちらはタイほどの感染者がおらず、2月14日以降新規感染者がなかった。ところが、3月2日に英国からの航空機内で集団感染が起こってしまい、あっという間に事態が急変した。
 ボクがベトナムに向かう数日前から入国の際は健康診断が行われ、ボクがタイの空港で搭乗手続きをしているころ、欧州27ヶ国を経由した人の入国が急に禁止になった。さらに、滞在中に日本人へのビザ免除やビザ発給停止が実施された。ボクはハノイで拘束される恐怖に怯えることになる。
 さらに、帰国当日、ベトナム発の格安航空会社における国際線がすべて欠航になった。4月下旬までの措置だという。ボクはタイに戻れなくなってしまった。しかも、タイはタイで、22日からすべての外国人に新型ウィルスの感染に関する陰性証明書を見せなければならないという。その証明書は日本では発行されていないし、ベトナムでも出るかわからない。実質的な日本パスポートの入国規制だ。
 つまり、帰るならなんとしても20日中の飛行機に乗らないといけない。ボクはいろいろ当たってみて、タイ航空がその日の夜に飛ぶことがわかり、チケットを買い直して飛んだ。到着しても入国できるかどうかがわからなかったので、飛行機内ではまったく眠ることもできなかった。
 とはいえ、その日は規制前だったので、入国自体はすんなりといった。しかし、結果的にこの日に滑り込んで本当によかった。というのは、先のように現在は非常事態宣言下なので外国人はほぼ入国禁止の状態だし、23日からはバンコク都を始めとした数県で飲食店も強制的に休業になったからだ。
 2006年のタークシン元首相を追い出したクーデターから見て、タイで何度も非常事態宣言を体験してきた。しかし、病気が理由の非常事態宣言はタイの近代史でも前代未聞だ。政治騒乱の中での非常事態宣言では飲食店の営業に制限はなかったので、極端な話、夜間外出禁止令が出ている期間でもバーなどで飲むことはできた。しかし、今回はそれも許されない。
 一体タイはどうなってしまうのだろうかと、今、タイ人だけでなく在住外国人もみな、怯えながら暮らしているところである。


タイ人らしい一面を垣間見ることもできた

 とは言っても、すべてが恐々とするようなことばかりではない。外出禁止令が出ているわけでもないし、今はネット環境も全土的に充実していて、日常生活は窮屈ではあるものの、なんとか営める状態ではある。もちろん、これは人によって大きく違う。飲食店や映画館、その他小売業や様々な接客を中心にした業種は軒並み営業停止状態なので、失業者も出てしまっているからだ。タイではまだ聞かないが、廃業に追い込まれる日本人経営店も時間の問題だろう(ベトナムのホーチミンではすでに何軒も出ているという)。
 こういった失業者のうち地方出身者は田舎に帰ることを決断し、帰省ラッシュが始まっている。これによって地方にもウィルスがまき散らされるのではないかという懸念も出ており、タイ政府の施策は正しかったのかという批判もあるにはある。だから、この状況は人によって受け止め方は違うだろう。
 タイ政府はスーパーの食料品売り場、飲食店のテイクアウト、銀行、薬局などの営業は許可している。そのため、食糧難に陥ることはないので安心だ。2011年に大洪水が起こったこともあるが、あのときは物流が止まったために品薄が続いたが、今回はその心配はない。当時、ボクのところは息子が生まれたばかりなので、ミルクを作るための水の確保に苦労した。遠くのスーパーまで行ってみつけて、大量に買い込んだものだ。
 ところが、その直後に物流が再開して、今度はその水の消費に苦労するハメになった。この経験があるので、買いものもままならなくなってもちゃんと先行きを読み取って判断しなければならないと思い、やや憂鬱になった。しかし、今回はあのときとは違う。
 飲食店で食べることはできないが、持ち帰りができるので、むしろバンコク都心の人なんかは問題はないのではないか。ボクのような郊外住みだとちょっと店がそもそも少ないので、選択肢が限定される。都心の日本人経営の居酒屋なんかも存続をかけて、昼間に弁当などのデリバリーサービスを始めている。
 また、タイでは去年一昨年くらいからスマートフォンで使えるデリバリー用アプリが人気になっている。これが今空前の需要で、配達員との接触は避けられないが、必要最低限の手間とリスクでいろいろな店の食べものを入手できると大盛況になっている。アプリの登録店にアクセスして注文すれば、最寄りにいる配達員が受け取って、バイクで運んでくれるのだ。和食、中華、洋食、さらには屋台も登録しているので、なんでも注文できる。
 スーパーに足を運んでも特に買い占めなどの騒動はなかった。飲食店強制休業の宣言、非常事態宣言の前日は混乱があったようだが、物流が止まるわけでもないし、タイ政府も安心するように呼びかけ、先日日本で起こったトイレットペーパー買い占めなどのようなトラブルは起こっていない。このあたり、東南アジアは政府の力が強い様子も窺えるし、こんなときだからこそ助け合うというタイ人らしい気質も見ることができた。
 さらにおもしろい現象もスーパーで目撃した。
 買い占めはないとはいえ、卵はもう手に入らない状態だし、豚肉も鶏肉に比べて少ない。また、保存が利く食料品を買う傾向があるのか、一部、やや品薄なものもあるにはある。たとえば、インスタント麺や缶詰だ。
 おもしろいのは、人気のブランドから売れるのは当然としても、不人気のブランドには手がつけられないことだ。こんな時世なのだから、「とにかくなんでも」というわけではなく、食べたくないブランドは買わない。こんなところで妙なグルメセンスを出すタイ人になんだか「余裕」すら感じられる。
 この事態がいつまで続くのか想像もできないが、タイ政府は非常事態宣言をとりあえず4月末に区切る一方、タイ航空は日本へのフライトを10月ごろまで運休することを決めている。
 タイ政府は飲食店などの休業に対して補償を提示していない。しかし、電力会社や銀行では支払いを先延ばしにする対応をしてくれるなど、助け合いの精神を見せてもくれている。現政府の人気が低下している中、政府も事態収束後に批判が集まる可能性は高い。
 また、デリバリー用アプリの台頭でタイの飲食店やサービスのあり方も変わるかもしれない。そういう意味で、この新型コロナウィルスの騒動もタイの時代転換のきっかけになりそうである。

屋台の出し方も変わっていくかもしれない
こういった屋台の出し方もウィルス感染の原因になりそうで、今後変わっていくかもしれない。

春節のときマスクをしている人はほんの一握りだった
春節の元旦。このときはマスクをしているタイ人はほんの一握りだった。

不人気商品だけ売れずに残っている麺の棚
スーパーのインスタント麺の棚。不人気商品だけ売れずに残っている。

生鮮食品の品揃えは平常時とそれほど変わっていない
卵がないくらいで、ほかの生鮮食品は平常時と品揃えは変わっていない。

特に混雑していなかった
非常事態宣言の前日。スーパーも特に混雑していなかった。

宝くじは普通に売られていた
小売りはすべてだめなはずだが、宝くじは普通に売られていた。

  1. 2020/03/28(土) 11:59:15|
  2. タイ人
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第37回「時代の転換期? 2020年のタイはどうかしている 前編」

タイ全土を震撼させた金行強盗

 2020年に入り、もう2ヶ月が終わろうとしている(執筆時)。タイ在住者――外国人やタイ人問わず、みな、もう1年くらい経ったのではないかと思うような日々を過ごしているのではないだろうか。タイはこの2ヶ月でいろいろなことが起こった。それも、身の危険を感じるような出来事ばかりだ。
 たとえば、1月9日のことだ。バンコクから北に約100キロの辺りにあるロッブリー県の商業施設内に金行強盗が入った。銀行ではなく、金のアクセサリーなどを販売する店「金行」である。タイを始め、東南アジアでは昔の中国移民の習慣から、金のネックレスや延べ棒などを資産として保有することが多い。近年は価格高騰や、自国通貨の安全性が高まったことでだいぶ廃れたが、今でも街中には無数の金行がある。そして、年に何度か金行を襲う犯罪者が現れる。本来なら、この事件もあまり大きく取り上げられるものではなかったかもしれない。
 しかし、この事件は翌日にはタイ全土を震え上がらせた。というのは、押し入ったたったひとりの強盗の犯行の一部始終が商業施設や金行の防犯カメラに映されていた。そこには、金行にいた客や従業員に向かい、ためらいもなく発砲する姿が残っていたのだ。普通、と言ったらおかしいが、どの国でも強盗は銃を突きつけて金品を奪っていくのが相場ではないか。この犯人はマスクをして顔が見えないものの、冷静に、なんら躊躇することなく銃を撃っていた。
 結果、流れ弾で被弾した2歳児を含む3人が死亡し、4人がケガをしている。金行の被害額は210万円相当だという。犯人はまんまとその場を逃げ、タイ社会では犯人が捕まらないのではないかという論調になった。なぜなら、そのためらいもなく発砲している様子、発砲時の姿勢、所持していた拳銃の先端が長いためサプレッサー(銃声などを抑制する器具)が取りつけられている様子が防犯カメラに映っていたことで、誰もがプロの殺し屋、あるいは軍人だと思った。タイはいまだ軍政でもある。タイ警察は陸軍の下に位置するので、犯人逮捕はないのだと誰もが思った。
 ところが、1月23日、事態は急変した。犯人が捕まったのだ。タイは治安が日本よりずっと悪い。そのため、国や自治体のほか、民間人も多くが防犯カメラを店や自宅に取りつける。これにより、タイ警察は映像を繋ぎ合わせて逃走先を突き止めることが可能だ。
 そして、この犯人逮捕もまた衝撃的なニュースになった。大方の予想に反し、犯人はなんと小学校の教師だったのだ。銃器マニアであり、かつ見栄っ張りな性格のようで、ネットでは外車に乗り回し、派手な生活を自慢する画像を投稿していた。それによって借金苦に陥り、犯行に及んだとされる。

金地金
資産保全や運用に使われる、タイの金行で売られていた金地金。

金行の老舗
バンコクの中華街にある金行の老舗。


金行強盗をかき消す事件が東北部で起きた

 後編で触れるが、その後新型コロナウィルスの件でだいぶこの事件の報道が減ってしまった中、なにもかもを吹き飛ばすほどの大事件が発生した。いくら銃社会のタイとはいえ、前代未聞の、アメリカの猟奇事件にも匹敵するような大きな凶行だった。
 2月8日のことだ。タイ東北部の玄関口であるナコンラチャシマー県(通称コラート)の中心地で昼過ぎ、陸軍兵士が上官と義母を射殺した。タイの公務員は給料が著しく低く、多くが副業をしている。この兵士は副業でも上官の部下になり、不動産売買を手伝っていたが、報酬を払ってもらえず、射殺したようである。言い方は悪いが、これくらいの事件ならよくある話でもある。
 ところが、この兵士の行動が常軌を逸していた。まず、上官射殺後に基地へと引き返し、武器庫からマシンガンや弾薬などを盗み、軍用車に乗って逃走した。このとき警護の兵士も射殺されている。そして、向かった先はコラート中心地にある若者のファッションスポットである「ターミナル21コラート」だった。2月8日は土曜日である。たくさんの人で賑わう夕方に兵士は現れたのだ。
 この兵士は到着するや、次々と近くにいる人々を手当たり次第に撃っていった。中には、倒れた人の救護に当たっていた男性もいて、救護しているところをライフルで撃たれている(この男性は重傷で病院に担ぎ込まれたと報道されている)。建物内にはたくさんの買いもの客がいて、銃声を聞いて逃げのびた人もいれば、逃げ遅れて建物に隠れた。隠れた場所で明暗が分かれ、射殺された人もいれば、なんとか明け方に逃げられた人もいる。
 相手が兵士であり、爆発物もあるということから、バンコクからヘリで急行した警察の特殊部隊も慎重にならざるを得ない。そのため、1フロアずつ順番に安全を確保し、結局犯人を射殺したのは翌日の朝であった。最終的に犯人を含めて死者30人、負傷者58人という大事件になった。
 実はこの日、ボクの妻がコラートにいた。妻はこの県の出身者である。数日前に祖母が倒れ、その際に骨折してしまった。タイの平均寿命を遙かに超える長寿で、高齢故に手術に耐えられないと医者に言われ、さてどうするかと親族会議に向かっていたのだ。昼過ぎに妻から電話があり、「コラートが大変なことになっている」と言われた。市内ではすでに話題になっていたらしい。しかし、その段階ではまだネットでさえ、兵士が上官を射殺して逃亡、くらいにしかニュースになっていなかった。
 そうして時間が経つにつれ、前代未聞の事件だということがわかってきて、テレビ、ネット、SNSのすべてにおいて、タイ全土が注目する事件になった。
 わずか2ヶ月で、2回もタイ全土を震わせる事件が起きたわけだ。どうしちゃったんだろうか、タイ。そう思ってしまうのだ。そして、今現在、日本でも大問題になっている新型コロナウィルスである。タイはいろいろとある国だが、こんなにもハイペースで事件が起こるのはなかなか珍しいとボクは思う。(後編に続く)

ターミナル21コラート
兵士が襲った「ターミナル21コラート」の外観。

ヤーモー像
コラート市民の憩いの場「ヤーモー像」。事件後、ここで被害者の追悼集会も行われている。

ターミナル21コラートの館内
ターミナル21コラートの館内。

コラートの市街地
平和なコラートの市街地をターミナル21の展望台から見下ろす。

  1. 2020/03/02(月) 11:24:25|
  2. タイ人
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第36回「タイの子どもの日は」

各地でイベントが開催される

 タイにも「こどもの日」がある。毎年1月の第2土曜日で、2020年は1月11日だった。うろ覚えだが、日本の子どもの日と言えば男児の日であり、かぶとを飾ったり菖蒲湯に入ったりするのではなかっただろうか。
 タイの子どもの日はもっと現実的で、性別に関係なく子どもたちに大サービスをする日というイメージがある。たとえば、自宅のマンションでは管理会社が敷地内の公園に風船型の巨大な滑り台を出してくれる。この滑り台は角度が45度くらいあって、たぶん上から見るとほぼ直角に感じるのではないだろうか。中には怖くて滑ることのできない子もいる。
 日本では考えられないかもしれないが、軍事施設でも子どもの日のイベントがあり、兵器などを間近で見られるように開放されたり、空軍基地では航空ショーが開催されることもある。おもしろいのは、この季節は段々暑くなっていく時期なので、あまり興味のない親たちは日陰で休んでしまう。では、空軍基地の滑走路近辺で日陰とはどこにあるのか。それは、展示している戦闘機の影だ。晴天の航空ショーでは飛行機の影の形に人が座り込んでいた、なんか子どものころに大きな石をどかしたら、その下にダンゴムシがたくさんいた光景を思い出してしまう。
 飲食店では子ども料金が割引になったり、無料になったりなどもある。商業施設や遊戯施設でもイベントが開催されるので、子どもにとっては正月が終わって第2の正月が来た、といった印象だろうか。
 ちなみに、タイには3つの正月がある。世界共通の1月1日、それから中華系タイ人の春節(中国の旧正月)、そして、かつてタイの1月1日だった、今の4月13日から3日間のソンクラーンだ。一般的なタイ人にはソンクラーンが最も重要で、1月1日はどちらかというと、クリスマスやハロウィンのような、異教徒の祝い事ではあるが一緒に楽しんでいるというイベント感覚な一面もある。だから、タイの年末年始は短く、2019年は土曜日だったので12月28日から休みだったものの、1月2日には学校や役所などは始業していた。
 そう考えると、タイはイベントが毎年前半に盛りだくさんだ。正月、子どもの日、バレンタイン、ホワイトデーはないが3月から5月まで学校は夏休み、そしてソンクラーン。その皮切りのイベントのひとつが子どもの日というわけだ。

マンションの滑り台に立つ息子
自宅マンションの滑り台に立つ息子。3m以上の高さで、かつ角度45度。よくこの高さに立てるなと思ってしまう。


子どもを大切にする社会

 日本では電車やバスなどで赤ん坊が泣くと怒鳴りつける人がいるそうだ。これはタイでは考えられない。ボク自身も、子どもは泣くものだと思うし、なにより自分だってその時代を通過してきて、おそらく周囲に迷惑をかけてきたと思っている。それを棚に上げてよくも怒ることができるものだ。
 タイに限らず東南アジアではどの国もみな子どもを大切にする。家族親戚の子どもだけでなく、周囲にいる知らない子どもに対しても優しい。ボクもできる限りとは思うものの、やはり自分の子ども以外を特別にかわいがることに抵抗があるし、難しい。妻を見ていると、近所の子どもなどにも優しく、平等に接するので大したものだなと思う。でも、これがタイではスタンダード中のスタンダードである。
 電車などでも混雑していれば小さな子どもやお年寄り、妊婦にはすぐさま席を譲る。実際には譲る精神もものすごく高いのがタイ人のいいところでもあるが、一方で譲られる側もそれをすんなりと受け入れる姿勢もある。日本だと「ワタシは年寄りじゃない!」と譲られた行為に怒る老人がいるが、そんな経験をすれば譲るにも萎縮して、勇気がいるようになってしまう。タイはそういった煩わしい感情はない。
 しかし、子どもを大切にする気持ちがいい方向に出ればいいが、実際には悪い部分もなくはない。そのひとつに教師への「気持ち」がある。気持ちと言っても「想い」とかではなく、もっとはっきり言えば賄賂に近いものだ。
 さすがに現金を渡すことはそうないが、節目節目には贈り物をする。お中元やお歳暮のようなイメージで、主に菓子などを贈る。普通、日本で教師にそんなことはしないし、仮にされても受け取らないだろう。タイでは公立私立に関係なく、教師にそういったものを渡すことが多い。
 ボクの妻も上の子が幼稚園に入ったばかりのころに教師になにを渡すか頭を悩ませていたものだ。成績を嵩増ししてもらおうというわけではなく、しっかりと面倒を見てもらえなくなるというのだ。
 さすがにボクには抵抗があるので、それで差別されるならその学校はそこまでのものだったと思うしかないと説得し、贈り物を渡したことはない。もちろん、タイ人の家庭も贈り物をする世帯ばかりではない。また、教師側も受け取るには受け取るが、それで特別扱いをすることはないので、単に親の暴走といったところか。
 うちの子どもの学校では毎年クリスマスの時期にお遊戯会兼学芸会があるのだが、息子はかつて「木」の役をもらってきた。サンタクロースやら王子様やらいろいろな役があるのに「木」である。昨年はなんと掃除人の役柄だった。ほかにもいろいろあるのに。一見賄賂がないための配役にも見えるが、同じようにしている娘は主役になったりなどもあるので、単におとなしい息子が後回しになっているだけだと思う。
 しかし、子どもを大切にするがあまりの行動とはいえ、教師に賄賂的なものを贈るという発想がタイらしい。子どもたちにはそんな抜け道を考えるような大人にはなってほしくないと願うばかりだ。

まさかの掃除人役
わざわざ1000バーツかけて衣装を揃えたら、まさかの掃除人役とは。1000バーツはレート的には3500円だが、体感は1万円くらい。

  1. 2020/01/27(月) 16:43:50|
  2. タイ人
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第35回「時を経て繋がり続けるタイと日本」

タイ国鉄が日本と繋がる年6回の行事

 2017年に修好130周年を迎えたタイと日本の関係は、基本的には良好と言える。一般的にタイ人は親日家が多いとされ、2013年の短期ビザ緩和以前から今に至るまで、タイ人の間で日本旅行ブームが続く。和食人気も高く、バンコクの和食店軒数は世界的に見てもかなり多い方なのではないだろうか。
 一方、日本人にもタイ人気は相変わらずで、観光客数は2018年は初めて160万人を超えている。しかし、多くの日本人がやってくるものの、「日本」の注目度は下がりつつあるのも現実だ。製造業に関してはたとえば車や家電は韓国企業のシェアが増えつつある。今でも日本のメーカーは「良質な製品」という認識は変わらないが、デザインや品質、性能と価格水準を考えると、韓国や中国メーカーの方がコストパフォーマンスに優れていると見られてしまうようだ。
 このように日本が注目されにくくなる中、ある場所では痛烈にタイと日本の深くて長い関係性を感じることができる。それは、タイ国有鉄道、すなわちタイ国鉄の中央駅であるバンコク駅だ。
 バンコク駅というと、タイ通の間でもピンと来ない人もいるかもしれない。一般的にはフアランポーン駅と呼ばれる。正式名称はバンコク駅(タイ語ではクルンテープ駅)で、日本での東京駅に相当するような駅だ。ちなみにこの駅は数年後になくなってしまう。タイ国鉄は週末市のチャトチャック・ウィークエンドマーケットそばのバンスー駅を中央駅にしようと、今駅舎を建設中だからだ。フアランポーンは廃駅になるか、博物館になるとされる。
 このバンコク駅で年に6回ほどイベントが開催され、特別列車が走る。以前は4回だったが、国王が代替わりしたので6回になった。3月26日「国鉄の日(創業記念日)」、6月3日「王妃誕生日」、7月28日「国王誕生日」、8月12日「母の日(シリキット太后誕生日)」、10月23日「チュラーロンコーン大王記念日」、12月5日「父の日(ラーマ9世王誕生日)」がこれに当たる。
 このイベントで走るのは蒸気機関車だ。近年はずっと同じで、パシフィック型と呼ばれるアメリカ蒸気機関車の設計に準じたもののようだが、日本製だ。日本の蒸気機関車がタイの地を走るのだ。

バンコク駅駅舎と日本の蒸気機関車
バンコク駅駅舎と日本の蒸気機関車。この構図はあと何年かしか見られない。


戦争と繋がりの深いタイ国鉄の蒸気機関車

 タイ国鉄は万年赤字と言われるほどで、1890年に創業して100年以上も経つが(国有鉄道として今の体制になるのは1951年)、線路の敷設総距離はあまり変わっていない。単線部分が多く、運行に時間がかかることと、そもそも線路網が全土的に見て一部分のため、タイ人の中には列車を見たことがない人もいるくらいだ。
 そんなタイ国鉄は近代の歴史に大きく関わってきた。タイに面している国々はすべて西欧列強国の支配下に入った歴史があるが、タイは東南アジアで唯一植民地化の経験がないのはご存じの通りだ。その理由のひとつに鉄道の存在があったという。タイ政府はイギリスやフランスから自国を守る切り札に鉄道を出し、両国が東南アジア内の物資輸送の際にタイの鉄道を利用して国内を通過することを許し、独立を保ったとされる。
 そして、第2次世界大戦では日本と同盟国になり、8月15日に連合側に寝返って敗戦国になることを免れた。元々タイの鉄道はイギリスやドイツからの技術で、機関車もドイツ製やイギリス製が多かった。しかし、戦時中に日本軍が持ち込んだ日本製の蒸気機関車が走り、戦後さらに100両もタイ政府が日本から蒸気機関車を購入し、終戦直後は日本製機関車の割合が増えた。
 この戦後に納入されたうちのひとつが、バンコク駅を出るパシフィック型である。実はこの戦後の機関車納入もまたタイと日本の関係を深く感じさせるものだ。
 そもそもタイが連合側に寝返ることをイギリスなどはよく思っていなかったらしい。しかしアメリカが後押しをし、タイは日本との同盟をなかったことにできた。それは、アメリカが終戦直後に日本が食糧難に陥ることを予期していたからだ。戦後の日本では外米が流通したが、この外米がすなわちタイ米のことになる。タイの東北地方で作られた米を、バンコクの港に輸送し、それを日本に運ぶ。このとき、東北からバンコクへの輸送に蒸気機関車が必須で、戦後連合側が接収した日本の蒸気機関車の一部と、日本で作った機関車が使われたのだ。
 もちろん戦後のタイに蒸気機関車を100両、さらに貨車などを数百両買う金はない。そこで、パシフィックを含むこれら日本製機関車や貨車はタイ米と物々交換された。
 そうしてタイで日本の蒸気機関車が活躍したが、やがてディーゼル機関車が主流になり、廃れていく。しかし、タイ国鉄はできる限りその日本の機関車を整備し、現在、動態保存(動く状態で整備されているもの)は5両ほどあるのだ。

イベント前日、職員総出で機関車を磨いていた
母の日のイベントのために前日は職員総出で機関車を磨いていた。


記念日以外に蒸気機関車を見る方法

 静態保存(展示用に保存されている状態)の日本製蒸気機関車は各地にある国鉄駅などに展示されている。そして、動態保存の機関車はボクの知る限りだが、1949年製のパシフィック型が2両、1932年製(?)のC56型が2両、1950年製と見られるミカド型が1両ある。
 ミカドはほとんど走らないようだ。C56は近年は年に1回、映画「戦場にかける橋」で知られるカンチャナブリ県のクウェー川鉄橋で行われるイベントで走行する。毎年11月下旬に1週間かけて開催されるカンチャナブリ県の祭りで、毎夜、鉄橋をバックにカンチャナブリの歴史を再現する水上ステージのショーがあり、クライマックスに機関車が鉄橋上を走る。
 タイで日本の蒸気機関車が見られるということ自体、感激である。鉄道ファンに話を聞くと、どうやら日本製の蒸気機関車が日本国外で走るのは唯一タイだけなのだとか。なおさらそのレアなイベントに喜ばしく思うわけだが、なにより、機関車との距離感がいい。
 というのは、日本国内の蒸気機関車は安全面の理由などから、イベントでさえそんなに近づくことはできないだろう。しかし、タイの場合、イベントの出発前などに国鉄職員に「ちょっといい?」と軽く声をかければ、いとも簡単に運転台に入ることができる。ここまで近くに、しかも可動状態で熱の籠もった運転席に入れるなんて、そう滅多にできる経験ではない。
 とはいえ、旅行などではなかなかタイミングを合わせるのは難しい。在住者だってそうそう見られるイベントではない。バンコク駅を8時10分ごろに出発するので(8時ジャストは国歌斉唱のため、そのあとに出る)、運転台を見たりするには朝7時くらいには駅にいないといけない。土日にかかっていればいいが、平日だとなお難しい。
 しかし、タイミングとは関係なしに、いつでも動態保存されている蒸気機関車を見るチャンスはある。それは機関区に行くことだ。機関区とはいわゆる整備工場だ。
 観光客に人気のエメラルド寺院やワットポー。この寺院からチャオプラヤー河を挟んで国立シリラート病院があるが、この病院の横にトンブリー駅が佇む。そこに隣接されるようにトンブリー機関区がある。主に現役のディーゼル機関車や客車などを整備しているのだが、ここに5両の機関車が置いてあるのだ。
 本来は機関区は一般人の立ち入りは禁止だ。だが、気のいい職員たちに再び「ちょっと入っていい?」と聞けば、大体OKが出る。ただ、地面には油が大量にこぼれているので滑りやすいし、動いている機関車にぶつかっても責任は取ってもらえない。自己責任でならOKというわけだ。
 そして、ここでも運転台やあらゆる部分を自由に触っていいという、日本では金を払ってもなかなかできないことができてしまう。
 最近はボクの息子が蒸気機関車に夢中なので何回も行っているが、一度も咎められたことはない。ほかの機関区はどんどん立ち入り禁止になっているようなので、これもいつまで続くかわからない。また、日本でも蒸気機関車の部品は入手困難になりつつあるという。なにしろ昔の技術なので、もう部品を造れる技術者さえいなくなりつつある。タイも現状やっとの思いで動態保存している状態なので、こういったイベントや機関区での見学も結局時間の問題だ。
 タイで見る日本の技術。ほかの国では味わえない、楽しい旅行プランなのではないかなとボクは思う。なにしろ、バンコク駅も蒸気機関車も残りわずかな時間しか見ることができないからだ。

トンブリー機関区のC56型の運転台
トンブリー機関区のC56型の運転台。7/15生まれの息子は車番715に運命を感じている様子。

イベントに向かう直前のC56
2019年のカンチャナブリ県イベントに向かう直前のC56。動態保存は713と715番で、間の714はバンコク駅8番ホーム奥に静態保存されている。

パシフィック型蒸気機関車
年に6回、バンコク駅を出発するパシフィック型蒸気機関車。

出発前にも関わらず運転台に入らせてくれる
このように出発前にも関わらず、運転台に入らせてくれる。

遠慮なく機関車に乗っかって写真を撮っている
タイ人たちも遠慮なく機関車に乗っかって写真を撮っている。

出発するパシフィック型
出発するパシフィック型。行き先はアユタヤやナコンパトム、チャチェンサオなどイベントによって違う。

パシフィックの運転台に
 トンブリ機関区でパシフィックの運転台に。今は石炭ではなく重油で動くようになっているため、計器がオリジナルとは違う。

動態保存とは言いにくい状態になっているミカド
ほとんど動態保存とは言いにくい状態になっているミカド。

  1. 2019/12/27(金) 19:16:48|
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プロフィール

bangkokdayori

Author:bangkokdayori
●プロフィール
高田胤臣(たかだ たねおみ)
タイ在住ライター
報徳堂ボランティア隊(サラブリ―県)

1977年東京生まれ
1998年初訪タイ。その後旅行で何度かタイを訪れ、2000年から1年間、ユニオン・ランゲージスクールに語学留学
2002年9月からバンコク在住
2004年11月から華僑報徳善堂にボランティア隊員として参加
2011年2月に彩図社より「バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー共著)、2012年8月に同社より「東南アジア 裏の歩き方」を出版。このほか、裏の歩き方シリーズを多数担当。
2018年6月、イーストプレスより「バンコクアソビ」を出版
2019年9月、晶文社より「亜細亜熱帯怪談」を出版
このほか、「ハーバービジネスオンライン」など多数のニュースサイトや旅行関係サイト、日本国内で発行される雑誌や単行本に多数寄稿している

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