バンコク便り

第23回「タイ最大の護符刺青の祭りで警護をする報徳堂」

ボランティアは民間の行事にも駆り出される

 報徳堂のボランティア隊員は日夜管轄地域で救急救命活動をするだけでなく、本部の行事やチーム関係者の故郷のイベント、民間に依頼されたときの警護なども担当する。むしろ、本部隊員よりも活動範囲は広いかもしれない。これもまた普段の活動と同じで、一切の謝礼はなく、ボランティアたちのポケットマネーで行動する。
 今回報徳堂のボランティアが駆り出されたのは、護符刺青「サックヤン」に関係したタイ最大の祭りだった。ただ、僕の所属するチームではなく、取材で行った先で見かけたのだが。
 場所はナコンパトム県内、バンコクから西に60キロ程度の距離にあるワット・バーンプラ(バーンプラ寺院)だった。ここはタイで最も有名なタイ仏教の護符刺青の寺だ。サックヤンはチェンマイに王朝があったころからあると言われ、現代タイ人が首からさげる仏像型のお守り「プラクルアン」を作る技術がなかったころ、兵士や警察官が僧侶に経文などを身体に彫ってもらったことが始まりだとされる。
 ワット・バーンプラ自体も今でこそサックヤンで有名な寺だが、建立は1677年ごろ、アユタヤ王朝時代だと言われる。タイの寺院はほとんどが誰がなんの目的で建てたかが明確にわかっている。しかし、この寺院はその資料が一切ないため、いつ、誰が、なぜ作ったのかがわかっていない。
 このサックヤンの祭りは正式には「ワイクルー・ルアンポープン」という。ワイクルーは師への感謝を表する儀式のことで、必ずしも僧侶に対するものではない。学校の教師に対するワイクルーという行事もあるし、ムエタイの試合前に選手が踊る舞もワイクルーだ。
ルアンポープンとは1975年ごろからこの寺院で住職をしていたプラウドムプラチャーナート師のことだ。2002年6月に亡くなったが、亡骸は本堂に安置され、今でもたくさんの信者が日々訪れる。ワイクルー・ルアンポープンはルアンポープンを信奉する人々が集まって、祈るための儀式だ。
そんな信者がここでサックヤンを彫り、ワイクルーがいつの間にかサックヤンに関係した奇祭として見られるようになった。参列するタイ人にとってはあくまでもワイクルーとして神聖な儀式であるのだが、部外者からは変な祭りにしか見えない。それはなぜなのか。本儀式が始まるまでの一部の参列者の奇行が目立つからだ。

信者を受け止めるボランティアたち
突進してきた信者を受け止める報徳堂のボランティアたち。

コツがあるようだ
耳を引っ張ると抜けて行くようだが、コツがあるようでもある。

キャッチしているが、その先からも何人もの人が
信者をキャッチしているが、その先からも何人もの人が走ってくる。


サックヤンのワイクルーが奇祭にしか見えないわけとは

 今年のワイクルーは3月11日に行われた。毎年3月の第1か第2土曜日に開催され、当日の朝9時に本儀式として祈りが捧げられ、解散となる。メディア発表では今年は2万人以上が集まったようだ。
 熱烈な信者は前夜から来て、身体に新たにサックヤンを彫ったり、場所取りをして過ごす。食事は別の信者が無料で配布するので、金もかからない。一部の食事は売られるが、9割の飲食屋台は無料だ。ちなみにワイクルーのオリジナルTシャツが毎年作られ、それは300バーツ(約900円)で販売される。去年、僕はこれで詐欺に遭ってしまった。シャツの代金を渡したのに、その男が逃げてしまったのだ。顔つきは悪そうで街中の店なら絶対に金を渡さなかった。まさか寺院の敷地内で人を騙すなんて思いもしなかった。タイに関わってもう20年くらいになるのに、こんなこともあるんだなと、逆に怒りもないのだけれど。
 場所取りをして会場に座り込んだ数千人の一部の人は、夜が明けてくると神が降臨し、暴れ出す。これが奇祭に見えてしまう原因になる。
 降りてくるのはハヌマーン(サルのような容姿の神)やルーシー(老師)、トラなどだ。突然唸り、震え、立ち上がったかと思うとそれら神々の特徴的な動きを見せながら会場正面のルアンポープン師の像に突進していく。奇声を上げ、座っている人や歩いている人に構わず全速力で突っ込んでくるので危険極まりない。転倒や衝突は頻繁に起こる。
 通常時はひとりふたりが暴れ出すくらいなのだが、タイミングが合ってしまうと数十人から100人以上が一斉に立ち上がり、走り出す。近年のハリウッド映画で見られる、全速力で走ってくるゾンビのような恐さがある。撮影をしていて僕自身も何回も体当たりを喰らった。かすり傷くらいなら毎度のことだ。
 ただ、不思議なのは数千人いても全員に神が降りるわけではないことだ。小一時間見ているとわかってくるのは、降りてくるのはいつも決まった人になる。ほとんどが男性で、毎年女性が暴れることは滅多になかった。今年はなぜか女性で暴れ出した人が見える範囲でも6人はいて、多いと感じた。
入りやすいのか、そうでないのか。あるいは信じやすいのか、そうでないのか。端から見ると悪ふざけにも見えるのだが、信者にとっては神聖な儀式であるし、実際に降臨された人はその瞬間のことを憶えていない。彼らにとっては本当に神に身体を乗っ取られていて、気がついたらルアンポープン像の前にいたと証言する。

体格のいい人が走ってくると危ない
ハヌマーンはスピードがあり、体格のいい人が走ってくると危ない。

軍の人がキャッチしてくれて助かった
こちらに向かってダイブする信者。軍の人がキャッチしてくれて助かった。

今年は女性も少なくなかった
今年のワイクルーは女性で入ってしまう人も少なくなかった。


報徳堂ボランティアが50人以上駆り出されているわけ

 神が降臨し、ルアンポープン師の像へと突進した彼らはその後どうなるのか。ハヌマーンは特に活発な動きをするので、全速力で像に向かっていく。老師はゆっくりだし、トラは這っていくので驚異ではない。危ないのはハヌマーンだ。
 彼らは像まで突進していくが、像の前には軍の兵士や報徳堂のボランティアたちが待ち構え、像に体当たりしないようにガードしている。信者が錯乱状態で来たら、みんなで受け止め、興奮状態を沈めてあげる役割を担う。
 神が入りトランス状態になった彼らはどういうわけか、持ち上げられ踏んばりが利かない状態にされたあとに耳を引っ張られると抜けていく。すると、我に返り、ちょっと恥ずかしげな顔をする者もいれば、興奮が冷めやらず荒い息を吐きながら元いた場所に戻っていく者もいる。
 これが数人程度が走ってくる分には問題ないが、数十人以上が一斉に向かってくると大変だ。しかし、受け止める側は随分と慣れたもので、あっという間に神を抜き、信者をリリースしていく。興奮状態が中途半端だったり、途中で転倒するとその周囲にいる落ち着いた者が耳を引っ張ってあげたりするのだが、一般の信者たちだと不思議となかなか抜けていかない。違いはよくわからないが、報徳堂のボランティアたちは手慣れたものだった。
 ボランティアたちは地元の人なのかと思ったが、聞いてみればミンブリなどのバンコクから来ている人たちだった。いくつかの報徳堂チームが派遣されてきたようだったが、暑い中、紺色の制服で大変だったろう。水や食事は無料とはいえ、普段の救護活動よりきつかったのではないか。寺院からバンコクまでの道は半分が田舎の一本道になる。行きこそ1時間程度で来られるが、バンコクへの帰り道は2万人が一斉に帰るので、3時間はかかってしまう。ご苦労様と労ってあげたい。でも、おもしろそうなので、来年は僕も受け止める側で参加してみたいと思っている。

オリジナルシャツで参加するボランティアもいた
あまりの暑さもあってか、正式なボランティアの紺色制服ではなく、オリジナルシャツで参加するボランティアもいた。

周りも最早見向きもしない
たくさんの人に入り込むので、周りも最早見向きもしない。

この小屋の下にルアンポープン像がある
このサーラー(小屋)の下にルアンポープン像がある。

老師が入った場合は速度が遅い

老師が入った場合は速度が遅いので問題ない。

スポンサーサイト
  1. 2017/03/13(月) 16:17:51|
  2. 報徳堂
  3. | コメント:0

第22回「なぜか被害者が立ち去った事故現場」

サラブリの田舎道で起こった追突事故

 サラブリ県で取材があって1泊ほど滞在したので、以前紹介したサラブリ県の報徳堂ボランティア隊員、湧上和彦さんのチームに同行させてもらった。
 ある金曜の夜10時15分を過ぎたころ、レッカー移動が必要なほどの追突事故が起こったという通報があり、急いで現場に向かった。さすが県全体をカバーする本部だけあり、僕自身が所属するバンコク都内のチームとは移動距離が違った。街灯もほとんどない真っ暗な道を時速120km超で突っ走っておよそ20分。小川を越える橋の斜面でその事故は起こっていた。
 ただ、到着した我々も全員が頭の中に「?」が飛び交う。というのは、追突事故であるはずなのに、なぜか車は1台しかなかったのだ。運転者は地元の40代男性で、本人も認めているが、明らかに飲酒運転だった。いずれにせよタイは日本と違い酒気帯び運転がない。ある程度の数値からが飲酒運転扱いで、それ以下の場合はちゃんと保険も出る。現場で計測していないので酩酊レベルは不明だが、この場合、一目で飲酒とわかるくらいだったので保険適用は難しいかもしれない。
 タイに限らず、交通事故というのはひとつの原因で起こることはない。複数の要因が重なって発生する。簡単にいえば走っているだけでは事故にはならず、そこに不注意が重なるなど、いくつか理由が重なったときに発生するのだ。そのため、一見では理解しがたいケースもあるのはよくあることだが、今回の事故は経過を聞いてもなお意味がわからないものだった。

見通しは決して悪くない場所であった。
現場はこのように真っ暗ではあるが、見通しは決して悪くない場所であった。

車は通らないほどの田舎だ。
バンコクと同様に一応交通整理にボランティアが立つが、車は通らないほどの田舎だ。

レッカー車で移動させる。
自走不可能な車は報徳堂のボランティアが用意したレッカー車で移動させる。



相手にもなにか重大な問題があった可能性

 加害運転手の話によると、橋を越えたところで前を走る白のピックアップトラック後部に思いっきり突っ込んでしまった。被害運転手が降りてきたが、加害者を見て「明日以降に連絡をするから」といい、加害運転手のIDカード、車の登録証などを持って立ち去ったのだという。加害者は被害者側の連絡先は聞いておらず、連絡の術はなかった。
 現場の状況を見ると被害者側にまったく非はない。それにも関わらず、その場での示談、あるいは警察を呼んで現場検証すらしないで立ち去った。タイでは人身事故でなければ保険会社を通すなどで示談にすることが多い。警察が現場検証を行うと交通渋滞を引き起こしたなど規律を乱した迷惑料といった名目で400バーツ程度の罰金が科せられることもある。しかし、それも加害者が負担するものであり、被害者にはなんら立ち去る理由がないのだ。
 こんなケースは僕自身も見たことがないし、サラブリの本部隊員ですら初めてだということで理解できない状態にあった。当の被害者はいないので話を聞くにも聞けない。そこで推測されるのが以下の理由だ。

①飲酒運転を考慮し、後日改めて話し合うことで保険を使えるようにする
②あえて後日にすることで請求額をつり上げる魂胆がある
③被害者側にも警察に会いたくない理由があり、ほとぼりがさめてから話し合う

 まず①の場合、仮に加害者の保険が使えなかったとしても被害者の保険会社が修理費用を立て替え、後日加害者に請求することができる。だから、①の理由で立ち去った可能性もあるが、それは極めて無知な行動になる。
 ②は、例えば病院に行ってむち打ちになったと訴え、診断書などを手に入れて請求額をつり上げるといった可能性だ。加害者は書類を渡しただけでなんら条件設定をしないままに立ち去られている。こういったカタギとは言い難い理由があったかもしれない。
 ③は麻薬などの犯罪に関わっているといった理由などで被害者やその同乗者たちは警察に会いたくなかったのかもしれない。かといって逃げられても困るので、書類を確保して立ち去った。あるいは②も同時進行で行う可能性もある。
 こういった事件・事故の結果は我々レスキューでは把握できないことが多い。あくまでも現場での対応が任務で、その後を追うことは滅多にない。この事故でも加害者はレスキュー隊員らの勧めで警察に連絡し、事故を報告。その後、加害者も警察署へと連行されていった。だから、すべては推測でしかない。
 僕が思うには、可能性としては③が一番高いのではないか。書類を持って立ち去るという手際のよさ。そんな人物が①のような無知なことはしないだろうし、②もわざわざ日を改めて請求額をつり上げるくらいならその場でふっかけてくるのではないか。そうなると③のような、相手側にも犯罪の臭いが感じられなくもない。
 結局、不可解なのはいつも人間の心だ。レスキューに関わっているとよくそう感じるのである。

立ち尽くしてしまったボランティアたち。
加害運転手の話を聞きながら、思わず立ち尽くしてしまったボランティアたち。

かなりの勢いで衝突している。
追突車両を横から見ると、かなりの勢いで衝突している。

  1. 2017/01/05(木) 17:17:06|
  2. 報徳堂
  3. | コメント:0

第21回「国王崩御から10日 バンコクの様子」

国王がいかに敬愛されていたかを改めて感じる

 今回はレスキューとは若干関係ない内容になるが、タイの歴史が大きく変わったときの話を書いておきたい。
 今月13日の夕方、プーミポンアドゥンヤデート国王陛下が崩御したという非公式の情報がタイ人の間を一斉に駆け巡った。数日前にかなり容態が悪いことがニュースになり、近隣の市民が入院されていたシリラート病院に駆けつけるなど、その時点でこれまでの国王陛下の容態のニュースとは物々しさが違っていた。そして、13日の夕方に公式発表の準備をする国家公務員から漏れたと思われるメールがSNSを中心に出回り、同日19時に政府からの公式発表があった。
 日本の皇室とは違って、タイでは王室というよりもプーミポンアドゥンヤデート国王自身に人気がある。そのため、タイ国内ではおおっぴらに国王崩御によりタイがどうなるかという議論はされていなかったものの、国内外で王位継承権者たちによる争いがあるのではないか、また混乱によって大不況になるのではないか、という予測が密かにあった。実際、数年前から内戦を恐れて国外に移住したタイ人もわずかながらにいたほどだ。
 ところが、継承権第1位の皇太子が喪に服したのちに即位することが崩御した夜には発表され、タイ政府も公務員は向こう1年間は喪に服すこと、一般市民に関しては喪に服すことを強制はせず、向こう1ヶ月間だけ派手なイベントをしないように呼びかけたに過ぎない。日本人にとってはまだそれほど古い記憶ではない昭和天皇崩御した数日間と比べて驚くほどに差があった。むしろタイの場合はもっと暗い雰囲気になり、店もすべて閉まってしまうなどがあるのではないかと多くが思っていた。しかし、翌14日においてもすべてがいつも通りだった。企業や飲食店、小売店なども休業したのはほんの一部のみで、バンコク中心はいつも通り渋滞が発生していたし、タクシーも走り、ピザの配達人が働いていた。物乞いも道に座っていたし、夜のバーもほとんどが静かにだが開いていた。

至って普通の日々が営まれている
国王が崩御しても、渋滞は発生するし、ピザの配達も行われている。至って普通の日々が営まれている。


 ただ、街中は黒い服を着たタイ人で溢れていた。喪に服すことを強制されてはいなかったが、敬愛する国王陛下の崩御で悲しみを表して黒、あるいは白い服を着ていた。正直、僕自身は「案外みんな黒い服を持っているものだな」と思った。黒い服は喪服というわけではなく、あくまで黒ければTシャツでもなんでもいいのだが、さすがにそれくらいは持っている人は少なくなかった。また、商魂たくましいというか、市場や繁華街の服飾店ではちゃっかり黒い服が売られてもいた。さすがに商売人で喪に服すために安くするというわけでもなく、買えない人のために街中には染色を安価で引き受ける業者もはびこっていて、古いシャツを黒に染めてくれている。
 14日は昼過ぎから市内を歩いて見た。いつも通りの風景だったが、高架電車のスカイトレイン車内のテレビや街中の大型のビジョンは広告放送を取り止めていた。ATMを始め、多くの企業のホームページも白黒になっていた。ウェブサイト上の色合いはすぐにいじれるにしても、商業施設などで白黒の大きな横断幕が飾られていたのには、穿った見方をすれば事前に用意していたのではないかと思ってしまう。噂レベルではあるが、政府もこのところ計画していたイベントはすべて2パターンあったという。急遽崩御された場合に備えていたとは言われている。
 崩御からおよそ丸1日が経過した14日の16時半ごろ、伊勢丹が入居するセントラル・ワールド前の大型ビジョンではシリラート病院から王宮へと出発する国王の棺の車列が映し出された。多くの人が足を止めて見上げる。映像内では沿道にたくさんの人が集まっていた。昼過ぎの時点でセンセーブ運河の旅客ボートは定員オーバー状態でフル稼動していて、王宮近辺まで行くことも困難を極めた。そのため、プラトゥーナームで断念して伊勢丹前のビジョンでその様子を視聴する人も多かった。あくまでもテレビから車列を見ているだけだったにも関わらず、周囲からはすすり泣く声が聞こえてきた。
 10月22日には王宮広場で30万人(報道によっては15万人だとか数十万人)以上が集まって国王賛歌を歌った。このとき、僕自身は仕事であるコンベンションセンターにイベント取材に行っていたのだが、同じ時間に会場でも国王賛歌の合唱となった。おそらく、30万人どころか、タイ全土で一斉に歌われたのではないだろうか。
 タイで暮らしていると生活の端々に国王への想いを感じ取ることができるが、このときもまたプーミポンアドゥンヤデート国王陛下がいかに慕われていたかを改めて体感した。

商業施設では黒い服の売れ行きが好調
商業施設では黒い服がヒット商品かのごとく並べられ、売れ行きも好調のようである。



それでもタイは平常運転中

 日本人在住者たちがフェイスブックなどに書き込みをしているのは「タイ旅行を中止すべきかどうか」の問い合わせが多いということだ。どうも日本の報道はタイが混乱しているだとか、経済活動が停滞しているといった内容が多いらしい。僕自身の母親から「物資が不足していて買い出しに行かないといけないんだって?」と言われた。
 まったくもってそんなことはない。タイはむしろ平常運転だ。変わったことといえば、黒服が増えたことと、派手はイベントがないこと、バーや居酒屋などが通常深夜2時閉店のところ0時に閉めてしまうことくらいだ。確かに喪に服した公務員がそれを理由に様々な手続きを遅延させて景気に影響が出る可能性はあるかもしれない。しかし、崩御から10日たった現在、なんら崩御に関連した混乱は起きていない。そして、体感的にも大きな出来事は起こらず、平穏に時間が過ぎていくような気がする。

すすり泣く声もあちらこちらから聞こえた
買いものに訪れた人々が足を止めて大型ビジョンを眺める。すすり泣く声もあちらこちらから聞こえた。


国王陛下のニュースを見上げる人
伊勢丹の前の大型ビジョンで放映される国王陛下のニュースを見上げる人。


 タイ人はいい意味でも悪い意味でも、2006年から続く現在の政情不安に疲弊し、慣れてしまったのだと思う。だから、この数十年で最も大きな出来事となってしまった国王崩御でも落ち着いた行動が取れたのではないか。
 タイはあまりにも平常過ぎて、犯罪も普通に発生している。昨日は報徳堂の報道担当者間で作成されているLINEのグループによれば拳銃自殺まであった。
 日本と比べればタイの治安は元々悪い。その点ではなんら変化はなく、だから国王の崩御でタイ旅行を中止するべきかという問いに関して、僕自身は不要だと答えたい。喪に服すべきで、あまり派手な行動は慎まなければならないけれど、特に旅行を中止するほどの混乱はない。
 ただ、カオサン通りに泊まりたい低予算旅行者はちょっと検討が必要かもしれない。今は国王の棺が王宮に納められており、最後のお別れをしようとタイ全土からタイ人が駆けつけている。そのため、周辺は大混乱になっており、旅行者として滞在はしづらいと思う。
 王宮や王宮広場周辺ではバイクタクシーなどが王宮へ来た人々のために無料運行をしていたり、食べものや水を配る個人的なボランティアも増えている。報徳堂もまた昼間は本部が炊き出しをしているし、夜間は全国からやって来たボランティアが交代で食事を配布している。
 タイでは災害や事件が発生すると自発的に私財を投入した個人ボランティアが現れる。仏教国らしい一面でもあるし、今回の件に関してはいかに国王が愛されていたのかがわかり、また、こういった事態だからこそタイ人はひとつにまとまりやすいという国民性を見ることができたと思う。もう少し落ち着いたら、僕も報徳堂の一員として王宮の炊き出しに参加しようと思っている。

国王陛下の棺が移送された
14日16時30分ごろ、国王陛下の棺が移送された。セントラル・ワールド館内では同時刻にその事実と、国王を讃えるアナウンスが放送された。


ボートで棺が王宮に移される場に向かう人々
14日、シリラート病院から国王の棺が王宮に移される場に立ち会おうと、センセーブ運河のボートで向かう人々。プラトゥーナーム乗り場でこの時間帯にこれほどの人が集まることは普段はない。


棺の移送を見つめる守衛たち
仕事の手を休め、ビジョンに映し出される国王の棺の移送を見つめる守衛たち。

  1. 2016/10/25(火) 14:00:32|
  2. タイ国王陛下
  3. | コメント:0

第20回「報徳堂のサラブリ支部にお邪魔してきた」

日本人3人目のボランティア隊員

 現時点で報徳堂に登録されているボランティア隊員のうち日本人はふたりいる。僕自身と同じチームに所属する年嵩の僕の友人だ。ただ、この人は忙しくて参加できないため、うちの隊長が怒って登録抹消に動いているので、実質的には僕ひとりと言ってもいい。
 しかし、人種でいうと日本人登録は3人になる。タイはタイ族だけでなく、中華系、インド系、山岳民族、マレーシアやベトナム系などの近隣諸国の系統など多民族国家になる。そのため、公的な書類にも「サンチャート(国籍)」と「チュアチャート(人種)」という欄がある。もうひとりの日本人ボランティアはタイに帰化した日本人、いうなれば日系タイ人となる。報徳堂の登記上もタイ人になっている。
 この人物が所属しているのはバンコクから北へ約130キロにあるサラブリ県の報徳同支部になる。タイ中央部の端にいるこの方を訪ねて、サラブリの活動に一晩だけ参加してきた。
 報徳堂3人目の日本人ボランティア隊員は湧上和彦さんだ。1966年に沖縄で生まれたが、3歳で両親の都合によりタイに移住。両親は農業関係の慈善事業のためにタイに来たので、そのまま湧上さんも居住を続けている。すでにタイでの生活が48年目に入っていて、日本語は普通に話せるし、タイ語も現地人と同じイントネーションで話す。
 レスキュー活動で大切な道具は無線だ。タイの無線はコード番号が多くて内容を理解するのが難しい。ただでさえ外国語なのにコードも多いし、無線機だと抑揚がなく聞こえるためにそもそもタイ人でも不慣れな場合は聞き取りができない。これだけは今でも僕は不慣れなままでいる。
 しかし、湧上さんはこれをさらっとやっていた。むしろほかの隊員よりも積極的に無線で会話をしていたので、正直僕は悔しかった。ずっとタイで暮らしていたし、湧上さんは10代のころから無線をいじっていたマニアだったそうなので、僕なんかが追いつけるようなレベルではないのだけれども。
 湧上さんはタイに来た当初はバンコクにいた。1988年になってこれもまた両親の都合のため、家族でサラブリ県に引っ越してきた。そんな湧上さんが報徳堂に興味を持ったのは実はごく最近のことだった。当然存在は知っていたが、ボランティアというのがあることもよくわかっていなかったという。結局、タイで暮らす人にとってはボランティアによる救急救命活動はその程度しか知られていないということだ。
 湧上さんは2001年ごろに農業関係の製品を扱う会社を設立した。タイ人は仏教の教えから功徳をよく積むが、個人だけでなく企業も社会貢献を当たり前のように行う。まるで欧米のように慈善活動の考え方が進んでいる中、湧上さんの会社でもプーケットでの津波や洪水などで直接、あるいは間接的に支援を行った。特に洪水災害のために報徳堂サラブリ支部におよそ240万円相当の小型ボートと発動機を寄付したりもした。それでもなお、湧上さんは報徳堂のことをよく理解していなかったそうだ。
 そんな湧上さんがボランティアになったのは報徳堂サラブリ支部の幹部と趣味のバイク関係で知り合うきっかけがあったからだ。その後、誘われてボランティアに参加することになった。今では報徳堂本部にいる正規隊員とも仲がよく、10年以上やっている僕よりも報徳堂内に知り合いが多い。

湧上和彦さん。
タイに来て48年、タイ国籍を取得している湧上和彦さん。


トラブルを事前に牽制する。
サラブリ県内のチームを湧上さんが訪問し、トラブルを事前に牽制する。



バンコクとサラブリの大きな違い

 湧上さんの報徳堂サラブリ支部でのポジションはボランティア隊員のひとりというよりは相談役のような存在になっている。
 サラブリ支部や他県の報徳堂の支部がバンコクの本部と大きく違うのが、管理者を含めてボランティアしかいないという点だ。本部は正規の職員らがいて管理などをしているし、警察直属の指揮下に入るのもまた正規のレスキュー隊員で、あくまでボランティアは補助要員である。しかし、他県ではボランティアが支部を運営し、主体となって活動している。
 この点はバンコクと大きく違い、僕も湧上さんに話を聞くまでは知らなかった。そんな環境にあるので、湧上さんは年齢的にも社会的地位でも普通の若いボランティアよりは上になるので、相談役としてのポジションをあてがわれたのだ。
「ボランティアで人助けをするわけですから基本的にはいい人ばかりなんですが、中には短絡的な人間もいます。サラブリ支部が県内のボランティア隊員を統括していますが、人間関係に幹部はいつも頭を抱えています」
 と湧上さんは話す。サラブリ県の報徳堂は支部本部を中心に警察署管轄ごとにチーム分けされている。サラブリ県内だけでも現在は総勢で610人にも上る。ボランティアの救急車も50台もの登録があって、バンコクよりは小さいといっても大所帯だ。そうなれば隊員やチーム間のトラブルはあとを絶たない。
 そこに現れたのが湧上さんというわけだ。タイ人は外国人を部外者として見る傾向にあって、表面上は仲よくしていても内心では一線を画している。サラブリ本部のタイ人幹部がトラブルの仲介に立つと角が立ってしまうが、日本人として扱われている湧上さんが間に立てば意外と言うことを聞いてくれる。タイ人は人間関係の立ち回り方が上手な国民性がある。サラブリ支部幹部も湧上さんをうまく利用しているようだった。

チームによって待機場所は違っている。
チームによって待機場所は違っており、ガソリンスタンドもあれば、路上、コンビニ前、警察署敷地内など様々。


発電機と照明セットを持って救助に当たる。
地方だと暗闇も多いため、発電機と照明セットを持って救助に当たるチームもある。バンコクでは考えられない装備。



未成年者が報徳堂に参加する意義

 僕がサラブリ支部での活動に参加した日は結局なんの事件も起こらなかった。その代わり、各チームを表敬訪問し、いろいろと事情を聞かせてもらった。そこで知ったのがまず報徳堂サラブリ支部にはボランティアしかレスキュー関係者がいないということだった。
 そしてもうひとつ、バンコクとサラブリで決定的に違う点があった。
 それは、サラブリでは未成年者がレスキュー活動に参加していたことだ。
 バンコクでは20歳以上の者で、かつ応急処置訓練初級コースを修了していないとボランティアに申し込むことすらできない。未成年者もときにバンコクの現場で見かけるが、それは隊員の実子が親の監督の下で一緒にいるだけだ。それがサラブリでは未成年者が単独で活動に参加していた。湧上さんが改めて説明をしてくれる。
「サラブリ支部では20歳未満は親の承諾書を添付すれば登録が可能です。親もバイクで暴走したり、アルコールや麻薬に走るよりはいいということで参加を許しています」
 タイの地方では中学生がバイク通学することは珍しくない。免許証の取得可能年齢は日本と同じなのだが、田舎の方では足がなければなにもできない。警察も制服姿でバイクを運転している場合は無免許でも見逃してくれるようだ。だが、日本と同じで若さゆえに競走したり、暴走族のように傍若無人に振る舞う若者もいる。特に田舎だと娯楽が少ないので、そんな遊びに興じる子どもも出てきてしまう。さらに、タイは麻薬も身近な存在だ。日本ではありえないが、タイの中学高校では学校側が積極的に麻薬検査を実施するほど深刻でもある。
 それよりは報徳堂に預けておけば安心だし、実際に事件事故を目の当たりにして危ないことを控えるようになるしで、一石二鳥だと親も任せてくれる。表敬訪問したあるチームのリーダーは
「必ずチーム内で誰が面倒を見るかを決め、参加中はずっとその隊員と一緒にいさせます。もし彼らが活動に来ないときはこちらから親に電話をして、我々と一緒にいないということを伝えています。責任を持って預かっていますよ」
 と言った。バンコクではボランティアだけでも数千人はいるとされているので、未成年者を受け入れるのは管理的に難しい。地方ならではの対応である。
 他県では救急救命が意外な方法でも社会貢献をしているということを知ることができた。

チームによってカラーがまったく違う。
チームによってカラーがまったく違い、統率が取れているところもあれば、若者ばかりで楽しくやっているところもある。


地元企業や住民が待機所まで提供してくれている。
区域によっては地元企業や住民が写真のような待機所まで提供してくれている。右の方にいる坊主頭ふたりがこのチームの未成年隊員。

  1. 2016/09/25(日) 18:03:17|
  2. 報徳堂
  3. | コメント:0

第19回「先輩の死」

死亡現場には慣れていても、仲間の死はなお重い

 本業の営業で、毎年僕は東京に滞在する。2016年度は5月中旬から長めに時間を取って27日間滞在した。あと3日でタイ帰国だという6月8日、同じチームに所属する先輩が突然亡くなった。ギアンさんで、確か46歳だったかと思う。仲間の死にショックは隠せなかった。僕が正式に入隊した2004年からずっと優しくしてくれた人だ。夫婦で参加していて、いつも仲よくしていた。
 僕はホワイクワン-スティサン・チームにおいて最初のころから「タナカタケシ」と呼ばれている。ある人はタケシと呼び、ある人はタナカと呼ぶ。タカダが言いにくいため、タナカになっているのかと思う。タケシも推測では当時タイの衛星放送「UBC」(現在は携帯電話キャリアのトゥルーの「TRUE VISION」になっている)で、昔の日本のテレビ番組「風雲たけし城」が放映されていたことから来ているのだろう。そんな中、このギアンさんと奥さんだけは僕のことをちゃんと「高田胤臣」と認識してくれていた。
 タイでは慈善活動がよく行われる。功徳を積むための行動であり、参加には社会的地位によって役割が決まっている。富裕層は金を出し、金がない層は身体を使って奉仕する。報徳堂のボランティアも金持ちは活動資金を出し、中流以下の層がボランティア隊員として活動する。本当の貧困層はさすがに参加する余裕はないので、中の下の層までがボランティアになる。
 こう言ってはいけないのだが、事実としてボランティアには頭のよろしくない人が少なくない。さすがに人助けをしようという者ばかりなので根はいいし、悪人はいない。ただ、残念ながら想像力に欠ける人がいるのも事実だ。というのは、例えば僕は外国人であり、タイ語を完璧に話せるわけではない。いわば中学生レベルのタイ語を話しているのかと思う。だからといって、僕自身の人間性が10代前半であるわけではない。当たり前なのだが、彼らの中にはタイ語レベルから判断して僕を見下している人がいる。
 しかし、ギアンさんは2004年11月に初めて会ったときから違っていた。僕のタイ語にも耳を傾け、疑問に思ったことを質問すると丁寧に教えてくれた。3年前にチーム内の人間関係の悪化が発端で所属人数が激減したときがあった。たまたまその時期は忙しくてあまり活動に参加していなかったので僕自身はまったく知らなかった。なにがあったのか訊いてもほかの人が言葉を濁す中、ギアンさんはちゃんと中立の立場で状況を説明してくれた。どちらかというと僕もそのタイミングでチームを抜けたいと考えたが、ギアンさんが残るので僕も残ることにしたくらいだった。
 そんなギアンさんとはタイミングが合わずにしばらく会えずにいた。それが結果的にこんなことになるなんて。もっと話したいことはいっぱいあった。本当に残念で仕方がない。

チームでサラブリに遊びに行ったときの写真。
7年前にチームでサラブリに遊びに行ったときの写真。中央辺りのシャツを着て立っているのがギアンさんで、左端が奥さん。

献体を寺に運んだときの様子。
今年の、献体を寺に運んだときの様子。まさか1ヶ月もしないうちに仲間を運んで戻ってくるとは誰も思っていなかったろう。



死んでもなおギアンさんらしい最期だった

 ギアンさんの死因はタイ語では「ポート・ティッチュア」という。肺感染症のことだが、日本語で調べても要領を得ない。そこでちゃんと仲間に聞いてみたのだが、ますます首をひねるばかりであった。
 というのは、ギアンさんは持病があり、それに伴って最近は少し体調が悪かったらしい。それにも関わらず、彼は趣味になっていたスキューバダイビングに出かけた。
 報徳堂本部のレスキュー部門の隊員は必ずスキューバダイビングの講習を受ける。バンコクには運河が多く、都内での水難事故もあるし、郊外でもそういった事件事故は頻発するためだ。それが去年、一昨年くらいからボランティア隊員も自前で講習を受け始めた。これはタイの景気がよく、金銭的に余裕ができたからというのもある。しかし、タイではほとんどの学校にプールがないので、30代以上だと泳げない人は少なくない。また、スキューバダイビングも最近になってタイ人が嗜むようになったので、日本のように専門用語がタイ語化されていない。そうなると教科書を読むに当たっても単語ひとつひとつの解説から入らなければならず、日本人インストラクターに聞いたところでは「授業時間は日本人の3倍から5倍はかかる」というほど。そのため、ギアンさんらもかなり前から講習をやっているが、いまだに練習といった域の様子であった。僕自身は日本で潜水士の免許を取っており、もう20年くらい潜っていないが、知識は多少あるのでその講習には参加していない。
 ギアンさんは6月5日前後にも潜りに出かけている。このときにタンク、もしくはレギュレーター(空気を吸うために口に咥える装置)からなにかの菌が肺に入り込み、わずか3日で亡くなってしまったという。レギュレーターから肺感染症になるというのは稀ではあるがあるらしい。僕はそうギアンさんの死因の説明を受けた。
 ギアンさんは亡くなってもなおボランティア精神に溢れていた。亡骸はチュラロンコーン大学の医学部に献体され、早朝に亡くなり、夕方には医学部に運ばれた。そして、来年に解剖実習が終わったら残った骨を解剖学の研究に使ってもらうようにという遺言もあった。タイの一般的な献体では、実習が毎年4月か5月に終わり、家族の元に返される(実際は家族の元で葬儀が行われ、荼毘に付される)。しかし、ギアンさんの場合はすべてが医学に利用され、家族の元に身体は帰ってこない。
 ギアンさんの奥さんも報徳堂のボランティアなので、その精神に納得されているようであった。幸い、ふたりの間に生まれた息子と娘は成人している。奥さんも悲しみこそあれ、この先の生活で苦労することはなさそうでよかった。
 大好きな先輩が亡くなって僕もショックは大きい。しかし、亡くなってもなお医学に貢献しようという気持ちは素晴らしいし、やっぱりギアンさんはギアンさんだったと思う。報徳堂の隊員としても初めての献体希望者だったらしく、テレビでも大きく扱われたという。
 
墓の清掃に参加したとき。
ラーチャブリー県の墓の清掃に参加したとき。白いはちまきをしているのが僕で、左の迷彩帽子を被っているのがギアンさん。

病院にけが人を運んできたときの様子。
国立病院にけが人を運んできたときの様子。夫婦でいつも仲よく参加していた。
  1. 2016/07/11(月) 04:35:12|
  2. 報徳堂
  3. | コメント:0
次のページ

プロフィール

Author:bangkokdayori
●プロフィール
高田胤臣(たかだ たねおみ)
タイ在住ライター
報徳堂ボランティア隊ホアイクワン005

1977年東京生まれ
1998年初訪タイ。その後旅行で何度かタイを訪れ、2000年から1年間、ユニオン・ランゲージスクールに語学留学
2002年9月からバンコク在住
2004年11月から華僑報徳善堂にボランティア隊員として参加
2011年2月に彩図社より「バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー共著)、2012年8月に同社より「東南アジア 裏の歩き方」を出版
現在はバンコクに編集部がある月刊総合誌「Gダイアリー」に複数の連載やほぼ毎月特集記事を、ウェブサイト「日刊SPA!」やバンコクの無料誌「DACO」にて不定期で執筆中

http://nature-neneam.boo.jp/

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
報徳堂 (22)
タイ国王陛下 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR