バンコク便り

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第22回「なぜか被害者が立ち去った事故現場」

サラブリの田舎道で起こった追突事故

 サラブリ県で取材があって1泊ほど滞在したので、以前紹介したサラブリ県の報徳堂ボランティア隊員、湧上和彦さんのチームに同行させてもらった。
 ある金曜の夜10時15分を過ぎたころ、レッカー移動が必要なほどの追突事故が起こったという通報があり、急いで現場に向かった。さすが県全体をカバーする本部だけあり、僕自身が所属するバンコク都内のチームとは移動距離が違った。街灯もほとんどない真っ暗な道を時速120km超で突っ走っておよそ20分。小川を越える橋の斜面でその事故は起こっていた。
 ただ、到着した我々も全員が頭の中に「?」が飛び交う。というのは、追突事故であるはずなのに、なぜか車は1台しかなかったのだ。運転者は地元の40代男性で、本人も認めているが、明らかに飲酒運転だった。いずれにせよタイは日本と違い酒気帯び運転がない。ある程度の数値からが飲酒運転扱いで、それ以下の場合はちゃんと保険も出る。現場で計測していないので酩酊レベルは不明だが、この場合、一目で飲酒とわかるくらいだったので保険適用は難しいかもしれない。
 タイに限らず、交通事故というのはひとつの原因で起こることはない。複数の要因が重なって発生する。簡単にいえば走っているだけでは事故にはならず、そこに不注意が重なるなど、いくつか理由が重なったときに発生するのだ。そのため、一見では理解しがたいケースもあるのはよくあることだが、今回の事故は経過を聞いてもなお意味がわからないものだった。

見通しは決して悪くない場所であった。
現場はこのように真っ暗ではあるが、見通しは決して悪くない場所であった。

車は通らないほどの田舎だ。
バンコクと同様に一応交通整理にボランティアが立つが、車は通らないほどの田舎だ。

レッカー車で移動させる。
自走不可能な車は報徳堂のボランティアが用意したレッカー車で移動させる。



相手にもなにか重大な問題があった可能性

 加害運転手の話によると、橋を越えたところで前を走る白のピックアップトラック後部に思いっきり突っ込んでしまった。被害運転手が降りてきたが、加害者を見て「明日以降に連絡をするから」といい、加害運転手のIDカード、車の登録証などを持って立ち去ったのだという。加害者は被害者側の連絡先は聞いておらず、連絡の術はなかった。
 現場の状況を見ると被害者側にまったく非はない。それにも関わらず、その場での示談、あるいは警察を呼んで現場検証すらしないで立ち去った。タイでは人身事故でなければ保険会社を通すなどで示談にすることが多い。警察が現場検証を行うと交通渋滞を引き起こしたなど規律を乱した迷惑料といった名目で400バーツ程度の罰金が科せられることもある。しかし、それも加害者が負担するものであり、被害者にはなんら立ち去る理由がないのだ。
 こんなケースは僕自身も見たことがないし、サラブリの本部隊員ですら初めてだということで理解できない状態にあった。当の被害者はいないので話を聞くにも聞けない。そこで推測されるのが以下の理由だ。

①飲酒運転を考慮し、後日改めて話し合うことで保険を使えるようにする
②あえて後日にすることで請求額をつり上げる魂胆がある
③被害者側にも警察に会いたくない理由があり、ほとぼりがさめてから話し合う

 まず①の場合、仮に加害者の保険が使えなかったとしても被害者の保険会社が修理費用を立て替え、後日加害者に請求することができる。だから、①の理由で立ち去った可能性もあるが、それは極めて無知な行動になる。
 ②は、例えば病院に行ってむち打ちになったと訴え、診断書などを手に入れて請求額をつり上げるといった可能性だ。加害者は書類を渡しただけでなんら条件設定をしないままに立ち去られている。こういったカタギとは言い難い理由があったかもしれない。
 ③は麻薬などの犯罪に関わっているといった理由などで被害者やその同乗者たちは警察に会いたくなかったのかもしれない。かといって逃げられても困るので、書類を確保して立ち去った。あるいは②も同時進行で行う可能性もある。
 こういった事件・事故の結果は我々レスキューでは把握できないことが多い。あくまでも現場での対応が任務で、その後を追うことは滅多にない。この事故でも加害者はレスキュー隊員らの勧めで警察に連絡し、事故を報告。その後、加害者も警察署へと連行されていった。だから、すべては推測でしかない。
 僕が思うには、可能性としては③が一番高いのではないか。書類を持って立ち去るという手際のよさ。そんな人物が①のような無知なことはしないだろうし、②もわざわざ日を改めて請求額をつり上げるくらいならその場でふっかけてくるのではないか。そうなると③のような、相手側にも犯罪の臭いが感じられなくもない。
 結局、不可解なのはいつも人間の心だ。レスキューに関わっているとよくそう感じるのである。

立ち尽くしてしまったボランティアたち。
加害運転手の話を聞きながら、思わず立ち尽くしてしまったボランティアたち。

かなりの勢いで衝突している。
追突車両を横から見ると、かなりの勢いで衝突している。

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  1. 2017/01/05(木) 17:17:06|
  2. 報徳堂
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第21回「国王崩御から10日 バンコクの様子」

国王がいかに敬愛されていたかを改めて感じる

 今回はレスキューとは若干関係ない内容になるが、タイの歴史が大きく変わったときの話を書いておきたい。
 今月13日の夕方、プーミポンアドゥンヤデート国王陛下が崩御したという非公式の情報がタイ人の間を一斉に駆け巡った。数日前にかなり容態が悪いことがニュースになり、近隣の市民が入院されていたシリラート病院に駆けつけるなど、その時点でこれまでの国王陛下の容態のニュースとは物々しさが違っていた。そして、13日の夕方に公式発表の準備をする国家公務員から漏れたと思われるメールがSNSを中心に出回り、同日19時に政府からの公式発表があった。
 日本の皇室とは違って、タイでは王室というよりもプーミポンアドゥンヤデート国王自身に人気がある。そのため、タイ国内ではおおっぴらに国王崩御によりタイがどうなるかという議論はされていなかったものの、国内外で王位継承権者たちによる争いがあるのではないか、また混乱によって大不況になるのではないか、という予測が密かにあった。実際、数年前から内戦を恐れて国外に移住したタイ人もわずかながらにいたほどだ。
 ところが、継承権第1位の皇太子が喪に服したのちに即位することが崩御した夜には発表され、タイ政府も公務員は向こう1年間は喪に服すこと、一般市民に関しては喪に服すことを強制はせず、向こう1ヶ月間だけ派手なイベントをしないように呼びかけたに過ぎない。日本人にとってはまだそれほど古い記憶ではない昭和天皇崩御した数日間と比べて驚くほどに差があった。むしろタイの場合はもっと暗い雰囲気になり、店もすべて閉まってしまうなどがあるのではないかと多くが思っていた。しかし、翌14日においてもすべてがいつも通りだった。企業や飲食店、小売店なども休業したのはほんの一部のみで、バンコク中心はいつも通り渋滞が発生していたし、タクシーも走り、ピザの配達人が働いていた。物乞いも道に座っていたし、夜のバーもほとんどが静かにだが開いていた。

至って普通の日々が営まれている
国王が崩御しても、渋滞は発生するし、ピザの配達も行われている。至って普通の日々が営まれている。


 ただ、街中は黒い服を着たタイ人で溢れていた。喪に服すことを強制されてはいなかったが、敬愛する国王陛下の崩御で悲しみを表して黒、あるいは白い服を着ていた。正直、僕自身は「案外みんな黒い服を持っているものだな」と思った。黒い服は喪服というわけではなく、あくまで黒ければTシャツでもなんでもいいのだが、さすがにそれくらいは持っている人は少なくなかった。また、商魂たくましいというか、市場や繁華街の服飾店ではちゃっかり黒い服が売られてもいた。さすがに商売人で喪に服すために安くするというわけでもなく、買えない人のために街中には染色を安価で引き受ける業者もはびこっていて、古いシャツを黒に染めてくれている。
 14日は昼過ぎから市内を歩いて見た。いつも通りの風景だったが、高架電車のスカイトレイン車内のテレビや街中の大型のビジョンは広告放送を取り止めていた。ATMを始め、多くの企業のホームページも白黒になっていた。ウェブサイト上の色合いはすぐにいじれるにしても、商業施設などで白黒の大きな横断幕が飾られていたのには、穿った見方をすれば事前に用意していたのではないかと思ってしまう。噂レベルではあるが、政府もこのところ計画していたイベントはすべて2パターンあったという。急遽崩御された場合に備えていたとは言われている。
 崩御からおよそ丸1日が経過した14日の16時半ごろ、伊勢丹が入居するセントラル・ワールド前の大型ビジョンではシリラート病院から王宮へと出発する国王の棺の車列が映し出された。多くの人が足を止めて見上げる。映像内では沿道にたくさんの人が集まっていた。昼過ぎの時点でセンセーブ運河の旅客ボートは定員オーバー状態でフル稼動していて、王宮近辺まで行くことも困難を極めた。そのため、プラトゥーナームで断念して伊勢丹前のビジョンでその様子を視聴する人も多かった。あくまでもテレビから車列を見ているだけだったにも関わらず、周囲からはすすり泣く声が聞こえてきた。
 10月22日には王宮広場で30万人(報道によっては15万人だとか数十万人)以上が集まって国王賛歌を歌った。このとき、僕自身は仕事であるコンベンションセンターにイベント取材に行っていたのだが、同じ時間に会場でも国王賛歌の合唱となった。おそらく、30万人どころか、タイ全土で一斉に歌われたのではないだろうか。
 タイで暮らしていると生活の端々に国王への想いを感じ取ることができるが、このときもまたプーミポンアドゥンヤデート国王陛下がいかに慕われていたかを改めて体感した。

商業施設では黒い服の売れ行きが好調
商業施設では黒い服がヒット商品かのごとく並べられ、売れ行きも好調のようである。



それでもタイは平常運転中

 日本人在住者たちがフェイスブックなどに書き込みをしているのは「タイ旅行を中止すべきかどうか」の問い合わせが多いということだ。どうも日本の報道はタイが混乱しているだとか、経済活動が停滞しているといった内容が多いらしい。僕自身の母親から「物資が不足していて買い出しに行かないといけないんだって?」と言われた。
 まったくもってそんなことはない。タイはむしろ平常運転だ。変わったことといえば、黒服が増えたことと、派手はイベントがないこと、バーや居酒屋などが通常深夜2時閉店のところ0時に閉めてしまうことくらいだ。確かに喪に服した公務員がそれを理由に様々な手続きを遅延させて景気に影響が出る可能性はあるかもしれない。しかし、崩御から10日たった現在、なんら崩御に関連した混乱は起きていない。そして、体感的にも大きな出来事は起こらず、平穏に時間が過ぎていくような気がする。

すすり泣く声もあちらこちらから聞こえた
買いものに訪れた人々が足を止めて大型ビジョンを眺める。すすり泣く声もあちらこちらから聞こえた。


国王陛下のニュースを見上げる人
伊勢丹の前の大型ビジョンで放映される国王陛下のニュースを見上げる人。


 タイ人はいい意味でも悪い意味でも、2006年から続く現在の政情不安に疲弊し、慣れてしまったのだと思う。だから、この数十年で最も大きな出来事となってしまった国王崩御でも落ち着いた行動が取れたのではないか。
 タイはあまりにも平常過ぎて、犯罪も普通に発生している。昨日は報徳堂の報道担当者間で作成されているLINEのグループによれば拳銃自殺まであった。
 日本と比べればタイの治安は元々悪い。その点ではなんら変化はなく、だから国王の崩御でタイ旅行を中止するべきかという問いに関して、僕自身は不要だと答えたい。喪に服すべきで、あまり派手な行動は慎まなければならないけれど、特に旅行を中止するほどの混乱はない。
 ただ、カオサン通りに泊まりたい低予算旅行者はちょっと検討が必要かもしれない。今は国王の棺が王宮に納められており、最後のお別れをしようとタイ全土からタイ人が駆けつけている。そのため、周辺は大混乱になっており、旅行者として滞在はしづらいと思う。
 王宮や王宮広場周辺ではバイクタクシーなどが王宮へ来た人々のために無料運行をしていたり、食べものや水を配る個人的なボランティアも増えている。報徳堂もまた昼間は本部が炊き出しをしているし、夜間は全国からやって来たボランティアが交代で食事を配布している。
 タイでは災害や事件が発生すると自発的に私財を投入した個人ボランティアが現れる。仏教国らしい一面でもあるし、今回の件に関してはいかに国王が愛されていたのかがわかり、また、こういった事態だからこそタイ人はひとつにまとまりやすいという国民性を見ることができたと思う。もう少し落ち着いたら、僕も報徳堂の一員として王宮の炊き出しに参加しようと思っている。

国王陛下の棺が移送された
14日16時30分ごろ、国王陛下の棺が移送された。セントラル・ワールド館内では同時刻にその事実と、国王を讃えるアナウンスが放送された。


ボートで棺が王宮に移される場に向かう人々
14日、シリラート病院から国王の棺が王宮に移される場に立ち会おうと、センセーブ運河のボートで向かう人々。プラトゥーナーム乗り場でこの時間帯にこれほどの人が集まることは普段はない。


棺の移送を見つめる守衛たち
仕事の手を休め、ビジョンに映し出される国王の棺の移送を見つめる守衛たち。

  1. 2016/10/25(火) 14:00:32|
  2. タイ国王陛下
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第20回「報徳堂のサラブリ支部にお邪魔してきた」

日本人3人目のボランティア隊員

 現時点で報徳堂に登録されているボランティア隊員のうち日本人はふたりいる。僕自身と同じチームに所属する年嵩の僕の友人だ。ただ、この人は忙しくて参加できないため、うちの隊長が怒って登録抹消に動いているので、実質的には僕ひとりと言ってもいい。
 しかし、人種でいうと日本人登録は3人になる。タイはタイ族だけでなく、中華系、インド系、山岳民族、マレーシアやベトナム系などの近隣諸国の系統など多民族国家になる。そのため、公的な書類にも「サンチャート(国籍)」と「チュアチャート(人種)」という欄がある。もうひとりの日本人ボランティアはタイに帰化した日本人、いうなれば日系タイ人となる。報徳堂の登記上もタイ人になっている。
 この人物が所属しているのはバンコクから北へ約130キロにあるサラブリ県の報徳同支部になる。タイ中央部の端にいるこの方を訪ねて、サラブリの活動に一晩だけ参加してきた。
 報徳堂3人目の日本人ボランティア隊員は湧上和彦さんだ。1966年に沖縄で生まれたが、3歳で両親の都合によりタイに移住。両親は農業関係の慈善事業のためにタイに来たので、そのまま湧上さんも居住を続けている。すでにタイでの生活が48年目に入っていて、日本語は普通に話せるし、タイ語も現地人と同じイントネーションで話す。
 レスキュー活動で大切な道具は無線だ。タイの無線はコード番号が多くて内容を理解するのが難しい。ただでさえ外国語なのにコードも多いし、無線機だと抑揚がなく聞こえるためにそもそもタイ人でも不慣れな場合は聞き取りができない。これだけは今でも僕は不慣れなままでいる。
 しかし、湧上さんはこれをさらっとやっていた。むしろほかの隊員よりも積極的に無線で会話をしていたので、正直僕は悔しかった。ずっとタイで暮らしていたし、湧上さんは10代のころから無線をいじっていたマニアだったそうなので、僕なんかが追いつけるようなレベルではないのだけれども。
 湧上さんはタイに来た当初はバンコクにいた。1988年になってこれもまた両親の都合のため、家族でサラブリ県に引っ越してきた。そんな湧上さんが報徳堂に興味を持ったのは実はごく最近のことだった。当然存在は知っていたが、ボランティアというのがあることもよくわかっていなかったという。結局、タイで暮らす人にとってはボランティアによる救急救命活動はその程度しか知られていないということだ。
 湧上さんは2001年ごろに農業関係の製品を扱う会社を設立した。タイ人は仏教の教えから功徳をよく積むが、個人だけでなく企業も社会貢献を当たり前のように行う。まるで欧米のように慈善活動の考え方が進んでいる中、湧上さんの会社でもプーケットでの津波や洪水などで直接、あるいは間接的に支援を行った。特に洪水災害のために報徳堂サラブリ支部におよそ240万円相当の小型ボートと発動機を寄付したりもした。それでもなお、湧上さんは報徳堂のことをよく理解していなかったそうだ。
 そんな湧上さんがボランティアになったのは報徳堂サラブリ支部の幹部と趣味のバイク関係で知り合うきっかけがあったからだ。その後、誘われてボランティアに参加することになった。今では報徳堂本部にいる正規隊員とも仲がよく、10年以上やっている僕よりも報徳堂内に知り合いが多い。

湧上和彦さん。
タイに来て48年、タイ国籍を取得している湧上和彦さん。


トラブルを事前に牽制する。
サラブリ県内のチームを湧上さんが訪問し、トラブルを事前に牽制する。



バンコクとサラブリの大きな違い

 湧上さんの報徳堂サラブリ支部でのポジションはボランティア隊員のひとりというよりは相談役のような存在になっている。
 サラブリ支部や他県の報徳堂の支部がバンコクの本部と大きく違うのが、管理者を含めてボランティアしかいないという点だ。本部は正規の職員らがいて管理などをしているし、警察直属の指揮下に入るのもまた正規のレスキュー隊員で、あくまでボランティアは補助要員である。しかし、他県ではボランティアが支部を運営し、主体となって活動している。
 この点はバンコクと大きく違い、僕も湧上さんに話を聞くまでは知らなかった。そんな環境にあるので、湧上さんは年齢的にも社会的地位でも普通の若いボランティアよりは上になるので、相談役としてのポジションをあてがわれたのだ。
「ボランティアで人助けをするわけですから基本的にはいい人ばかりなんですが、中には短絡的な人間もいます。サラブリ支部が県内のボランティア隊員を統括していますが、人間関係に幹部はいつも頭を抱えています」
 と湧上さんは話す。サラブリ県の報徳堂は支部本部を中心に警察署管轄ごとにチーム分けされている。サラブリ県内だけでも現在は総勢で610人にも上る。ボランティアの救急車も50台もの登録があって、バンコクよりは小さいといっても大所帯だ。そうなれば隊員やチーム間のトラブルはあとを絶たない。
 そこに現れたのが湧上さんというわけだ。タイ人は外国人を部外者として見る傾向にあって、表面上は仲よくしていても内心では一線を画している。サラブリ本部のタイ人幹部がトラブルの仲介に立つと角が立ってしまうが、日本人として扱われている湧上さんが間に立てば意外と言うことを聞いてくれる。タイ人は人間関係の立ち回り方が上手な国民性がある。サラブリ支部幹部も湧上さんをうまく利用しているようだった。

チームによって待機場所は違っている。
チームによって待機場所は違っており、ガソリンスタンドもあれば、路上、コンビニ前、警察署敷地内など様々。


発電機と照明セットを持って救助に当たる。
地方だと暗闇も多いため、発電機と照明セットを持って救助に当たるチームもある。バンコクでは考えられない装備。



未成年者が報徳堂に参加する意義

 僕がサラブリ支部での活動に参加した日は結局なんの事件も起こらなかった。その代わり、各チームを表敬訪問し、いろいろと事情を聞かせてもらった。そこで知ったのがまず報徳堂サラブリ支部にはボランティアしかレスキュー関係者がいないということだった。
 そしてもうひとつ、バンコクとサラブリで決定的に違う点があった。
 それは、サラブリでは未成年者がレスキュー活動に参加していたことだ。
 バンコクでは20歳以上の者で、かつ応急処置訓練初級コースを修了していないとボランティアに申し込むことすらできない。未成年者もときにバンコクの現場で見かけるが、それは隊員の実子が親の監督の下で一緒にいるだけだ。それがサラブリでは未成年者が単独で活動に参加していた。湧上さんが改めて説明をしてくれる。
「サラブリ支部では20歳未満は親の承諾書を添付すれば登録が可能です。親もバイクで暴走したり、アルコールや麻薬に走るよりはいいということで参加を許しています」
 タイの地方では中学生がバイク通学することは珍しくない。免許証の取得可能年齢は日本と同じなのだが、田舎の方では足がなければなにもできない。警察も制服姿でバイクを運転している場合は無免許でも見逃してくれるようだ。だが、日本と同じで若さゆえに競走したり、暴走族のように傍若無人に振る舞う若者もいる。特に田舎だと娯楽が少ないので、そんな遊びに興じる子どもも出てきてしまう。さらに、タイは麻薬も身近な存在だ。日本ではありえないが、タイの中学高校では学校側が積極的に麻薬検査を実施するほど深刻でもある。
 それよりは報徳堂に預けておけば安心だし、実際に事件事故を目の当たりにして危ないことを控えるようになるしで、一石二鳥だと親も任せてくれる。表敬訪問したあるチームのリーダーは
「必ずチーム内で誰が面倒を見るかを決め、参加中はずっとその隊員と一緒にいさせます。もし彼らが活動に来ないときはこちらから親に電話をして、我々と一緒にいないということを伝えています。責任を持って預かっていますよ」
 と言った。バンコクではボランティアだけでも数千人はいるとされているので、未成年者を受け入れるのは管理的に難しい。地方ならではの対応である。
 他県では救急救命が意外な方法でも社会貢献をしているということを知ることができた。

チームによってカラーがまったく違う。
チームによってカラーがまったく違い、統率が取れているところもあれば、若者ばかりで楽しくやっているところもある。


地元企業や住民が待機所まで提供してくれている。
区域によっては地元企業や住民が写真のような待機所まで提供してくれている。右の方にいる坊主頭ふたりがこのチームの未成年隊員。

  1. 2016/09/25(日) 18:03:17|
  2. 報徳堂
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第19回「先輩の死」

死亡現場には慣れていても、仲間の死はなお重い

 本業の営業で、毎年僕は東京に滞在する。2016年度は5月中旬から長めに時間を取って27日間滞在した。あと3日でタイ帰国だという6月8日、同じチームに所属する先輩が突然亡くなった。ギアンさんで、確か46歳だったかと思う。仲間の死にショックは隠せなかった。僕が正式に入隊した2004年からずっと優しくしてくれた人だ。夫婦で参加していて、いつも仲よくしていた。
 僕はホワイクワン-スティサン・チームにおいて最初のころから「タナカタケシ」と呼ばれている。ある人はタケシと呼び、ある人はタナカと呼ぶ。タカダが言いにくいため、タナカになっているのかと思う。タケシも推測では当時タイの衛星放送「UBC」(現在は携帯電話キャリアのトゥルーの「TRUE VISION」になっている)で、昔の日本のテレビ番組「風雲たけし城」が放映されていたことから来ているのだろう。そんな中、このギアンさんと奥さんだけは僕のことをちゃんと「高田胤臣」と認識してくれていた。
 タイでは慈善活動がよく行われる。功徳を積むための行動であり、参加には社会的地位によって役割が決まっている。富裕層は金を出し、金がない層は身体を使って奉仕する。報徳堂のボランティアも金持ちは活動資金を出し、中流以下の層がボランティア隊員として活動する。本当の貧困層はさすがに参加する余裕はないので、中の下の層までがボランティアになる。
 こう言ってはいけないのだが、事実としてボランティアには頭のよろしくない人が少なくない。さすがに人助けをしようという者ばかりなので根はいいし、悪人はいない。ただ、残念ながら想像力に欠ける人がいるのも事実だ。というのは、例えば僕は外国人であり、タイ語を完璧に話せるわけではない。いわば中学生レベルのタイ語を話しているのかと思う。だからといって、僕自身の人間性が10代前半であるわけではない。当たり前なのだが、彼らの中にはタイ語レベルから判断して僕を見下している人がいる。
 しかし、ギアンさんは2004年11月に初めて会ったときから違っていた。僕のタイ語にも耳を傾け、疑問に思ったことを質問すると丁寧に教えてくれた。3年前にチーム内の人間関係の悪化が発端で所属人数が激減したときがあった。たまたまその時期は忙しくてあまり活動に参加していなかったので僕自身はまったく知らなかった。なにがあったのか訊いてもほかの人が言葉を濁す中、ギアンさんはちゃんと中立の立場で状況を説明してくれた。どちらかというと僕もそのタイミングでチームを抜けたいと考えたが、ギアンさんが残るので僕も残ることにしたくらいだった。
 そんなギアンさんとはタイミングが合わずにしばらく会えずにいた。それが結果的にこんなことになるなんて。もっと話したいことはいっぱいあった。本当に残念で仕方がない。

チームでサラブリに遊びに行ったときの写真。
7年前にチームでサラブリに遊びに行ったときの写真。中央辺りのシャツを着て立っているのがギアンさんで、左端が奥さん。

献体を寺に運んだときの様子。
今年の、献体を寺に運んだときの様子。まさか1ヶ月もしないうちに仲間を運んで戻ってくるとは誰も思っていなかったろう。



死んでもなおギアンさんらしい最期だった

 ギアンさんの死因はタイ語では「ポート・ティッチュア」という。肺感染症のことだが、日本語で調べても要領を得ない。そこでちゃんと仲間に聞いてみたのだが、ますます首をひねるばかりであった。
 というのは、ギアンさんは持病があり、それに伴って最近は少し体調が悪かったらしい。それにも関わらず、彼は趣味になっていたスキューバダイビングに出かけた。
 報徳堂本部のレスキュー部門の隊員は必ずスキューバダイビングの講習を受ける。バンコクには運河が多く、都内での水難事故もあるし、郊外でもそういった事件事故は頻発するためだ。それが去年、一昨年くらいからボランティア隊員も自前で講習を受け始めた。これはタイの景気がよく、金銭的に余裕ができたからというのもある。しかし、タイではほとんどの学校にプールがないので、30代以上だと泳げない人は少なくない。また、スキューバダイビングも最近になってタイ人が嗜むようになったので、日本のように専門用語がタイ語化されていない。そうなると教科書を読むに当たっても単語ひとつひとつの解説から入らなければならず、日本人インストラクターに聞いたところでは「授業時間は日本人の3倍から5倍はかかる」というほど。そのため、ギアンさんらもかなり前から講習をやっているが、いまだに練習といった域の様子であった。僕自身は日本で潜水士の免許を取っており、もう20年くらい潜っていないが、知識は多少あるのでその講習には参加していない。
 ギアンさんは6月5日前後にも潜りに出かけている。このときにタンク、もしくはレギュレーター(空気を吸うために口に咥える装置)からなにかの菌が肺に入り込み、わずか3日で亡くなってしまったという。レギュレーターから肺感染症になるというのは稀ではあるがあるらしい。僕はそうギアンさんの死因の説明を受けた。
 ギアンさんは亡くなってもなおボランティア精神に溢れていた。亡骸はチュラロンコーン大学の医学部に献体され、早朝に亡くなり、夕方には医学部に運ばれた。そして、来年に解剖実習が終わったら残った骨を解剖学の研究に使ってもらうようにという遺言もあった。タイの一般的な献体では、実習が毎年4月か5月に終わり、家族の元に返される(実際は家族の元で葬儀が行われ、荼毘に付される)。しかし、ギアンさんの場合はすべてが医学に利用され、家族の元に身体は帰ってこない。
 ギアンさんの奥さんも報徳堂のボランティアなので、その精神に納得されているようであった。幸い、ふたりの間に生まれた息子と娘は成人している。奥さんも悲しみこそあれ、この先の生活で苦労することはなさそうでよかった。
 大好きな先輩が亡くなって僕もショックは大きい。しかし、亡くなってもなお医学に貢献しようという気持ちは素晴らしいし、やっぱりギアンさんはギアンさんだったと思う。報徳堂の隊員としても初めての献体希望者だったらしく、テレビでも大きく扱われたという。
 
墓の清掃に参加したとき。
ラーチャブリー県の墓の清掃に参加したとき。白いはちまきをしているのが僕で、左の迷彩帽子を被っているのがギアンさん。

病院にけが人を運んできたときの様子。
国立病院にけが人を運んできたときの様子。夫婦でいつも仲よく参加していた。
  1. 2016/07/11(月) 04:35:12|
  2. 報徳堂
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第18回「目の前で黒人が撃たれた!」

大通りに響いた銃声

 その日、最初のけが人が発生したのは深夜1時だった。現場に急行し、戦勝記念塔の国立病院に送り届けた。
 我々報徳堂や義徳堂などの慈善団体が傷病者を病院に運ぶと、国から奨励金が1件につき350~500バーツ程度が支払われている。本部としても活動費を稼がなければならないので、取りこぼしのないようにする。そのために必要なのが本部への報告だ。毎回、搬送が完了すると、傷病者の氏名や年齢、住所を無線で本部に報告する。タイ人は14歳以上にはIDカード携帯義務があるなので、身元は簡単に判明する。
 これに伴い、我々アーサーは応急処置のほかに身分確認という作業が必須になる。ただ、これが結構厄介でもある。軽傷だったり、まともな人であればすべてはスムーズに終わる。しかし、意識不明だと財布を盗んだなどと疑われないように知り合いをまずは探さなければならないし、泥酔しているとIDカードを出すまでにこちらが頭を下げなければならなくなる。病院にていずれ出さないと治療は受けられないので、ごねる意味がまったくないのにも関わらず、揉めてしまうこともあるのだ。
 病院側も誰が搬送してきたかを明確にしておくことと、奨励金を支払うために国の機関(恐らく救急医療を管轄する公共保健省)へ情報提供しなければならず、搬入ノートを用意している。国立病院だと報徳堂専用ノートなどもあって、そこに隊員番号、傷病者名、発生場所と時間などを記入する。デジタル化すればいいのだが、これは2004年に初めて僕は入隊したときからなんら変わる気配はない。
 そんなわけで、傷病者を搬送すると1件だけでも案外時間がかかる。その日は1時に発生したけが人を送り届け、再びラチャダー通りに戻ってきたときには深夜2時をやや過ぎていた。タイのバーやディスコは深夜2時までしか営業できない。イメージではバンコクは眠らない街と思われがちだが、意外と日本よりも早く終わってしまう。
 2時が過ぎ、ラチャダー通りソイ4のパブ街からたくさんの酔客が吐き出されてきていた。そして、それを目当てにしたタクシーが彼らを待ち構える。それによって大渋滞が発生する。
 僕はピックアップ・トラックを改造した救急車の荷台に座っていた。ソイ4とは反対側の下り車線も大渋滞だった。上下線とも4車線のうち2車線を酔客が埋め、1車線をタクシーが停車して堰き止めている。渋滞は当然で、あまりのモラルのなさに僕は呆れながら反対車線を眺めていた。
 そのときだった。乾いた破裂音が響き、反対車線の人々が叫び声を上げながら逃げ惑う。タイで暮らしていると絶対に日本では体験しないことが嫌でもできる。僕自身ももう何度か経験したことがあるので、なにが起きたかすぐにわかった。銃声だ。発砲事件が目の前で発生し、人々が逃げ出しているのだ。
 逃げ惑う人々の足下に、ひとり、うしろに倒れ込んだ人影が見えた。瞬間、僕は運転手に向かって叫んだ。
「人が撃たれた!」


酔った不良が撃った?

 荷台から飛び降りて、中央分離帯の柵を乗り越え倒れている男性に駆け寄った。黒人の男性だった。友人男性と恋人らしき女性、被害男性の3人組はアフリカのケニアから来た旅行者で、被害男性が犯人に最も近く、被弾した。
 3人は動揺しており、助かるのかとしきりに訊く。弾は足の付け根の辺りに命中していたが、背中側には抜けていなかった。医師ではないのではっきりは言えないが、僕の意見は大丈夫だと思うと答えた。幸い、被害男性の意識ははっきりしていたし、出血もほとんどない。もちろん素人目で判断してはいけないのだが。
 女性は救急車を呼んでくれと言う。彼らには報徳堂の制服はわからない。救急車は今向かっていると告げた。だが、この渋滞ではわずかの距離でも10分はかかる。応急手当だけして、発生した状況を聞き出す。
 ソイ6の巨大ディスコ「ハリウッド」で遊んだあと、プラトゥーナームの宿に帰るために歩いてここまで来たが方向は合っているのかと訊いたところ、いきなり撃たれたのだという。銃は、銃声もそれほど大きくなかったことから小型のものか、違法製造されたペン型銃ではないかと推測される。被弾したとはいえ、幸い発射されたのは1発だけだった。
 僕に話すときは英語だが、3人の会話はスワヒリ語らしき言葉で、それもかなり大きな声で話していた。恐らく黒人だからということで撃たれてしまったような気がしてきた。
 タイ人は白人を特別視する人が少なくない。一方で黒人はあまり好きではない。ただ、これは欧米社会での人種差別とは全然違うもので、タイ人特有の価値観の延長線上で、あくまで好きか嫌いかというだけの話だ。ご存知のように、現代タイにおける富裕層というのは多くが華人だ。そして、華人は色白が多い。富裕層はそれなりに自分を磨く金もあるので、女性はより美しく見える。そんなこともあって、タイ人にとって色白はイコール金持ちっぽいし、美人っぽいというのがステレオタイプなイメージになる。タイ人が白人を好きで黒人を嫌いなのは、単にこの価値観の延長線なのだ。
 今回はラチャダー通りという柄の悪いタイ人も来るようなエリアだった。ただでさえ後先を考えずに行動してしまう不良少年が泥酔していたら。そこにやかましい黒人が英語で捲し立ててきたら。こういっては彼らに悪いが、撃たれるのもわかる気がする。

ホワイクワンは下町なので不良も少なくない
ホワイクワンは現地採用で働く日本人も多く暮らすが、下町なので不良も少なくない。写真のように手錠をかけられる若者もよく見かける。

搬送が終わると無線で本部に状況を報告
搬送先の病院ではこのようにノートに傷病者の情報と、我々の隊員番号を記入する。病院によっては我々の個人携帯まで記入しなければならない。


タイの刑事はいたって普通の身なり

 ケニアは英語も公用語でそれなりに話せるし、そこそこ裕福なのか金もクレジットカードもあるということで、最寄りの私立病院「ラマ9ホスピタル」に搬送した。
 ここでいつもの身元確認が必要になったが、英語はできるので問題はないものの、姓名を聞き出すのに苦労した。名前こそマイケルといったイングリッシュネームなのでわかるが、何度聞いても苗字がわからない。紙に書いてもらったが「Njugum」みたいなもので読めない。無線報告するのはタイ人アーサーの役目なので、まあいいか、と僕は諦めてメモをほかの隊員に渡した。
 さすがに凶悪事件の部類に入るので、管轄のホワイクワン署から刑事が来た。といっても、日本のドラマのような刑事の姿はどこにもなく、市場などをうろうろしていそうな、Tシャツに半ズボン、ビーチサンダルの普通の中年タイ人男性だった。一応警察手帳もあるにはあるのだが、胡散臭すぎる。タイの警察署には交通課、機動課、経理課のほかにソープスアン・スープスアンという部門がある。これは日本でいう公安警察のようなもので、制服は一切着ないで一般市民に紛れて生活をし、情報収集や捜査を行っている。恐らく彼らはその部門なのかと思う。
 黒人らは顔もよく憶えていないし、逃走した際のバイクのナンバーも当然見ていない。また、目撃者も発生と同時に逃げ出しているので逮捕は絶望的だと刑事は言った。タイ警察の捜査能力は決して低くない。また、タイ人はIDカードを作成する際に指紋を採っているので、現場に指紋があって、犯人がタイ人の場合は100%検挙可能なレベルではある。しかし、今回はなんの物証もないのでどうしようもないのだ。黒人から聞いた話を僕が刑事にしている間、治療室の方から被害男性の叫ぶ声が聞こえている。
 その後、病院側と報徳堂本部から問題なく搬送したというサインをもらっておけと言われ、再び僕が治療室に入らされた。普通タイ人やほかの外国人ではこんなことはしないのだが、声の大きさから判断するに粗暴であり、黒人ということでやはり信用していないのか、あとでトラブルがないようにという措置だった。
 治療室には治療台に仰向けに寝かされた被害男性とその恋人の女性しかいなかった。医師はまだ来ていない。男性は胃の内容物を吐き出したのか、裸の上半身は吐瀉物で汚れている。けがした部分、つまり下半身もズボン、パンツ共に脱がされ、ほぼ全裸になっている。そして、彼は恋人になにかを怒鳴りつけていた。この声が外にまで聞こえていたのだ。これだけ元気なら僕が見た通り、命に別状はないだろう。
 全裸ではなく、ほぼ全裸というのは、なぜか靴下だけ脱がされていなかったからだ。黒い肌に臑までの中途半端な長さの白いソックス。そして、怒鳴り続ける男性。奇妙な光景だった。恋人もうんざりした顔をしている。よくよくその怒鳴り声を聞くとどうやらこう叫んでいる。
「ソ-ックス! ソーックス!」
 脱がしてくれと言ってたのだろう。僕は思わず笑ってしまったし、申し訳ないが、そらアンタは撃たれるわ、と思ってしまった。

搬送先の病院では傷病者の情報と我々の隊員番号を記入する
搬送先の病院ではこのようにノートに傷病者の情報と、我々の隊員番号を記入する。病院によっては我々の個人携帯まで記入しなければならない。

身分を確認するのに手こずる
搬送が終わると無線で本部に状況を報告する。その間が我々のちょっとした休憩時間。慣れているとはいえ、搬送はアドレナリンが出るので落ち着く時間でもある。


  1. 2016/04/25(月) 20:01:16|
  2. 報徳堂
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プロフィール

Author:bangkokdayori
●プロフィール
高田胤臣(たかだ たねおみ)
タイ在住ライター
報徳堂ボランティア隊ホアイクワン005

1977年東京生まれ
1998年初訪タイ。その後旅行で何度かタイを訪れ、2000年から1年間、ユニオン・ランゲージスクールに語学留学
2002年9月からバンコク在住
2004年11月から華僑報徳善堂にボランティア隊員として参加
2011年2月に彩図社より「バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー共著)、2012年8月に同社より「東南アジア 裏の歩き方」を出版
現在はバンコクに編集部がある月刊総合誌「Gダイアリー」に複数の連載やほぼ毎月特集記事を、ウェブサイト「日刊SPA!」やバンコクの無料誌「DACO」にて不定期で執筆中

http://nature-neneam.boo.jp/

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