バンコク便り

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第25回「レディーボーイはやっぱり男!?」

タイはニューハーフが多いように見えるが実は

 最近はテレビでタイを扱った内容やタイでロケをしたというバラエティー番組が多く、僕が初めてタイに行ったころの1998年以前と比べれば日本国内でタイがかなり浸透したと感じる。
 そんなタイについて、一般的な人が思い浮かべるものと言えばトムヤムクン、ムエタイ、象や寺などがあるかと思う。そして、一度だけでもタイに足を運んだことのある人が挙げるとすれば、ニューハーフが多いというのもあるのではないだろうか。
 ニューハーフのキャバレーショーは観光コースに入っていることもよくあるし、街中の飲食店、小売店で店員をしている姿も見かける。会社員でも普通に働いているし、大学ではトイレをニューハーフ用に用意しているところもある。
 ニューハーフはタイ語ではガトゥーイと呼び、英語ではレディーボーイという。ゲイやレズビアンは同性愛であり、最近は性的な嗜好はノーマルながら女性の服を着る女装子(じょそこ)などもいるが、彼らのは趣味や性癖だ。レディーボーイは性同一性障害(GID)、つまり男性に生まれながら精神面の性別が異なるため、肉体的性別に違和感を感じる精神疾患のひとつになる。原因はいまだ解明されておらず、レディーボーイは3万人にひとりの割合だとされている。
 ここで気がついた人もいるかと思うが、3万人にひとりということは人口から考えると日本の方が多いことになる。実際に医学的には日本の方が多いとされる。ただ、世界的に見ても正確なGIDの数はわかっていない。統計では肉体的性別で登録され、タイのように戸籍変更ができない国もあるし、生まれてから死ぬまで自身がGIDだと気づかないままの人もいる。
 タイはわりと個人主義的なところが強く、他人がどういったことをしていても咎めることはほとんどない。日本は村社会的な面がまだあり、堂々とGIDを公言できる社会ではまだまだない。少なくとも、GIDを表明すると、日本では仕事に制限ができてしまう点は否めない。だから、タイはレディーボーイが多く「見える」というだけに過ぎない。
とはいえ、実際に見える範囲に彼らはたくさんいて、レスキューにおいてもやはり彼らが関わってくる案件というのはしばしばあるものだ。幸い、僕自身が関わってきた事案では深刻なものはなく、どれも笑えるエピソードばかりで・・・・・・。


泣く弟に豹変したレディーボーイ

 今でこそ廃れてしまったラチャダー通りだが、10年くらい前まではディスコや早朝まで営業するレストランで深夜0時以降から賑わっていた。ある夜、待機していた我々ボランティアグループに背の高いスラッとした女性が話しかけてきた。一瞬わからなかったが、レディーボーイだ。
「お財布を落としちゃったみたいなんだけど、手伝ってくれないかしら」
 落ちてましたか、とか、落としましたではなく、あくまで他人事のような感じの言い方だった。彼女(?)のうしろにはシクシクと泣く少年のような男(たぶん18歳以前後くらい)が立っていた。そのレディーボーイの弟で、タクシー乗り場の下にあった排水溝に財布を落としてしまったらしい。運悪く、蓋は鉄格子のようなタイプだった。
 懐中電灯で排水溝の口を照らすと、なんとちょうど財布が沈んでいくところだった。ぽちゃん。そんな音が鳴ったように僕には聞こえた。さらに激しく泣き出す弟。正直、ギャグマンガのシーンのようで僕は笑いをこらえるのに必死だった。そして、さらに予想外の展開になる。
「よし待ってろ! 拾ってやる!」
 ひとりの隊員が言った。ウソでしょ? と内心思っていたが、みんなでその蓋を持ち上げ、彼は本当に排水溝に入っていった。水面は地面から1.5メートルは下にあり、さらに隊員の胸まで浸かってしまうほどに深い。我々は懐中電灯で水面を照らすが、水が濁っているので手探りするしかなく、ゴミばかりを掴んでしまう。
 隊員が必死に探している中、シクシクとまだ泣いている弟。そのときだった。
「いい加減にしろ! イライラするんだよ! 泣くな!」
 完全に男の声で弟を叱りつける兄、いや姉。むしろ弟の方が女に見えた瞬間だった。その数分後、奇跡的に財布はみつかった。ドブに浸かっていた隊員はその日そのまま家に帰っていった。

財布を落として泣いている男
右のうなだれているように見えるのが本文の財布を落として泣いている男。

悪臭を感じる
この距離でそこそこに悪臭を感じる。

懐中電灯で照らす
懐中電灯で照らすが、ほぼ意味はない。

顔まで浸かるほどがんばる隊員
ほぼ顔まで浸かるほどがんばる隊員。ボランティア精神に溢れすぎている。


どっちが女らしいのかわからないケンカ

 レスキューはあくまでも事後処理の係だ。警察とは違い、犯人を捕まえたり、事件事故を未然に防ぐわけではない。同時に、レスキュー本部も積極的に解決する側に回ることをよしとしない。万が一巻き込まれてケガ、あるいは死亡でもしたら困るからだ。
 ラチャダーを始め、繁華街で苦慮するのがケンカだ。タイ人は総じて酒の飲み方が下手で、よく揉めごとを起こす。そのため、繁華街がある地域のチームは大体その近くで待機をしている。そうなるとまさにケンカが始まる瞬間を目撃することもある。
 こういったケンカの仲裁も本部から禁じられている。見方によっては相手に加担したと思われ、逆恨みされるからだ。また、男性のケンカであれば銃やナイフなどもあるし、素手であってもそれなりのパワーがあるので隊員のケガに繋がる恐れがある。ただ、女性同士のケンカの場合はケースによっては仲裁をしてもいいとなっている。殴り合いといっても女性同士であればたかが知れているからだ。
 とはいってもそのルールのどちらに当てはまるかわからないケンカもときに起こる。そう、女の子対レディーボーイのケンカだ。
 ある夜、ラチャダーのディスコ近くでの出来事だ。待機している我々の目の前で怒鳴り合いが始まった。屈強そうなレディーボーイ3人と、小柄でかわいらしい色白の女の子3人だった。どうもこっちを睨んだ睨まないの中学生のような理由で口論になっているようだった。最初こそ罵り合いだったが、そのうち掴み合い、さらには殴り合いにまでなった。
 我々隊員らで顔を見合わせてしまう。このケースは果たして女対女のケンカなのだろうか。僕自身は女の子たちがかわいかったこともあり、ちょっと下心もあって止めに入ってみた。すると、女の子のキックがもろに股間に入ってしまい、その場に崩れ落ち、揉み合いの真ん中でもみくちゃにされた。ズボンは泥だらけで、戦闘に巻き込まれたかのような姿になってしまう。隊員たちは大爆笑だ。
 仕方なく静観していると騒ぎが大きくなってきて、誰かが通報したのか警察官がやってくる。しかし、ヒートアップしている彼女たちは止まらない。そこで警察官が空に向かって1発発砲した。今はこの方法は許されないみたいだが、当時は騒動を少人数の警察官で治めるための方法としてよく使われていた。
 しかし、この方法で止まるのは男だけのようだ。実際にほかの現場で男性の大乱闘現場でそれをするシーンを見たが、1発で静まる。女性の場合、ヒステリックな状態になっていると、互いのテンションが相乗効果を与えてヒートアップするようで、拳銃の音でさらにカーッとなってしまったようだった。
 おもしろいのは、拳銃で女の子たちが「この野郎!」とさらに怒りが倍増したのに対し、レディーボーイたちはピタッと制止してしまったことだ。タイのレディーボーイには男がやや残っているのだろうか。
 止まったことをいいことに、ひとりの女の子がひとりのレディーボーイをパンチし、警察官とそれぞれの男友だちらによって取り押さえられてケンカは終息した。その後、女の子たちは興奮冷めやらぬ状態でレディーボーイたちを睨みつけ、レディーボーイたちは男友だちに「叩かれた~」と泣いてすがっていた。どっちが女らしいのか、わけがわからなくなった。

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  1. 2017/06/15(木) 19:27:18|
  2. 報徳堂
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第24回「プライバシーを守ることを重要視している本部と隊員の意識」

タイ全体の風潮が変わってきた

 僕が初めてタイに来た1998年はまだスカイトレインも走っていなかったし、タクシーもメーター制と交渉制が混在していた。そして、テレビや新聞、雑誌では堂々と死体の写真が掲載されていた。
 ゴーゴーバーなどのパッポン通りに近いホアランポーン寺にある義徳堂支部のガラスケースには事件・事故の現場で死体回収をする隊員たちの誇らしげな姿が貼り出されていた。今でも初めて通ったときのことを憶えている。OLらしき女性たち3人がアイスを片手に列車に轢かれてバラバラになった死体の写真を見ているところだった。
 当時は毎週水曜日に「アチヤーガム」と「191」という雑誌が売られていた。20バーツくらいの値段で、カラーは数ページ。あとはわら半紙のような紙質。中身は死体の写真だらけの、いわゆるクライムマガジンと呼ばれるものだった。日本の男性向け週刊誌のような位置づけなのか、真ん中のページにはちょっとセクシーな女性の写真もあった。
 おもしろいなと思ったのは、そのセクシー女性の写真や女性の死体の写真ではだけた胸元が写っている場合にモザイクがかかっていることだった。セクシー女性はともかく、死体の女性の顔には一切のモザイクはない。本名も住所もさらけ出された上に、腐乱している場合でも顔にモザイクはない。隠す場所がそっちか、と思って見ていたものだ。
 タイのそういった性に関する規制は厳しい。ゴーゴーバーなどの売春施設がこれだけたくさんあるのにも関わらず。極端すぎるのは、アニメ「ドラえもん」でのび太が裸になってしまうシーンで全画面にモザイクがかかったり、犬の飼育本でゴールデンレトリバーの子犬の性器にもモザイクが入っていたりする。
 夕方や夜のニュースでも当時は普通に死体の映像が流れていた。子どもがプールで溺れたというニュースでは底に沈んだままの様子が映し出され、なんというか残酷だなと感じざるをえない画もよく見た。
 これが徐々に変わってきて、今では死体の画像や映像はマスメディアにはまず出なくなった。先のクライムマガジン2誌も完全に鳴りを潜め、どちらかが廃刊になり、残りは仏教ニュースに徹した雑誌に変貌している。
 恐らくだが、大きく変化したのはプーケットの津波からではないかと思う。当時、テレビや新聞、雑誌ではばんばん死体の写真は載った。しかし、欧米人などが不快感を示したのではないだろうか。
 気がついたらもうそういった死体写真はほぼなくなっていた。僕自身がそれに気がついたのは2009年2月23日だ。その前日にイタリア人がチャオプラヤ河の橋で首つり自殺をしたのだけれども、体重が重すぎたのか、首を括って飛び降りた際に首から下がちぎれ、生首がぶら下がる状態になっていたという事件があった。そのときの新聞の写真にモザイクがかかっていたことで、ふと「あ、タイもそういえば死体写真なくなったな」と改めて感じたのだ。

わざわざ手当の演技をしている
スマホが普及する2011年以前はそもそもカメラを持つ隊員も少なく、現場でカメラを構えると逆に隊員、被害者、野次馬含めて写りたがる人が多かった。2007年撮影のこの写真もわざわざ手当の演技をしている。


報徳堂本部もプライバシーに関して口うるさくなった

 僕が報徳堂に入隊したころはまだ都市伝説として「報徳堂の隊員は死体から金品を奪う」という話があった。当時はレスキュー=ポーテクトゥング(報徳堂)と呼ばれていた。タイで最近までコピー機をゼロックスと呼んでいたのと同じだ。だから、本部はその悪い噂を打ち消すために必死で、ボランティア隊員たちにけが人や死体の財産の扱い方に関して厳しく指導していた。
 その代わり、写真撮影などにはなにも指導はなかった。マスコミも国内外に関係なく、ちょっと電話すれば同行許可が降りるほどだった。それがやはり2010年前後を境にかなり変わってしまい、まずマスコミは取材申込みを事前にしなければならなかったし、そのときに死体の写真は撮ってはいけない、被害者の顔も撮るなといった制限が増えた。金を盗むという都市伝説が今はだいぶ風化したので、プライバシーの扱いにシフトしたようである。
 そんな中、報徳堂本部の報道関係のラインに本部のマスコミ対応担当者からメッセージが入った。著作権関係の内容だった。プライバシー侵害や被害者感情の保護などを気にし始めたことから“権利”というものを本部が慎重に考えるようになった。同時にタイ政府が法的にもSNSなどで権利の侵害をしている場合に罰金を科すということを発表したこともそのメッセージ発信に繋がったのだろう。
 報徳堂のグループラインは内輪のものだし、死体の写真は撮影者が隊員自身なので許容範囲としているのだが、本部の担当者は一部のグループメンバーが使用する、花や風景にタイ文字で挨拶や格言がポップとして記載される画像が気になったようだった。
「ライン上で、ダウンロードした画像などを使用している人がいますが、今後無断使用は法的に罰せられる可能性が出てきたので使用禁止です」
 こういった内容だった。基本的にすべて寄付金などで活動している団体としては悪い噂が収益に大きく影響するので、なにかトラブルを抱えることを非常に嫌う(それはどんな組織でも当たり前だが)。特に報徳堂は先の都市伝説への対応など、タイ人にしては珍しく先回りして対策を講じてきている。プライバシーに関しても、フェイスブックなどのSNSが普及するよりも前から動いていたほどだ。
 同時に、タイ人のSNSの拡散力が強くなっている。かつては中流階級以下は社会的な発言力がないに等しかったが、最近はSNSによって一般市民が富裕層の横暴を暴いたりすることもある。軍高官の未成年の娘が無免許で車を運転して乗り合いバンと衝突し9人が死亡した事件が2010年末にあったが、これまでならマスコミにスルーされていたような事件だったがSNSの拡散によって社会問題になり、犯人の少女は裁判にかけられた(その後の判決まではタイのSNSでは騒がないので、詰めが甘いところがあるが)。
 ちょっとしたきっかけがいわゆる“炎上騒ぎ”に発展するのはタイも同じだ。日本の同様の騒ぎと違うのは、ある程度正論を持って不正を糾弾することが前提になっている。日本の、例えばアイドルに恋人がいたなど、ファンが感情的になった無意味な炎上といったものは発生しない。報徳堂本部は内輪のSNS内のこととはいえ、万が一外部に叩かれてしまう可能性を恐れたのだろう。
僕自身は報徳堂のグループラインには書き込みはせず見ているだけだったこともあって、本部の注意書きには「タイも変わったなあ」という風に思うだけだった。
その本部メッセージの数分後、ライン上に新たな投稿があった。開いてみたら、
『了解!』
 というどこかから拾ってきた画像だった。
権利侵害がいけないことは知識としてはあっても、残念ながら行動と合致はまだしないようだ。タイらしいなと感じた出来事だった。

  1. 2017/05/17(水) 20:14:08|
  2. 報徳堂
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第23回「タイ最大の護符刺青の祭りで警護をする報徳堂」

ボランティアは民間の行事にも駆り出される

 報徳堂のボランティア隊員は日夜管轄地域で救急救命活動をするだけでなく、本部の行事やチーム関係者の故郷のイベント、民間に依頼されたときの警護なども担当する。むしろ、本部隊員よりも活動範囲は広いかもしれない。これもまた普段の活動と同じで、一切の謝礼はなく、ボランティアたちのポケットマネーで行動する。
 今回報徳堂のボランティアが駆り出されたのは、護符刺青「サックヤン」に関係したタイ最大の祭りだった。ただ、僕の所属するチームではなく、取材で行った先で見かけたのだが。
 場所はナコンパトム県内、バンコクから西に60キロ程度の距離にあるワット・バーンプラ(バーンプラ寺院)だった。ここはタイで最も有名なタイ仏教の護符刺青の寺だ。サックヤンはチェンマイに王朝があったころからあると言われ、現代タイ人が首からさげる仏像型のお守り「プラクルアン」を作る技術がなかったころ、兵士や警察官が僧侶に経文などを身体に彫ってもらったことが始まりだとされる。
 ワット・バーンプラ自体も今でこそサックヤンで有名な寺だが、建立は1677年ごろ、アユタヤ王朝時代だと言われる。タイの寺院はほとんどが誰がなんの目的で建てたかが明確にわかっている。しかし、この寺院はその資料が一切ないため、いつ、誰が、なぜ作ったのかがわかっていない。
 このサックヤンの祭りは正式には「ワイクルー・ルアンポープン」という。ワイクルーは師への感謝を表する儀式のことで、必ずしも僧侶に対するものではない。学校の教師に対するワイクルーという行事もあるし、ムエタイの試合前に選手が踊る舞もワイクルーだ。
ルアンポープンとは1975年ごろからこの寺院で住職をしていたプラウドムプラチャーナート師のことだ。2002年6月に亡くなったが、亡骸は本堂に安置され、今でもたくさんの信者が日々訪れる。ワイクルー・ルアンポープンはルアンポープンを信奉する人々が集まって、祈るための儀式だ。
そんな信者がここでサックヤンを彫り、ワイクルーがいつの間にかサックヤンに関係した奇祭として見られるようになった。参列するタイ人にとってはあくまでもワイクルーとして神聖な儀式であるのだが、部外者からは変な祭りにしか見えない。それはなぜなのか。本儀式が始まるまでの一部の参列者の奇行が目立つからだ。

信者を受け止めるボランティアたち
突進してきた信者を受け止める報徳堂のボランティアたち。

コツがあるようだ
耳を引っ張ると抜けて行くようだが、コツがあるようでもある。

キャッチしているが、その先からも何人もの人が
信者をキャッチしているが、その先からも何人もの人が走ってくる。


サックヤンのワイクルーが奇祭にしか見えないわけとは

 今年のワイクルーは3月11日に行われた。毎年3月の第1か第2土曜日に開催され、当日の朝9時に本儀式として祈りが捧げられ、解散となる。メディア発表では今年は2万人以上が集まったようだ。
 熱烈な信者は前夜から来て、身体に新たにサックヤンを彫ったり、場所取りをして過ごす。食事は別の信者が無料で配布するので、金もかからない。一部の食事は売られるが、9割の飲食屋台は無料だ。ちなみにワイクルーのオリジナルTシャツが毎年作られ、それは300バーツ(約900円)で販売される。去年、僕はこれで詐欺に遭ってしまった。シャツの代金を渡したのに、その男が逃げてしまったのだ。顔つきは悪そうで街中の店なら絶対に金を渡さなかった。まさか寺院の敷地内で人を騙すなんて思いもしなかった。タイに関わってもう20年くらいになるのに、こんなこともあるんだなと、逆に怒りもないのだけれど。
 場所取りをして会場に座り込んだ数千人の一部の人は、夜が明けてくると神が降臨し、暴れ出す。これが奇祭に見えてしまう原因になる。
 降りてくるのはハヌマーン(サルのような容姿の神)やルーシー(老師)、トラなどだ。突然唸り、震え、立ち上がったかと思うとそれら神々の特徴的な動きを見せながら会場正面のルアンポープン師の像に突進していく。奇声を上げ、座っている人や歩いている人に構わず全速力で突っ込んでくるので危険極まりない。転倒や衝突は頻繁に起こる。
 通常時はひとりふたりが暴れ出すくらいなのだが、タイミングが合ってしまうと数十人から100人以上が一斉に立ち上がり、走り出す。近年のハリウッド映画で見られる、全速力で走ってくるゾンビのような恐さがある。撮影をしていて僕自身も何回も体当たりを喰らった。かすり傷くらいなら毎度のことだ。
 ただ、不思議なのは数千人いても全員に神が降りるわけではないことだ。小一時間見ているとわかってくるのは、降りてくるのはいつも決まった人になる。ほとんどが男性で、毎年女性が暴れることは滅多になかった。今年はなぜか女性で暴れ出した人が見える範囲でも6人はいて、多いと感じた。
入りやすいのか、そうでないのか。あるいは信じやすいのか、そうでないのか。端から見ると悪ふざけにも見えるのだが、信者にとっては神聖な儀式であるし、実際に降臨された人はその瞬間のことを憶えていない。彼らにとっては本当に神に身体を乗っ取られていて、気がついたらルアンポープン像の前にいたと証言する。

体格のいい人が走ってくると危ない
ハヌマーンはスピードがあり、体格のいい人が走ってくると危ない。

軍の人がキャッチしてくれて助かった
こちらに向かってダイブする信者。軍の人がキャッチしてくれて助かった。

今年は女性も少なくなかった
今年のワイクルーは女性で入ってしまう人も少なくなかった。


報徳堂ボランティアが50人以上駆り出されているわけ

 神が降臨し、ルアンポープン師の像へと突進した彼らはその後どうなるのか。ハヌマーンは特に活発な動きをするので、全速力で像に向かっていく。老師はゆっくりだし、トラは這っていくので驚異ではない。危ないのはハヌマーンだ。
 彼らは像まで突進していくが、像の前には軍の兵士や報徳堂のボランティアたちが待ち構え、像に体当たりしないようにガードしている。信者が錯乱状態で来たら、みんなで受け止め、興奮状態を沈めてあげる役割を担う。
 神が入りトランス状態になった彼らはどういうわけか、持ち上げられ踏んばりが利かない状態にされたあとに耳を引っ張られると抜けていく。すると、我に返り、ちょっと恥ずかしげな顔をする者もいれば、興奮が冷めやらず荒い息を吐きながら元いた場所に戻っていく者もいる。
 これが数人程度が走ってくる分には問題ないが、数十人以上が一斉に向かってくると大変だ。しかし、受け止める側は随分と慣れたもので、あっという間に神を抜き、信者をリリースしていく。興奮状態が中途半端だったり、途中で転倒するとその周囲にいる落ち着いた者が耳を引っ張ってあげたりするのだが、一般の信者たちだと不思議となかなか抜けていかない。違いはよくわからないが、報徳堂のボランティアたちは手慣れたものだった。
 ボランティアたちは地元の人なのかと思ったが、聞いてみればミンブリなどのバンコクから来ている人たちだった。いくつかの報徳堂チームが派遣されてきたようだったが、暑い中、紺色の制服で大変だったろう。水や食事は無料とはいえ、普段の救護活動よりきつかったのではないか。寺院からバンコクまでの道は半分が田舎の一本道になる。行きこそ1時間程度で来られるが、バンコクへの帰り道は2万人が一斉に帰るので、3時間はかかってしまう。ご苦労様と労ってあげたい。でも、おもしろそうなので、来年は僕も受け止める側で参加してみたいと思っている。

オリジナルシャツで参加するボランティアもいた
あまりの暑さもあってか、正式なボランティアの紺色制服ではなく、オリジナルシャツで参加するボランティアもいた。

周りも最早見向きもしない
たくさんの人に入り込むので、周りも最早見向きもしない。

この小屋の下にルアンポープン像がある
このサーラー(小屋)の下にルアンポープン像がある。

老師が入った場合は速度が遅い

老師が入った場合は速度が遅いので問題ない。

  1. 2017/03/13(月) 16:17:51|
  2. 報徳堂
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第22回「なぜか被害者が立ち去った事故現場」

サラブリの田舎道で起こった追突事故

 サラブリ県で取材があって1泊ほど滞在したので、以前紹介したサラブリ県の報徳堂ボランティア隊員、湧上和彦さんのチームに同行させてもらった。
 ある金曜の夜10時15分を過ぎたころ、レッカー移動が必要なほどの追突事故が起こったという通報があり、急いで現場に向かった。さすが県全体をカバーする本部だけあり、僕自身が所属するバンコク都内のチームとは移動距離が違った。街灯もほとんどない真っ暗な道を時速120km超で突っ走っておよそ20分。小川を越える橋の斜面でその事故は起こっていた。
 ただ、到着した我々も全員が頭の中に「?」が飛び交う。というのは、追突事故であるはずなのに、なぜか車は1台しかなかったのだ。運転者は地元の40代男性で、本人も認めているが、明らかに飲酒運転だった。いずれにせよタイは日本と違い酒気帯び運転がない。ある程度の数値からが飲酒運転扱いで、それ以下の場合はちゃんと保険も出る。現場で計測していないので酩酊レベルは不明だが、この場合、一目で飲酒とわかるくらいだったので保険適用は難しいかもしれない。
 タイに限らず、交通事故というのはひとつの原因で起こることはない。複数の要因が重なって発生する。簡単にいえば走っているだけでは事故にはならず、そこに不注意が重なるなど、いくつか理由が重なったときに発生するのだ。そのため、一見では理解しがたいケースもあるのはよくあることだが、今回の事故は経過を聞いてもなお意味がわからないものだった。

見通しは決して悪くない場所であった。
現場はこのように真っ暗ではあるが、見通しは決して悪くない場所であった。

車は通らないほどの田舎だ。
バンコクと同様に一応交通整理にボランティアが立つが、車は通らないほどの田舎だ。

レッカー車で移動させる。
自走不可能な車は報徳堂のボランティアが用意したレッカー車で移動させる。



相手にもなにか重大な問題があった可能性

 加害運転手の話によると、橋を越えたところで前を走る白のピックアップトラック後部に思いっきり突っ込んでしまった。被害運転手が降りてきたが、加害者を見て「明日以降に連絡をするから」といい、加害運転手のIDカード、車の登録証などを持って立ち去ったのだという。加害者は被害者側の連絡先は聞いておらず、連絡の術はなかった。
 現場の状況を見ると被害者側にまったく非はない。それにも関わらず、その場での示談、あるいは警察を呼んで現場検証すらしないで立ち去った。タイでは人身事故でなければ保険会社を通すなどで示談にすることが多い。警察が現場検証を行うと交通渋滞を引き起こしたなど規律を乱した迷惑料といった名目で400バーツ程度の罰金が科せられることもある。しかし、それも加害者が負担するものであり、被害者にはなんら立ち去る理由がないのだ。
 こんなケースは僕自身も見たことがないし、サラブリの本部隊員ですら初めてだということで理解できない状態にあった。当の被害者はいないので話を聞くにも聞けない。そこで推測されるのが以下の理由だ。

①飲酒運転を考慮し、後日改めて話し合うことで保険を使えるようにする
②あえて後日にすることで請求額をつり上げる魂胆がある
③被害者側にも警察に会いたくない理由があり、ほとぼりがさめてから話し合う

 まず①の場合、仮に加害者の保険が使えなかったとしても被害者の保険会社が修理費用を立て替え、後日加害者に請求することができる。だから、①の理由で立ち去った可能性もあるが、それは極めて無知な行動になる。
 ②は、例えば病院に行ってむち打ちになったと訴え、診断書などを手に入れて請求額をつり上げるといった可能性だ。加害者は書類を渡しただけでなんら条件設定をしないままに立ち去られている。こういったカタギとは言い難い理由があったかもしれない。
 ③は麻薬などの犯罪に関わっているといった理由などで被害者やその同乗者たちは警察に会いたくなかったのかもしれない。かといって逃げられても困るので、書類を確保して立ち去った。あるいは②も同時進行で行う可能性もある。
 こういった事件・事故の結果は我々レスキューでは把握できないことが多い。あくまでも現場での対応が任務で、その後を追うことは滅多にない。この事故でも加害者はレスキュー隊員らの勧めで警察に連絡し、事故を報告。その後、加害者も警察署へと連行されていった。だから、すべては推測でしかない。
 僕が思うには、可能性としては③が一番高いのではないか。書類を持って立ち去るという手際のよさ。そんな人物が①のような無知なことはしないだろうし、②もわざわざ日を改めて請求額をつり上げるくらいならその場でふっかけてくるのではないか。そうなると③のような、相手側にも犯罪の臭いが感じられなくもない。
 結局、不可解なのはいつも人間の心だ。レスキューに関わっているとよくそう感じるのである。

立ち尽くしてしまったボランティアたち。
加害運転手の話を聞きながら、思わず立ち尽くしてしまったボランティアたち。

かなりの勢いで衝突している。
追突車両を横から見ると、かなりの勢いで衝突している。

  1. 2017/01/05(木) 17:17:06|
  2. 報徳堂
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第21回「国王崩御から10日 バンコクの様子」

国王がいかに敬愛されていたかを改めて感じる

 今回はレスキューとは若干関係ない内容になるが、タイの歴史が大きく変わったときの話を書いておきたい。
 今月13日の夕方、プーミポンアドゥンヤデート国王陛下が崩御したという非公式の情報がタイ人の間を一斉に駆け巡った。数日前にかなり容態が悪いことがニュースになり、近隣の市民が入院されていたシリラート病院に駆けつけるなど、その時点でこれまでの国王陛下の容態のニュースとは物々しさが違っていた。そして、13日の夕方に公式発表の準備をする国家公務員から漏れたと思われるメールがSNSを中心に出回り、同日19時に政府からの公式発表があった。
 日本の皇室とは違って、タイでは王室というよりもプーミポンアドゥンヤデート国王自身に人気がある。そのため、タイ国内ではおおっぴらに国王崩御によりタイがどうなるかという議論はされていなかったものの、国内外で王位継承権者たちによる争いがあるのではないか、また混乱によって大不況になるのではないか、という予測が密かにあった。実際、数年前から内戦を恐れて国外に移住したタイ人もわずかながらにいたほどだ。
 ところが、継承権第1位の皇太子が喪に服したのちに即位することが崩御した夜には発表され、タイ政府も公務員は向こう1年間は喪に服すこと、一般市民に関しては喪に服すことを強制はせず、向こう1ヶ月間だけ派手なイベントをしないように呼びかけたに過ぎない。日本人にとってはまだそれほど古い記憶ではない昭和天皇崩御した数日間と比べて驚くほどに差があった。むしろタイの場合はもっと暗い雰囲気になり、店もすべて閉まってしまうなどがあるのではないかと多くが思っていた。しかし、翌14日においてもすべてがいつも通りだった。企業や飲食店、小売店なども休業したのはほんの一部のみで、バンコク中心はいつも通り渋滞が発生していたし、タクシーも走り、ピザの配達人が働いていた。物乞いも道に座っていたし、夜のバーもほとんどが静かにだが開いていた。

至って普通の日々が営まれている
国王が崩御しても、渋滞は発生するし、ピザの配達も行われている。至って普通の日々が営まれている。


 ただ、街中は黒い服を着たタイ人で溢れていた。喪に服すことを強制されてはいなかったが、敬愛する国王陛下の崩御で悲しみを表して黒、あるいは白い服を着ていた。正直、僕自身は「案外みんな黒い服を持っているものだな」と思った。黒い服は喪服というわけではなく、あくまで黒ければTシャツでもなんでもいいのだが、さすがにそれくらいは持っている人は少なくなかった。また、商魂たくましいというか、市場や繁華街の服飾店ではちゃっかり黒い服が売られてもいた。さすがに商売人で喪に服すために安くするというわけでもなく、買えない人のために街中には染色を安価で引き受ける業者もはびこっていて、古いシャツを黒に染めてくれている。
 14日は昼過ぎから市内を歩いて見た。いつも通りの風景だったが、高架電車のスカイトレイン車内のテレビや街中の大型のビジョンは広告放送を取り止めていた。ATMを始め、多くの企業のホームページも白黒になっていた。ウェブサイト上の色合いはすぐにいじれるにしても、商業施設などで白黒の大きな横断幕が飾られていたのには、穿った見方をすれば事前に用意していたのではないかと思ってしまう。噂レベルではあるが、政府もこのところ計画していたイベントはすべて2パターンあったという。急遽崩御された場合に備えていたとは言われている。
 崩御からおよそ丸1日が経過した14日の16時半ごろ、伊勢丹が入居するセントラル・ワールド前の大型ビジョンではシリラート病院から王宮へと出発する国王の棺の車列が映し出された。多くの人が足を止めて見上げる。映像内では沿道にたくさんの人が集まっていた。昼過ぎの時点でセンセーブ運河の旅客ボートは定員オーバー状態でフル稼動していて、王宮近辺まで行くことも困難を極めた。そのため、プラトゥーナームで断念して伊勢丹前のビジョンでその様子を視聴する人も多かった。あくまでもテレビから車列を見ているだけだったにも関わらず、周囲からはすすり泣く声が聞こえてきた。
 10月22日には王宮広場で30万人(報道によっては15万人だとか数十万人)以上が集まって国王賛歌を歌った。このとき、僕自身は仕事であるコンベンションセンターにイベント取材に行っていたのだが、同じ時間に会場でも国王賛歌の合唱となった。おそらく、30万人どころか、タイ全土で一斉に歌われたのではないだろうか。
 タイで暮らしていると生活の端々に国王への想いを感じ取ることができるが、このときもまたプーミポンアドゥンヤデート国王陛下がいかに慕われていたかを改めて体感した。

商業施設では黒い服の売れ行きが好調
商業施設では黒い服がヒット商品かのごとく並べられ、売れ行きも好調のようである。



それでもタイは平常運転中

 日本人在住者たちがフェイスブックなどに書き込みをしているのは「タイ旅行を中止すべきかどうか」の問い合わせが多いということだ。どうも日本の報道はタイが混乱しているだとか、経済活動が停滞しているといった内容が多いらしい。僕自身の母親から「物資が不足していて買い出しに行かないといけないんだって?」と言われた。
 まったくもってそんなことはない。タイはむしろ平常運転だ。変わったことといえば、黒服が増えたことと、派手はイベントがないこと、バーや居酒屋などが通常深夜2時閉店のところ0時に閉めてしまうことくらいだ。確かに喪に服した公務員がそれを理由に様々な手続きを遅延させて景気に影響が出る可能性はあるかもしれない。しかし、崩御から10日たった現在、なんら崩御に関連した混乱は起きていない。そして、体感的にも大きな出来事は起こらず、平穏に時間が過ぎていくような気がする。

すすり泣く声もあちらこちらから聞こえた
買いものに訪れた人々が足を止めて大型ビジョンを眺める。すすり泣く声もあちらこちらから聞こえた。


国王陛下のニュースを見上げる人
伊勢丹の前の大型ビジョンで放映される国王陛下のニュースを見上げる人。


 タイ人はいい意味でも悪い意味でも、2006年から続く現在の政情不安に疲弊し、慣れてしまったのだと思う。だから、この数十年で最も大きな出来事となってしまった国王崩御でも落ち着いた行動が取れたのではないか。
 タイはあまりにも平常過ぎて、犯罪も普通に発生している。昨日は報徳堂の報道担当者間で作成されているLINEのグループによれば拳銃自殺まであった。
 日本と比べればタイの治安は元々悪い。その点ではなんら変化はなく、だから国王の崩御でタイ旅行を中止するべきかという問いに関して、僕自身は不要だと答えたい。喪に服すべきで、あまり派手な行動は慎まなければならないけれど、特に旅行を中止するほどの混乱はない。
 ただ、カオサン通りに泊まりたい低予算旅行者はちょっと検討が必要かもしれない。今は国王の棺が王宮に納められており、最後のお別れをしようとタイ全土からタイ人が駆けつけている。そのため、周辺は大混乱になっており、旅行者として滞在はしづらいと思う。
 王宮や王宮広場周辺ではバイクタクシーなどが王宮へ来た人々のために無料運行をしていたり、食べものや水を配る個人的なボランティアも増えている。報徳堂もまた昼間は本部が炊き出しをしているし、夜間は全国からやって来たボランティアが交代で食事を配布している。
 タイでは災害や事件が発生すると自発的に私財を投入した個人ボランティアが現れる。仏教国らしい一面でもあるし、今回の件に関してはいかに国王が愛されていたのかがわかり、また、こういった事態だからこそタイ人はひとつにまとまりやすいという国民性を見ることができたと思う。もう少し落ち着いたら、僕も報徳堂の一員として王宮の炊き出しに参加しようと思っている。

国王陛下の棺が移送された
14日16時30分ごろ、国王陛下の棺が移送された。セントラル・ワールド館内では同時刻にその事実と、国王を讃えるアナウンスが放送された。


ボートで棺が王宮に移される場に向かう人々
14日、シリラート病院から国王の棺が王宮に移される場に立ち会おうと、センセーブ運河のボートで向かう人々。プラトゥーナーム乗り場でこの時間帯にこれほどの人が集まることは普段はない。


棺の移送を見つめる守衛たち
仕事の手を休め、ビジョンに映し出される国王の棺の移送を見つめる守衛たち。

  1. 2016/10/25(火) 14:00:32|
  2. タイ国王陛下
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第20回「報徳堂のサラブリ支部にお邪魔してきた」

日本人3人目のボランティア隊員

 現時点で報徳堂に登録されているボランティア隊員のうち日本人はふたりいる。僕自身と同じチームに所属する年嵩の僕の友人だ。ただ、この人は忙しくて参加できないため、うちの隊長が怒って登録抹消に動いているので、実質的には僕ひとりと言ってもいい。
 しかし、人種でいうと日本人登録は3人になる。タイはタイ族だけでなく、中華系、インド系、山岳民族、マレーシアやベトナム系などの近隣諸国の系統など多民族国家になる。そのため、公的な書類にも「サンチャート(国籍)」と「チュアチャート(人種)」という欄がある。もうひとりの日本人ボランティアはタイに帰化した日本人、いうなれば日系タイ人となる。報徳堂の登記上もタイ人になっている。
 この人物が所属しているのはバンコクから北へ約130キロにあるサラブリ県の報徳同支部になる。タイ中央部の端にいるこの方を訪ねて、サラブリの活動に一晩だけ参加してきた。
 報徳堂3人目の日本人ボランティア隊員は湧上和彦さんだ。1966年に沖縄で生まれたが、3歳で両親の都合によりタイに移住。両親は農業関係の慈善事業のためにタイに来たので、そのまま湧上さんも居住を続けている。すでにタイでの生活が48年目に入っていて、日本語は普通に話せるし、タイ語も現地人と同じイントネーションで話す。
 レスキュー活動で大切な道具は無線だ。タイの無線はコード番号が多くて内容を理解するのが難しい。ただでさえ外国語なのにコードも多いし、無線機だと抑揚がなく聞こえるためにそもそもタイ人でも不慣れな場合は聞き取りができない。これだけは今でも僕は不慣れなままでいる。
 しかし、湧上さんはこれをさらっとやっていた。むしろほかの隊員よりも積極的に無線で会話をしていたので、正直僕は悔しかった。ずっとタイで暮らしていたし、湧上さんは10代のころから無線をいじっていたマニアだったそうなので、僕なんかが追いつけるようなレベルではないのだけれども。
 湧上さんはタイに来た当初はバンコクにいた。1988年になってこれもまた両親の都合のため、家族でサラブリ県に引っ越してきた。そんな湧上さんが報徳堂に興味を持ったのは実はごく最近のことだった。当然存在は知っていたが、ボランティアというのがあることもよくわかっていなかったという。結局、タイで暮らす人にとってはボランティアによる救急救命活動はその程度しか知られていないということだ。
 湧上さんは2001年ごろに農業関係の製品を扱う会社を設立した。タイ人は仏教の教えから功徳をよく積むが、個人だけでなく企業も社会貢献を当たり前のように行う。まるで欧米のように慈善活動の考え方が進んでいる中、湧上さんの会社でもプーケットでの津波や洪水などで直接、あるいは間接的に支援を行った。特に洪水災害のために報徳堂サラブリ支部におよそ240万円相当の小型ボートと発動機を寄付したりもした。それでもなお、湧上さんは報徳堂のことをよく理解していなかったそうだ。
 そんな湧上さんがボランティアになったのは報徳堂サラブリ支部の幹部と趣味のバイク関係で知り合うきっかけがあったからだ。その後、誘われてボランティアに参加することになった。今では報徳堂本部にいる正規隊員とも仲がよく、10年以上やっている僕よりも報徳堂内に知り合いが多い。

湧上和彦さん。
タイに来て48年、タイ国籍を取得している湧上和彦さん。


トラブルを事前に牽制する。
サラブリ県内のチームを湧上さんが訪問し、トラブルを事前に牽制する。



バンコクとサラブリの大きな違い

 湧上さんの報徳堂サラブリ支部でのポジションはボランティア隊員のひとりというよりは相談役のような存在になっている。
 サラブリ支部や他県の報徳堂の支部がバンコクの本部と大きく違うのが、管理者を含めてボランティアしかいないという点だ。本部は正規の職員らがいて管理などをしているし、警察直属の指揮下に入るのもまた正規のレスキュー隊員で、あくまでボランティアは補助要員である。しかし、他県ではボランティアが支部を運営し、主体となって活動している。
 この点はバンコクと大きく違い、僕も湧上さんに話を聞くまでは知らなかった。そんな環境にあるので、湧上さんは年齢的にも社会的地位でも普通の若いボランティアよりは上になるので、相談役としてのポジションをあてがわれたのだ。
「ボランティアで人助けをするわけですから基本的にはいい人ばかりなんですが、中には短絡的な人間もいます。サラブリ支部が県内のボランティア隊員を統括していますが、人間関係に幹部はいつも頭を抱えています」
 と湧上さんは話す。サラブリ県の報徳堂は支部本部を中心に警察署管轄ごとにチーム分けされている。サラブリ県内だけでも現在は総勢で610人にも上る。ボランティアの救急車も50台もの登録があって、バンコクよりは小さいといっても大所帯だ。そうなれば隊員やチーム間のトラブルはあとを絶たない。
 そこに現れたのが湧上さんというわけだ。タイ人は外国人を部外者として見る傾向にあって、表面上は仲よくしていても内心では一線を画している。サラブリ本部のタイ人幹部がトラブルの仲介に立つと角が立ってしまうが、日本人として扱われている湧上さんが間に立てば意外と言うことを聞いてくれる。タイ人は人間関係の立ち回り方が上手な国民性がある。サラブリ支部幹部も湧上さんをうまく利用しているようだった。

チームによって待機場所は違っている。
チームによって待機場所は違っており、ガソリンスタンドもあれば、路上、コンビニ前、警察署敷地内など様々。


発電機と照明セットを持って救助に当たる。
地方だと暗闇も多いため、発電機と照明セットを持って救助に当たるチームもある。バンコクでは考えられない装備。



未成年者が報徳堂に参加する意義

 僕がサラブリ支部での活動に参加した日は結局なんの事件も起こらなかった。その代わり、各チームを表敬訪問し、いろいろと事情を聞かせてもらった。そこで知ったのがまず報徳堂サラブリ支部にはボランティアしかレスキュー関係者がいないということだった。
 そしてもうひとつ、バンコクとサラブリで決定的に違う点があった。
 それは、サラブリでは未成年者がレスキュー活動に参加していたことだ。
 バンコクでは20歳以上の者で、かつ応急処置訓練初級コースを修了していないとボランティアに申し込むことすらできない。未成年者もときにバンコクの現場で見かけるが、それは隊員の実子が親の監督の下で一緒にいるだけだ。それがサラブリでは未成年者が単独で活動に参加していた。湧上さんが改めて説明をしてくれる。
「サラブリ支部では20歳未満は親の承諾書を添付すれば登録が可能です。親もバイクで暴走したり、アルコールや麻薬に走るよりはいいということで参加を許しています」
 タイの地方では中学生がバイク通学することは珍しくない。免許証の取得可能年齢は日本と同じなのだが、田舎の方では足がなければなにもできない。警察も制服姿でバイクを運転している場合は無免許でも見逃してくれるようだ。だが、日本と同じで若さゆえに競走したり、暴走族のように傍若無人に振る舞う若者もいる。特に田舎だと娯楽が少ないので、そんな遊びに興じる子どもも出てきてしまう。さらに、タイは麻薬も身近な存在だ。日本ではありえないが、タイの中学高校では学校側が積極的に麻薬検査を実施するほど深刻でもある。
 それよりは報徳堂に預けておけば安心だし、実際に事件事故を目の当たりにして危ないことを控えるようになるしで、一石二鳥だと親も任せてくれる。表敬訪問したあるチームのリーダーは
「必ずチーム内で誰が面倒を見るかを決め、参加中はずっとその隊員と一緒にいさせます。もし彼らが活動に来ないときはこちらから親に電話をして、我々と一緒にいないということを伝えています。責任を持って預かっていますよ」
 と言った。バンコクではボランティアだけでも数千人はいるとされているので、未成年者を受け入れるのは管理的に難しい。地方ならではの対応である。
 他県では救急救命が意外な方法でも社会貢献をしているということを知ることができた。

チームによってカラーがまったく違う。
チームによってカラーがまったく違い、統率が取れているところもあれば、若者ばかりで楽しくやっているところもある。


地元企業や住民が待機所まで提供してくれている。
区域によっては地元企業や住民が写真のような待機所まで提供してくれている。右の方にいる坊主頭ふたりがこのチームの未成年隊員。

  1. 2016/09/25(日) 18:03:17|
  2. 報徳堂
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第19回「先輩の死」

死亡現場には慣れていても、仲間の死はなお重い

 本業の営業で、毎年僕は東京に滞在する。2016年度は5月中旬から長めに時間を取って27日間滞在した。あと3日でタイ帰国だという6月8日、同じチームに所属する先輩が突然亡くなった。ギアンさんで、確か46歳だったかと思う。仲間の死にショックは隠せなかった。僕が正式に入隊した2004年からずっと優しくしてくれた人だ。夫婦で参加していて、いつも仲よくしていた。
 僕はホワイクワン-スティサン・チームにおいて最初のころから「タナカタケシ」と呼ばれている。ある人はタケシと呼び、ある人はタナカと呼ぶ。タカダが言いにくいため、タナカになっているのかと思う。タケシも推測では当時タイの衛星放送「UBC」(現在は携帯電話キャリアのトゥルーの「TRUE VISION」になっている)で、昔の日本のテレビ番組「風雲たけし城」が放映されていたことから来ているのだろう。そんな中、このギアンさんと奥さんだけは僕のことをちゃんと「高田胤臣」と認識してくれていた。
 タイでは慈善活動がよく行われる。功徳を積むための行動であり、参加には社会的地位によって役割が決まっている。富裕層は金を出し、金がない層は身体を使って奉仕する。報徳堂のボランティアも金持ちは活動資金を出し、中流以下の層がボランティア隊員として活動する。本当の貧困層はさすがに参加する余裕はないので、中の下の層までがボランティアになる。
 こう言ってはいけないのだが、事実としてボランティアには頭のよろしくない人が少なくない。さすがに人助けをしようという者ばかりなので根はいいし、悪人はいない。ただ、残念ながら想像力に欠ける人がいるのも事実だ。というのは、例えば僕は外国人であり、タイ語を完璧に話せるわけではない。いわば中学生レベルのタイ語を話しているのかと思う。だからといって、僕自身の人間性が10代前半であるわけではない。当たり前なのだが、彼らの中にはタイ語レベルから判断して僕を見下している人がいる。
 しかし、ギアンさんは2004年11月に初めて会ったときから違っていた。僕のタイ語にも耳を傾け、疑問に思ったことを質問すると丁寧に教えてくれた。3年前にチーム内の人間関係の悪化が発端で所属人数が激減したときがあった。たまたまその時期は忙しくてあまり活動に参加していなかったので僕自身はまったく知らなかった。なにがあったのか訊いてもほかの人が言葉を濁す中、ギアンさんはちゃんと中立の立場で状況を説明してくれた。どちらかというと僕もそのタイミングでチームを抜けたいと考えたが、ギアンさんが残るので僕も残ることにしたくらいだった。
 そんなギアンさんとはタイミングが合わずにしばらく会えずにいた。それが結果的にこんなことになるなんて。もっと話したいことはいっぱいあった。本当に残念で仕方がない。

チームでサラブリに遊びに行ったときの写真。
7年前にチームでサラブリに遊びに行ったときの写真。中央辺りのシャツを着て立っているのがギアンさんで、左端が奥さん。

献体を寺に運んだときの様子。
今年の、献体を寺に運んだときの様子。まさか1ヶ月もしないうちに仲間を運んで戻ってくるとは誰も思っていなかったろう。



死んでもなおギアンさんらしい最期だった

 ギアンさんの死因はタイ語では「ポート・ティッチュア」という。肺感染症のことだが、日本語で調べても要領を得ない。そこでちゃんと仲間に聞いてみたのだが、ますます首をひねるばかりであった。
 というのは、ギアンさんは持病があり、それに伴って最近は少し体調が悪かったらしい。それにも関わらず、彼は趣味になっていたスキューバダイビングに出かけた。
 報徳堂本部のレスキュー部門の隊員は必ずスキューバダイビングの講習を受ける。バンコクには運河が多く、都内での水難事故もあるし、郊外でもそういった事件事故は頻発するためだ。それが去年、一昨年くらいからボランティア隊員も自前で講習を受け始めた。これはタイの景気がよく、金銭的に余裕ができたからというのもある。しかし、タイではほとんどの学校にプールがないので、30代以上だと泳げない人は少なくない。また、スキューバダイビングも最近になってタイ人が嗜むようになったので、日本のように専門用語がタイ語化されていない。そうなると教科書を読むに当たっても単語ひとつひとつの解説から入らなければならず、日本人インストラクターに聞いたところでは「授業時間は日本人の3倍から5倍はかかる」というほど。そのため、ギアンさんらもかなり前から講習をやっているが、いまだに練習といった域の様子であった。僕自身は日本で潜水士の免許を取っており、もう20年くらい潜っていないが、知識は多少あるのでその講習には参加していない。
 ギアンさんは6月5日前後にも潜りに出かけている。このときにタンク、もしくはレギュレーター(空気を吸うために口に咥える装置)からなにかの菌が肺に入り込み、わずか3日で亡くなってしまったという。レギュレーターから肺感染症になるというのは稀ではあるがあるらしい。僕はそうギアンさんの死因の説明を受けた。
 ギアンさんは亡くなってもなおボランティア精神に溢れていた。亡骸はチュラロンコーン大学の医学部に献体され、早朝に亡くなり、夕方には医学部に運ばれた。そして、来年に解剖実習が終わったら残った骨を解剖学の研究に使ってもらうようにという遺言もあった。タイの一般的な献体では、実習が毎年4月か5月に終わり、家族の元に返される(実際は家族の元で葬儀が行われ、荼毘に付される)。しかし、ギアンさんの場合はすべてが医学に利用され、家族の元に身体は帰ってこない。
 ギアンさんの奥さんも報徳堂のボランティアなので、その精神に納得されているようであった。幸い、ふたりの間に生まれた息子と娘は成人している。奥さんも悲しみこそあれ、この先の生活で苦労することはなさそうでよかった。
 大好きな先輩が亡くなって僕もショックは大きい。しかし、亡くなってもなお医学に貢献しようという気持ちは素晴らしいし、やっぱりギアンさんはギアンさんだったと思う。報徳堂の隊員としても初めての献体希望者だったらしく、テレビでも大きく扱われたという。
 
墓の清掃に参加したとき。
ラーチャブリー県の墓の清掃に参加したとき。白いはちまきをしているのが僕で、左の迷彩帽子を被っているのがギアンさん。

病院にけが人を運んできたときの様子。
国立病院にけが人を運んできたときの様子。夫婦でいつも仲よく参加していた。
  1. 2016/07/11(月) 04:35:12|
  2. 報徳堂
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第18回「目の前で黒人が撃たれた!」

大通りに響いた銃声

 その日、最初のけが人が発生したのは深夜1時だった。現場に急行し、戦勝記念塔の国立病院に送り届けた。
 我々報徳堂や義徳堂などの慈善団体が傷病者を病院に運ぶと、国から奨励金が1件につき350~500バーツ程度が支払われている。本部としても活動費を稼がなければならないので、取りこぼしのないようにする。そのために必要なのが本部への報告だ。毎回、搬送が完了すると、傷病者の氏名や年齢、住所を無線で本部に報告する。タイ人は14歳以上にはIDカード携帯義務があるなので、身元は簡単に判明する。
 これに伴い、我々アーサーは応急処置のほかに身分確認という作業が必須になる。ただ、これが結構厄介でもある。軽傷だったり、まともな人であればすべてはスムーズに終わる。しかし、意識不明だと財布を盗んだなどと疑われないように知り合いをまずは探さなければならないし、泥酔しているとIDカードを出すまでにこちらが頭を下げなければならなくなる。病院にていずれ出さないと治療は受けられないので、ごねる意味がまったくないのにも関わらず、揉めてしまうこともあるのだ。
 病院側も誰が搬送してきたかを明確にしておくことと、奨励金を支払うために国の機関(恐らく救急医療を管轄する公共保健省)へ情報提供しなければならず、搬入ノートを用意している。国立病院だと報徳堂専用ノートなどもあって、そこに隊員番号、傷病者名、発生場所と時間などを記入する。デジタル化すればいいのだが、これは2004年に初めて僕は入隊したときからなんら変わる気配はない。
 そんなわけで、傷病者を搬送すると1件だけでも案外時間がかかる。その日は1時に発生したけが人を送り届け、再びラチャダー通りに戻ってきたときには深夜2時をやや過ぎていた。タイのバーやディスコは深夜2時までしか営業できない。イメージではバンコクは眠らない街と思われがちだが、意外と日本よりも早く終わってしまう。
 2時が過ぎ、ラチャダー通りソイ4のパブ街からたくさんの酔客が吐き出されてきていた。そして、それを目当てにしたタクシーが彼らを待ち構える。それによって大渋滞が発生する。
 僕はピックアップ・トラックを改造した救急車の荷台に座っていた。ソイ4とは反対側の下り車線も大渋滞だった。上下線とも4車線のうち2車線を酔客が埋め、1車線をタクシーが停車して堰き止めている。渋滞は当然で、あまりのモラルのなさに僕は呆れながら反対車線を眺めていた。
 そのときだった。乾いた破裂音が響き、反対車線の人々が叫び声を上げながら逃げ惑う。タイで暮らしていると絶対に日本では体験しないことが嫌でもできる。僕自身ももう何度か経験したことがあるので、なにが起きたかすぐにわかった。銃声だ。発砲事件が目の前で発生し、人々が逃げ出しているのだ。
 逃げ惑う人々の足下に、ひとり、うしろに倒れ込んだ人影が見えた。瞬間、僕は運転手に向かって叫んだ。
「人が撃たれた!」


酔った不良が撃った?

 荷台から飛び降りて、中央分離帯の柵を乗り越え倒れている男性に駆け寄った。黒人の男性だった。友人男性と恋人らしき女性、被害男性の3人組はアフリカのケニアから来た旅行者で、被害男性が犯人に最も近く、被弾した。
 3人は動揺しており、助かるのかとしきりに訊く。弾は足の付け根の辺りに命中していたが、背中側には抜けていなかった。医師ではないのではっきりは言えないが、僕の意見は大丈夫だと思うと答えた。幸い、被害男性の意識ははっきりしていたし、出血もほとんどない。もちろん素人目で判断してはいけないのだが。
 女性は救急車を呼んでくれと言う。彼らには報徳堂の制服はわからない。救急車は今向かっていると告げた。だが、この渋滞ではわずかの距離でも10分はかかる。応急手当だけして、発生した状況を聞き出す。
 ソイ6の巨大ディスコ「ハリウッド」で遊んだあと、プラトゥーナームの宿に帰るために歩いてここまで来たが方向は合っているのかと訊いたところ、いきなり撃たれたのだという。銃は、銃声もそれほど大きくなかったことから小型のものか、違法製造されたペン型銃ではないかと推測される。被弾したとはいえ、幸い発射されたのは1発だけだった。
 僕に話すときは英語だが、3人の会話はスワヒリ語らしき言葉で、それもかなり大きな声で話していた。恐らく黒人だからということで撃たれてしまったような気がしてきた。
 タイ人は白人を特別視する人が少なくない。一方で黒人はあまり好きではない。ただ、これは欧米社会での人種差別とは全然違うもので、タイ人特有の価値観の延長線上で、あくまで好きか嫌いかというだけの話だ。ご存知のように、現代タイにおける富裕層というのは多くが華人だ。そして、華人は色白が多い。富裕層はそれなりに自分を磨く金もあるので、女性はより美しく見える。そんなこともあって、タイ人にとって色白はイコール金持ちっぽいし、美人っぽいというのがステレオタイプなイメージになる。タイ人が白人を好きで黒人を嫌いなのは、単にこの価値観の延長線なのだ。
 今回はラチャダー通りという柄の悪いタイ人も来るようなエリアだった。ただでさえ後先を考えずに行動してしまう不良少年が泥酔していたら。そこにやかましい黒人が英語で捲し立ててきたら。こういっては彼らに悪いが、撃たれるのもわかる気がする。

ホワイクワンは下町なので不良も少なくない
ホワイクワンは現地採用で働く日本人も多く暮らすが、下町なので不良も少なくない。写真のように手錠をかけられる若者もよく見かける。

搬送が終わると無線で本部に状況を報告
搬送先の病院ではこのようにノートに傷病者の情報と、我々の隊員番号を記入する。病院によっては我々の個人携帯まで記入しなければならない。


タイの刑事はいたって普通の身なり

 ケニアは英語も公用語でそれなりに話せるし、そこそこ裕福なのか金もクレジットカードもあるということで、最寄りの私立病院「ラマ9ホスピタル」に搬送した。
 ここでいつもの身元確認が必要になったが、英語はできるので問題はないものの、姓名を聞き出すのに苦労した。名前こそマイケルといったイングリッシュネームなのでわかるが、何度聞いても苗字がわからない。紙に書いてもらったが「Njugum」みたいなもので読めない。無線報告するのはタイ人アーサーの役目なので、まあいいか、と僕は諦めてメモをほかの隊員に渡した。
 さすがに凶悪事件の部類に入るので、管轄のホワイクワン署から刑事が来た。といっても、日本のドラマのような刑事の姿はどこにもなく、市場などをうろうろしていそうな、Tシャツに半ズボン、ビーチサンダルの普通の中年タイ人男性だった。一応警察手帳もあるにはあるのだが、胡散臭すぎる。タイの警察署には交通課、機動課、経理課のほかにソープスアン・スープスアンという部門がある。これは日本でいう公安警察のようなもので、制服は一切着ないで一般市民に紛れて生活をし、情報収集や捜査を行っている。恐らく彼らはその部門なのかと思う。
 黒人らは顔もよく憶えていないし、逃走した際のバイクのナンバーも当然見ていない。また、目撃者も発生と同時に逃げ出しているので逮捕は絶望的だと刑事は言った。タイ警察の捜査能力は決して低くない。また、タイ人はIDカードを作成する際に指紋を採っているので、現場に指紋があって、犯人がタイ人の場合は100%検挙可能なレベルではある。しかし、今回はなんの物証もないのでどうしようもないのだ。黒人から聞いた話を僕が刑事にしている間、治療室の方から被害男性の叫ぶ声が聞こえている。
 その後、病院側と報徳堂本部から問題なく搬送したというサインをもらっておけと言われ、再び僕が治療室に入らされた。普通タイ人やほかの外国人ではこんなことはしないのだが、声の大きさから判断するに粗暴であり、黒人ということでやはり信用していないのか、あとでトラブルがないようにという措置だった。
 治療室には治療台に仰向けに寝かされた被害男性とその恋人の女性しかいなかった。医師はまだ来ていない。男性は胃の内容物を吐き出したのか、裸の上半身は吐瀉物で汚れている。けがした部分、つまり下半身もズボン、パンツ共に脱がされ、ほぼ全裸になっている。そして、彼は恋人になにかを怒鳴りつけていた。この声が外にまで聞こえていたのだ。これだけ元気なら僕が見た通り、命に別状はないだろう。
 全裸ではなく、ほぼ全裸というのは、なぜか靴下だけ脱がされていなかったからだ。黒い肌に臑までの中途半端な長さの白いソックス。そして、怒鳴り続ける男性。奇妙な光景だった。恋人もうんざりした顔をしている。よくよくその怒鳴り声を聞くとどうやらこう叫んでいる。
「ソ-ックス! ソーックス!」
 脱がしてくれと言ってたのだろう。僕は思わず笑ってしまったし、申し訳ないが、そらアンタは撃たれるわ、と思ってしまった。

搬送先の病院では傷病者の情報と我々の隊員番号を記入する
搬送先の病院ではこのようにノートに傷病者の情報と、我々の隊員番号を記入する。病院によっては我々の個人携帯まで記入しなければならない。

身分を確認するのに手こずる
搬送が終わると無線で本部に状況を報告する。その間が我々のちょっとした休憩時間。慣れているとはいえ、搬送はアドレナリンが出るので落ち着く時間でもある。


  1. 2016/04/25(月) 20:01:16|
  2. 報徳堂
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第17回「アーサーに向いている職業とは?」

アーサーに多い職業はバイクタクシー運転手など

 ボランティアとして活躍するアーサーたちは一体どんな仕事をしているのか。報徳堂を直接知らない人ならどんな人たちが働いているのだろうかという疑問もあるだろうが、長年やっている僕自身も「この人たちは一体どうやって生活しているのだろうか」と思うことがしばしばある。
 ボランティアは報徳堂の担当日であれば参加は何時でもいい。帰るのも自由だ。しかし、多くは昼間働いているので夜間に待機に入る。待機も担当日が終わる朝8時ごろまでいる人もいて、眠らずに働きに出かけ、一晩明けてまた次の担当日に現場にいる。そんなに寝ないでも生きていけるのかということに、長く寝ないと疲れの取れない僕はいつも思うのだ。
 では、実際にどんな仕事をしている人が多いのか。僕が所属するホワイクワン隊の大半はタクシーやバイクタクシー、会社のバイク便担当、自営業者など、わりと自由な仕事に就いているケースが多い。タイ人は基本的に人にとやかく言われることを嫌うタイプばかりで、本来は会社員に向いていない性格の人ばかりだ。タクシーは自分で車を買えない場合は小規模の会社などから半日もしくは1日借りて、賃料と燃料代を差し引いた利益を手にしている。なので、完全に自営業というわけではないのだが、誰に命令されることなく働ける。バイクタクシーもグループ(各ソイなどにいる待機所)に所属しないといけないのだが、会社員よりは自由が利く。給料は少ないが、残業もないし、精神的に疲れないというのだ。なので、アーサーになる人はがっちりとした会社員よりは時間に自由な仕事が向いているのかもしれない。
 一方で、会社員や銀行員、会社社長もいないわけではない。僕も今でこそ自営業のようなものだが、かつては会社員をやっていたし、タイ企業の営業マンもいた。会社社長クラスになるとお互いがギクシャクする姿をよく見かける。ホワイクワンにいる会社社長は僕とそんなに歳が変わらない人だが、育ちが全然違うというか、紳士的な人柄である。かたやタクシー運転手やバイタク運転手は地方出身だったり、近所の元は不良みたいな連中だ。お互いに共通の話題がないし、持てあましてしまうようである。

2016年1月現在で若干名の職員募集が
2016年1月現在で若干名の職員募集が報徳堂本部から出ている。


好きだからやれるのがアーサーという仕事

 ホワイクワンのチームで変わった職業というか、よくやっているなと感心するのは、戦勝記念塔前にある24時間救急も持っているラーチャウィティー病院の職員だ。彼はまさに救急救命の外来引き受けの下っ端職員をしているのだが、ときどき我々が傷病者を搬送すると、彼が夜勤でその担架を引き継いで治療室へと搬送していく。要するに、彼は毎日病院で傷病者を受け入れ、夜はレスキュー、夜勤のときは昼間は休んで夜に傷病者を受け入れるといった感じで働いているのだ。救急救命が好きなんだろうなと思う。
 ただ、この好きだという気持ちはやっぱり大切ではある。ボランティアなので当然ながら金をもらっているわけではない。ときには不衛生な環境で長時間応急手当などに追われることもあるし、腐乱死体の現場はきつい臭いが充満する。好きでなかったらできない仕事だ。タイ人はわりと建前がある人種で、日本人のそれよりももっと狡猾だったりする。レスキューに関して狡猾さはないのだけれども、テレビや雑誌のインタビューでは型にはまった台詞を語る傾向にある。例えば、なぜアーサーになったのかという質問には、
「人々の役に立ちたく、タンブン(功徳)も兼ねています」
 といった内容を形を変えながら答えていく。タイのテレビ番組もネタ切れのときは報徳堂に密着して現場の様子やアーサーに迫るのだが、毎回同じような回答しか得られないのによくやるものである。
 その言葉に大きなウソはないのだけれども、本音の部分ではやっぱり事故現場や救急車などのサイレンで興奮するし、楽しいという気持ちが入っている。もちろん功徳などの意味もあるし、実際に役に立っているから、趣味と実益を兼ねていてなんら悪いこともない。
 好きが高じて、そのまま報徳堂に就職する人もいる。ホワイクワンからも数年前にひとり本部に就職して、今は救急車部隊に所属している人がいる。実は報徳堂などの本部隊員は結構人気の職業で、若干名の募集に数十人の応募が入る狭き門である。タイは離職率が高いなどとよく言うけれど、こと報徳堂に関してはそれは当てはまらず、一度入ったらなかなか辞めない。なので、募集もほんのわずかしかない。ちょうど今月頭に募集が始まっており、レスキュー隊員はないものの、救急車運転手1名の枠がある。ちなみに、ほかは整備士や事務員などで、特に経理部門などは中国語の読み書きもできなければならないなど要求スキルは高い。
 レスキューが好きなくらいなので、人柄は決して悪くないと思う。性根が腐ったような人間がわざわざ寝る時間を削って、自分の懐から金を出してまで人を助けるとは思えない。僕自身が見てきた中では、レスキューに関わっている人たちはみな人はいい。気さくだし、いい奴ばかりだ。ただ、口は悪い。言葉遣いが悪いので、一見柄が悪く見えてしまう。でも、本当にレスキュー活動と報徳堂が好きでやっているので、根はみんないい人ばかりである。


アーサーたちは仲間意識が強い
アーサーたちは仲間意識が強く、旅行に一緒に出かけることも多い。

垂れ幕などをチームごとに制作することもある
報徳堂への所属意識も強く、こういった垂れ幕などをチームごとに制作することもある。



タイの社会の仕組みが凝縮されているのが報徳堂の環境

「アーサーは基本的にいい奴ばかりだ、口は悪いけれども」
 実はこの部分にタイの社会というか、見えない階級制が浮き彫りになる。
 タイ語は書き言葉、話し言葉、フォーマル、王室、友だち同士の会話など、それぞれが全部違うと言っていいほど、単語が違っている。最近日本のネットニュースで見たのだが、女子高生などがケータイメールで「激おこぷんぷん丸」といった単語を使うという。激怒している様子を表しているのだが、これは日本人なら初見でも概ねの意味は伝わると思う。しかし、タイの場合は全然繋がりがなく、訊かないとどんな意味かわからない単語が多い。若者言葉だと例えば暴走族の男にくっついてくる女の子を「サーウ・スゴイ」と呼ぶ。サーウは女の子という意味だが、スゴイは若い世代が観ていたアニメの登場人物が口癖で日本語の「スゴイ!」と言うところから来たらしい。こうなると年寄りがサーウ・スゴイと言われてもさっぱり見当がつかないだろう。
 推測だが、タイ語は文字が簡単(日本語でいうひらがなしかない)なので、単語を変化させず、新語ができるのかなと思う。かつて歌手の安室奈美恵を真似する女の子をアムラーと呼んだけれど、そういった変化ではなくサーウ・スゴイのように新しい言葉が登場するのがタイ語なのだろう。元々書き言葉も話し言葉も違うので、日本とは言語の進化の仕方が違うのかもしれない。
 タイ語はそんなところがあるので、どんな言葉もしくは単語を遣っているかで、その人物がどんな人であるかが概ねわかってしまう。
 アーサーの口が悪いのは、タイの階級的には下に属しているからだ。インドのようにカースト制度ではないにしても、タイには経済的な階級が強く存在し、富裕層、中流層、貧困層が明確に分かれている。中の下と貧困層にアーサーになる者やなりたい者が多く、富裕層のアーサーというのはほとんどいない。いたとしても、形だけの入隊ばかりで、実際の活動にはあまり参加してこない。僕のチームにいる会社社長は例外的な存在だが、そういう身分の違いもあるからこそ、互いに戸惑っているという裏の事情もあるのだ。
 タイでは金持ちが下っ端をこき使って働かせるというのが当たり前の図式になっている。みんなが平等ではないのが常識なのだ。なので、報徳堂も金持ちが寄付をしてタンブンし、金がない中流以下が体を張ってタンブンしている。こういった事情もあって、報徳堂はタイでも大きな組織であり、警察などとも関係した活動をしていながら、政治的や法的に強い影響力がない。本来ならば国が自ら推進しているはずの救急救命活動を報徳堂などが100年も前から行っている。国が救急車を持ち始めたのは1990年代に入ってからだ。そのため、緊急車両を優先する法律などもできていないし、報徳堂のために政府が動くことだってなかった。
 そういうこともあって、アーサーは自営業者やタクシー運転手、バイクタクシーなどが多く、会社員も外資系などのエリート的な人はほとんどいなくて、せいぜいタイ企業の社員くらいでしかない。アーサーに向いている職業というよりは、アーサーに向いている階級というのがあるのである。

貧困者層への定期的な支援活動
貧困者層への定期的な支援活動にもアーサーは積極的に参加する。

敬虔な仏教徒も多い
敬虔な仏教徒も多く、お守りであるプラクルアンや刺青のサックヤンに詳しい人もいる。

  1. 2016/01/15(金) 14:41:33|
  2. 報徳堂
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第16回「男よりも恐い!? 女性同士の闘い」

まるで日本の80年代な不良たち

 タイ人は全般的に酒の飲み方が下手だと常々思う。仲良しグループも酒の席ですぐにトラブルを起こす。些細な行き違いから口論となる。これが他人同士となれば、目が合ったといった「中学生か?」というレベルの理由でもみ合いになる。ときには殴り合い、集団乱闘事件に発展し、果ては殺人にまだ至る。当然日本でも酒のトラブルはあるが、タイはその件数が異常に多いと感じる。
 雑誌の取材で元ギャングの青年に話を聞いたことがある。そのとき彼は、基本的には仲間同士で楽しく飲むために集まるが、ときには乱闘が目的でパブなどに行き、わざとケンカをふっかけることもある、と言った。タイの不良少年少女たちは将来への不安や現実の不満などのストレスを正常な形で発散できていない。もがき苦しむ姿はまるで80年代90年代の日本の不良たちのようで、話を簡単に聞いた段階では妙に懐かしい気分になった。
 しかし、深く話を進めていくと、日本の非行少年たちの姿に通じるところはあっても、実際にはタイの彼らを取り巻く環境はよりシビアだということがわかった。なぜなら、富裕層が持つ経済的、政治的な強大な力や既得権益が山よりも高く彼らの前に立ち塞がっている。日本のようにがんばれば上に上がれるというものではない社会になっていて、中の下の階級レベルの彼らがどんなにあがいてもステップアップは難しいという事実に直面してしまう。
 別の取材で貧困層に話を聞いて回った際に感じたのは、この層の若者だと日々の生活に追われ、グレている暇がないようであった。マフィアの一員になって殺し屋になったり、麻薬売買の手先にさせられるなどはあるが、極端な例としてそういうのがある以外、ほかの若者は普通の青年たちだった。
 逆に余裕のある家庭の出身が不良少年化する傾向にある。タイの不良にはギャングや暴走族といろいろなタイプがあるのだが、いずれにしても働かずに仲間とつるんだり、学校の仲間と暴力行為に明け暮れたり、バイクを買い与えられてそれで公道レースに挑んだり暴走行為をする。パブにだって遊びに行けるくらいなので、僕からすれば不良たちは考えが甘いような気もする。インドのカーストと違い、絶対的に這い上がれないわけでもない。甘いからこそ大切なことを放棄して、ふて腐れるのかもしれないと僕は感じるのだ。

元ギャングの彼はその後子どもができたため足を洗っている。
元ギャングの彼はその後子どもができたため足を洗っている。今のギャングは昔より凶暴化していて、非常に危険な存在だと言った。


女性が殴り合う姿はショッキングだ…

 さて、そんな不良少年たちには必ず取り巻きの女の子がいる。バイク、女、酒は世界共通で悪い男たちとセットになっている。不良少年が連れ回す少女たちは16、17とかなり若く、素行が悪い子が多い。
 ラチャダピセーク通りは今でこそ鳴りを潜めたが、数年前までは巨大ディスコの「ハリウッド」や「ダンスフィーバー」、早朝まで飲めたレストラン「ポーグンパオ」などがあり、とにかく大盛況だった。一時期はラチャダー裏手のカルチャーセンターの通りまでパブ街が拡大した。ラチャダー・ソイ4のパブ街や「ハリウッド」などのディスコは入り口で年齢確認された。しかし、これらの繁盛にあやかろうとやって来た後発のパブは裏通りでの開業を余儀なくされ、仕方がなくなのか、あえてなのか、客を取るために年齢チェックはしなかった。そのため、20歳未満の不良たちはみな、こちらに遊びに来た。
 酒の飲み方をそもそも知らない未成年たちは目が合えば殴り合いを始める。かっこよさをアピールするために乱闘に加担する。少女たちも囃したてるので、男はさらに引けなくなる。そして、ときには不良少年についてきただけの少女同士も殴り合いを始める。
 現役ギャングの恋人だという少女に話を聞いた。そもそも乱闘を目の当たりにして恐くないのか。また、女性同士のケンカから逃げようと思うことはないのかと訊ねた。
「なんで? 友だちが闘っているのに、やらないわけにはいかないでしょ?」
 さも当たり前のように彼女は言い切った。
 女性はこうあるべきだという固定観念を押しつけたくはない。しかし、女性の殴り合いを見るのは強いショックを伴う。自分の妻や娘がこんなことをしたとしたら…。人の親として、少なくとも女の子には殴り合いはしてほしくはない。

不良グループに所属する少女。
不良グループに所属する少女はときにごく普通の女の子の顔を見せるときもあれば、理解しがたい考え方を話すこともあった。


ヒステリックにケンカをするのでなかなか止まらない

 僕が報徳堂の活動中に目撃した少女らの乱闘をいくつか紹介する。
 まず、どう見ても高校1年2年といった幼さの残った顔立ちの少女が10対10くらいで殴り合っていた事件だ。彼女たちもまた未成年であるが故、表通りのパブには行けず、ラチャダーのカルチャーセンター通りの店のひとつを訪れていた。深夜2時過ぎの閉店後、ぞろぞろと若者たちが店から出てくる。多くは30分近く、長いと1時間以上店の前でダラダラと喋っていく。せっかく盛り上がっていたのに店を出され、その興奮の余韻が残っている状態。人によってはこの状態を不満に感じるだろう。要するに、イライラが募り、最も乱闘が起きやすいタイミングだ。そんなときに起こった事件である。
 原因は罵り合いの言葉を拾うに、どちらかのグループの男性に色目を使っただのといったようなことだった。タイ人は酒飲みも下手だが、恋愛的な行為もまた下手で、陳腐なテレビドラマ並みの泥沼がそこかしこで演じられている。タイは婚姻届を出さないケースも多く、内縁関係にある世帯がかなりある。特に低所得者層に多く、恋人関係がある程度深まると、女性側が男性をフェーン(恋人)と呼ばずにプア(旦那)と呼び始める。この少女たちもプアがどうしたこうしたと罵り合っていたが、10代の子の発言にしては少々滑稽だ。もっと言えば、夫はサーミーといい、プアというのはちょっと田舎くさい乱暴な言葉なので、より彼女たちの育ちの悪さが目立ってくる。
 そして、そんなプアと呼ばれる男性陣は彼女たちの周囲に見られない。単に少女だけのグループがそれぞれやってきて、男性客の取り合いになったか、早々に連れの男たちは逃げたのかもしれない。こういった少女を取り巻くタイ人男性は人情もなにも持ち合わせていないので、面倒になったか、トラブルに巻き込まれたくなくて早々に立ち去ったのだろう。
 このグループのケンカはえげつなさが全開だった。男性の場合、人数にもよるが袋だたきはあまり見られず、1対1で殴り合うことが多い(日本の「卑怯」という考え方もないので、日本よりは袋だたき事件は多いけれども)。女性同士の場合は、数人でひとりを取り押さえて殴っていく。同時に仲間のひとりも相手側に押さえられてしまうが、男性よりもヒステリックになっていて周りが見えておらず、助けるという思考には至らないようだ。
 このときは、ひとりの女の子をふたりの少女が地面に押さえ込み、ほかの数人が順番に顔面をサッカーボールのように蹴っていた。律儀に彼女たちは並んで蹴っていた。さすがに僕らは止めに入った。アーサーの活動の中でやってはいけないことのひとつに「乱闘を止めない」ということがある。どっちに転んでも相手の仲間だと思われてしまい、のちに襲撃に遭う可能性があるからだ。しかし、これは男性同士のケンカに限っている。女性同士の場合は力も弱いので止めてもいい。なので、僕らは一応「もう十分だからやめなさい」と制止したのだ。
 別の日には似たような背格好の少女たちが、男性ふたり、女性ふたりのグループにくってかかっていた。これもほぼ前述の乱闘と場所がほぼ同じ、時間帯も深夜2時過ぎだった。表通りでもそうだが、やはりこの時間帯の暴力事件発生率はかなり高い。
 最初は少女たちとその女性の口論だったが、殴り合いになった。女性ふたりに対して少女たちは10人以上いたのでかなり不利だったが、女性も気が強いのか果敢に闘っていたし、それが事態を悪化させていた。最終的に男性が止めに入っていたが、結局我々アーサーの鉄則の通りに少女たちは男性が加担したと感じ、形勢不利と見たようだった。
 そんな少女の誰かに呼ばれた柄の悪そうな中年男性があとからやってきた。そして、相手の男性に向かって指を指していた、ように僕からは見えた。街灯の逆光で見えなかったからだ。そのとき、少女たちの声が響く。
「撃っちゃえ!」「殺しちゃえ!」
 中年男性は拳銃を手にして、男性の額にそれを突きつけていたのだ。タイ人は結構目がいい。暗いところでもかなりよくものが見えている。このとき僕は時間が経ってから拳銃が突きつけられていることに気がついたが、そのとき一緒にいたタイ人アーサーたちは中年男性が最初に突きつけたときから銃が見えていて、すぐに車の影に待避していた。僕だけがほぼ弾道に近い位置に立っていたのだった。
 その後、男性が少女たちに謝罪をしてその場は収まった。酔っていても男性の判断は賢明だった。銃が出てきたら、とにもかくにも降参しておくのがいい。銃とナイフだとナイフの方が危険度は高い。攻撃可能範囲が広いからだ。銃は距離は稼げるが、弾道上にないものを倒すことはできない。しかし、あの至近距離では相手を射るのは誰でも容易だ。軍や警察関係のよほどの熟練者でない限り、勝ち目はない。
 それにしても、撃てとは……。女性の乱闘は本当にショッキングだ。

タイではビールよりもウィスキーを飲む傾向にある。
タイでは酒税の関係でアルコールが高く、ビールよりもウィスキーを飲む傾向にある。アルコール度が高いからか、酩酊する若者のよく見かける。


元男性による、女性との乱闘の結末

 ほかの場所では20代後半くらいの女性の殴り合いに居合わせた。ぱっと見た感じは女性3対3の乱闘だったが、実際には女性は3人で、対する相手はニューハーフ3人だった。
 僕らはこの乱闘はルールに則って止めていいのか悪いのか、しばしわからずに眺めてしまった。タイは戸籍上の性別を変更できないので、法的には完全に男性だ。社会的にもタイでは女性と位置づける人は少ないので、その点でも男性である。しかし、見た目も心も彼らは女性だ。どうするのがいいのか、しばし悩んでしまう。止めるか止めないかでかなり近距離にいたので、女性の渾身の回し蹴りがニューハーフを空振り、僕の膝に命中して悶絶した。
 最終的にこの乱闘は収拾がつかなくなった様子を見た警察官が空に1発撃って、ニューハーフ側が静かになって収まった。この空への1発はもう最近は行われないが、当時はまだ集団乱闘を鎮める方法として採用されていた。しかし、これで収まるのは男性同士のみ。ヒステリックになった女性の耳に銃声は届いていないので、事態は決して収拾することはない。この乱闘でも女性は最後までキーキー叫び、掴みかかる勢いだった。逆に、ニューハーフの方が女性らしくシクシク泣きながら彼氏に抱きしめられるという奇妙な光景になった。タイで恐いのはギャングでも警察でもなく、女性なのかもしれない。
 レスキューのアーサーは正義感を持って活動するが、結局事後の処理しかできないのが現実だ。乱闘などはその事実をまざまざとアーサーを始めレスキュー関係者に突きつけてくる。お喋りなアーサーたちも乱闘シーンを目撃したあとはしばし黙り込んでしまう。

全盛期の「ハリウッド」ならば平日でも満席だったが…。
全盛期の「ハリウッド」ならば平日でも満席だったが、それはもう昔話。今はまったく噂も聞かず、事件も起こらない。営業はしていると聞くが風前の灯火か。
  1. 2015/12/15(火) 06:04:28|
  2. 報徳堂
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第15回「タイに多い直線番長たち」

直線で事故が多いのは人気のレースの影響?

 タイで車を運転していて常々思うのは、タイの交通事故は直線で多発するのはなぜなのだろうか、ということだ。運転免許試験の実技が発進と停車、バックと縦列駐車しかないようなところなので、そんなものなのかもしれないが、いくらなんでもひどいと思うのだ。
 バンコクからコラートに向かう国道1号線をサラブリーで2号線に乗り換えてすぐにセメント工場がある峠になる。結構な急勾配で、特にコラートからの上り線はカーブも急で事故が起こりそうなレイアウトになっている。しかし、故障車こそあれ、あそこで事故を見かけたことは一度もない。逆にナワナコン工業団地前の大通りやドンムアンの周辺の高速や下の道では頻繁に見かける。
 数年前に取材のため、タイのモータースポーツに関わる日本人たちと話をしたことがある。その中のある人が案内した日本の超有名ラリーレーサーが漏らしたタイの道路の感想を聞いた。
「タイの一般道や高速道路はサーキットと同じ舗装をしている」
 ミューと呼ばれる、いわゆる摩擦係数が低い仕様になっていて、非常にスリッピーな状態だというのだ。雨が降れば格段に危険度が上がる。僕自身もバンコクのペッブリー通りで、乾季のありえない土砂降りの直後にスリップ事故を起こしたことがある。砂埃が浮いていたのもあるし、洗浄のために撒いたかと思われる緑色の洗剤が残っていたのもあるが、やはり雨の路面は滑りやすいとはそれまでも感じていた。
 また、レース関係者の取材を進めていくうちにわかったのは、どうやらタイのレースカテゴリーで人気があるのは、よくテレビで見るドリフトではなく、直線約400mを争うドラッグレースだということだ。日本では定着しているカテゴリーではないのだが、ここタイにおいてはものすごく人気で、おそらく集客力がどのカテゴリーよりも多い。
 実際に実力も世界的に見て非常に高いそうで、特にディーゼルエンジンのチューンナップに関しては日本でさえも追いついていないそうだ。タイはピックアップ・トラックが多く、ディーゼルエンジンを積んだピックアップ・ユーザーが特にドラッグレースが好きなので、自然、その改造技術が向上するのだ。
 ドラッグが主流のせいか、サーキットを走るカテゴリーの整備もドラッグ寄り、つまり直線重視のセッティングが多いという。サーキットのピックアップ・カテゴリーには日本人の会社社長がセミプロ・レーサーとして参戦している。その方に聞いたところ、運転の仕方もだいぶ直線重視のテクニックだそうだ。
 僕が高校生のころはいっぱしにバイクを運転するがカーブは慎重な奴を「直線番長」と冷やかしやものだ。タイではどちらかというと、そういった直線番長が多いのかもしれない。そのため、直線における事故が多発するのではないだろうか。

次元が違うところで勝負している
ドラッグレースが盛んなタイでは、日本よりも数秒ほど次元が違うところで勝負している。

ピックアップトラックがタイヤを空転させて温めている
ドラッグレース用に組み上げられたピックアップトラックが黒煙を吐き出しながら、タイヤを空転させて温めている。



実際に駆けつけた現場の多くが直線

 レスキュー活動中に出動する事故現場でも、直線でのものが結構多い。というか、ほとんどがそれであると言っていい。渋滞の最後尾に追突するのはまだありえるとしても、ラチャダー通りに特に多い交差点トンネルの手前にある分離帯に乗り上げるなど、理解し難い事故もある。
 数年前にテレビ番組がジェンワッタナ通りの報徳堂アーサーの活動を撮影している目の前で、事故バイクの回収をしていたアーサーたちに車が突っ込んできた。この事故もまた直線道路だった。これは飲酒運転だったのでそんなものかもしれないが、とにかく前を見ていないのではないかという勢いで事故を起こす輩が多い。
 タイ・カルチャーセンターの近くにある在タイ韓国大使館前も一直線でありながら事故多発地帯となっている。確かに、どぶ川を越える小さな橋があるのでバランスを崩しやすい。タイ全土で同じ傾向にあるが、タイの小さな運河やドブ川にかかる橋はなぜか台形になっている。もうちょっと丸く作ればいいのにわざわざ角ばらせていて、ちょっとスピードを出しすぎているとジャンプしてしまうほどの形状になっている。
 韓国大使館の前での事故で横転事故をかなりの数見てきたと記憶している。横転の現場というのは毎回「どうやったらこうなるのかね」と感心してしまう。さらに驚くべきことは、僕が見てきた事故に限ってでは重傷者が一度も出ていない。見た目の派手さとは違って、事故内容は意外と地味だったりするのだ。
 レスキューに参加したばかりのころにもラートプラオ通りで横転事故があった。高校生満載で直線にて横転し、全員無傷だった。
 一度でいいので、ぜひ生で横転事故を見てみたい。その生還率の高さのメカニズムをこの目で確かめてみたい。

韓国大使館前の直線道路で横転したタクシー
韓国大使館前の直線道路で横転したタクシー。これで運転手も乗客も軽傷だった。

この事故では若者ふたりともかすり傷ひとつなかった
この事故では乗っていた若者ふたりともかすり傷ひとつなかった。



横転事故の現場処理は意外と簡単

 横転現場では事故処理もしなければならない。要するにひっくり返った車を片づけなければならない。
 さすがにひとりでは重いが、たった4人程度でもかけ声をかければ簡単にごろりと転がして元に戻せてしまう。よく海外の暴動映像で車がひっくり返されていたりするが、あれは実は意外とちっぽけな行動なのだ。
 軽いといえば、日本では車を駐車した際にサイドブレーキを引くことは普通だったが、タイでは縦列駐車に限りギアはニュートラルに入れてサイドブレーキを引かないのが常識になっている。隙間なく停めるので、出庫の際に押して車間を作らなければならないからだ。これがまた思っているよりも車は軽いことを知る。片手でも十分に動く。
 縦列駐車をするたびにいつも思い出すのが、埼玉の大宮駅での出来事だ。もう20年も前の話になるが、深夜にチンピラのような男に
「免許持ってる? 俺、免停中だからこの車を1メートルだけでいいから動かしてくれないかな」
 と頼まれた。これは細工がされた車で、少し動かすとうんともすんとも言わなくなり、金を出せとかそういうことになる、当時流行っていた恐喝の手口だ。今なら「押せばいいじゃん」と思うが、当時は車がこんなに軽いなんて知らなかったし、その手口も知っていたので「俺も免停」と相手にしなかった。
 さて、現場に話を戻すと、そういった横転現場ではアーサーが力を合わせてひっくり返った車を元に戻す。横転事故の場合は大概側面もぼろぼろでガラスも割れているので、手を切らないよう注意して、あとは力任せに押せばいい。
 ただ、路面と屋根の塗装が意外と滑るのでただ押すだけだとつるっと横滑りしてしまうから、誰かに反対側を軽く押さえてもらいながら持ち上げるように押す。バリバリと音を立てながら横向きになる車。そしてもう一度軽く押さえてもらいながら角度をつければタイヤが地面に接してストッパー代わりになる。あとは力任せに押し出してしまう。
 またガラスが割れたり、車内のものが破壊される音を立てながら、車は元に戻る。普通に生活している分には車をひっくり返したりすることはないから、車をどうかしちゃっているという快感を味わえるので、実は結構楽しい。暴動で車をひっくり返したり燃やしている輩はたぶん気持ちいいからやっているだけなのだろう。
 とまあ、ひっくり返った車を戻したところで、なぜ直線で事故が多いのかという謎は解明されはしない。今日もいろいろな直線で車が事故を起こしているだろう。

我々が元に戻す際に滑らせてしまった
擦れたようなあとは、実は我々が元に戻す際に滑らせてしまったから。

交差点の地下で単独で横転
ホワイクワン交差点の地下で単独で横転。バイク事故ならともかく、四輪でどうしてこうなるのか…。

  1. 2015/09/14(月) 23:40:14|
  2. 報徳堂
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第14回「不良少年たちの暴力事件」

目撃した不良少年たちの暴行事件

 報徳堂のアーサーになったばかりのころ、2005年か2006年に目の前で起こった事件だ。
 その日はたまたまラチャダー通りを仲間の救急車でソイ8からソイ4の方に流していた。当時はソイ8とソイ6に朝までやっているパブレストランが多かったので、あの辺りは深夜はとにかく酔っ払いしかいないような場所であった。
 たまたま前のタクシーが酔客を拾うために詰まったときだった。ふと歩道に目をやると若者4人がひとりの男をたこ殴りにしていた。殺す勢いで殴る蹴るし、尋常ではない雰囲気があった。しかし、僕らはそういうときは見ているだけしかできない。どちらかの味方をしたと逆恨みされても困るし、そもそもそんな権限がないからだ。
 とはいえ、あまりの暴力に僕は窓を開けて、
「いい加減にしろ!」
 と叫んだ。彼らは屋根に赤色灯が乗っているのを見て警察と思ったのだろう。一目散に逃げ、タクシーを捕まえて乗り込んだ。
 それとほぼ同時に、同乗のアーサーが警察に無線連絡を入れていて、警官から「捕まえておけ」という命令を受けた。僕らはタクシーを止めて若者らを引っ張り出し、彼らを歩道に座らせた。内心、僕は「これはまずいでしょう」とは思っていた。あとで本部からも怒られるのではないだろうか。が、若者たちも公衆の面前で暴力を振るようなアホだ。それには気がつかなかった。
 若者らはその後やって来た警察に手錠をかけられ、現行犯逮捕で連行されていった。単に目が合ったからというのが暴行の理由だったようだ。

僕らが捕まえた暴行の犯人たち。
僕らが捕まえた暴行の犯人たち。目隠し越しでも、一見不良には見えないのだが…。


タイにいる不良少年の種類

 僕は2004年からアーサーをやってきて、これまでラチャダー通りだけでもかなりの数の乱闘事件を目撃してきた。いつも思うのは「タイ人って酒の飲み方が下手だなあ」ということだ。アルコールが入ると風船に針を刺されたかのように溜まっていたなにかが爆発するようなのだ。
 ある者は突然怒り、ある者は泣き、ある者は暴れる。こういった若者がやたらに多い。内輪でもめている程度ならまだいいが、同調した仲間が外部の人を攻撃し始めると集団ヒステリーのように止まらなくなってしまう。
 以前、雑誌でタイのギャングにインタビューした際、乱闘について聞いたことがある。逃げだしたり、止めたりしないの? と。しかし、そのギャングはさも不思議そうに言い放った。
「友だちがケンカしているのに、やらないわけにいかない」
 タイ語で不良少年はナック・レンという。このナック・レンは非行少年少女の総称だ。ときにギャングとも呼ばれるが、厳密には徒党を組んで暴力沙汰を起こす者がギャングである。
 デック・ウェンという言葉もある。こちらは暴走族。ウェンは改造バイクの排気音がタイ人には「ウェンウェンウェン」と聞こえるからだとか。暴走族にはデック・セップという呼び方もあり、こちらはモンスタークラブというアニメのキャラクター、セップ君にちなんでいるらしい。それから、デック・ウェンに同行する女の子たちはサーウ・サゴイだ。サーウは若い女性、サゴイは先のアニメに登場するあるキャラクターの口癖が日本語で「すごい!」らしく、それが元になっているとか。
 タイではあまり目立たないが一応マフィアもいる。ギャングとの違いは大ボスが大人であり権力者、本業が麻薬や売春、賭けごとの元締めをするなどが挙げられる。
 ギャングには2種類あって、マフィアの下部組織か独立集団で犯罪に手を染めるグループと、友人らと集まって度胸試しや自分の男らしさをアピールするためにケンカをするグループがある。当然後者はあまり危ないことはないが、前者はつばを道に吐きかけるくらい簡単に人を殺す。

数年前に暴行事件が起きたときに捕まった犯人。
数年前に暴行事件が起きたときに捕まった犯人。無関係の人を敵対グループの構成員と間違えて襲撃した。


現行法に守られた不良

 ナック・レンたちは意外にも経済的に中の下から中の中に多い。本当の貧困層は学歴社会のタイにおいて小卒中卒が多く、給料もスズメの涙程度で、日々を生きることが精一杯。そのため、グレて不満を漏らしている暇がない。マフィアの下部組織のギャングには貧困層もいるかもしれない。金を稼げるからだ。しかし、ナック・レンは、特に暴走族を見ればわかるように、バイクは親が買い与えたものであることが大半なので、それなりの経済力が家庭にあることが伺える。
 タイでは18歳までは保護施設や少年院へ収監されるだけで刑務所に入ることはない。それも殺人などよっぽどのことがない限りは保護者を呼んで引き取らせて終わってしまう。15歳未満は完全に子ども扱いだ。
 ある警察官が言っていた。
「現行法がこうなっている以上、我々にはどうしようもない。今ではちょっと無理をすればフェイスブックなどで市民に叩かれる」
 そう言われてみれば、10年以上前のタイでは暴走族に対しても警官が容赦なく発砲して制止していたが、最近ではめっきりそんな話は聞かなくなった。冒頭の、僕らが不良少年らを捕まえるなんてのも、今ではもうありえないことなのだ。


それでもなんだか憎めない面も持ち合わせる彼ら

 タイの学校は30代以上の日本人が子どものころに受けていた教育と似ているところがあるような気がする。体罰はあるし、教師は絶対的な存在で、校則など非常に厳格。目上の人の言うことはちゃんと聞かなければならない。
 さらに、タイの報道や大人たちは包み隠さずに権力と金がものをいう世界を子どもたちにまざまざと見せつける。リアリティーに抑えこまれた将来への不安や、自分の社会的な弱さから目を逸らすために、ナック・レンは暴力や違法行為に身を投じるのではないだろうか。
 そんな彼らには酒が入っていないと素直でいい子も少なくない。家に帰れば家族を大切にする姿も見られる。憎めない点もあるし、そういった面も持ち合わせていながら暴力や酒や麻薬に溺れる者もいてやるせない。
 ものすごく短絡的な僕の考えではあるが、まずはウィスキーを飲むのをやめたらいいのにと思う。ご存知のようにタイは酒税の関係でアルコールが物価指数から見て異様に高い。そのため、たくさん量があり、よりアルコール度数が高いウィスキーを飲む傾向にある。ひどいところでは「メコンウィスキー」系の、最早名前だけがウィスキーのものを出す店もあるほどだ。これをやめればいいのではないか。ビールにすれば、酔うにしても量は飲めないし、量を飲めなければ泥酔はしないのでケンカも少なくなるのではないだろうか。
 とにかく、ナック・レンの事件の現場を担当すると、なんだか虚しい気分になってくるのだ。

警官に命じられ、携帯電話で仲間を呼び寄せる犯人たち。
警官に命じられ、携帯電話で仲間を呼び寄せる犯人たち。この後ひとりがまんまと現れ、捕まってしまった。実はこの事件の直前に別の場所でもこいつらは暴行事件を起こしていた。

  1. 2015/08/04(火) 10:56:17|
  2. 報徳堂
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第13回「報徳堂ボランティア隊員の新規募集、更新」

登録制で管理されるようになった

 報徳堂のアーサー(ボランティア隊員)の募集・更新が6月に行なわれ、締め切られた。今回は2559年度(2016年)の募集だった。
 本来は募集は1年単位のはずなのだが、のんびりしているのか、アーサーを統括する部署が数名しかいないのに数千人の隊員を抱えているからなのか、正式隊員証が配布されるのが募集翌年になるため、実質2年から3年ごとの募集になる。今年も2559年分と言いながらも発行は来年末になりそうなので、実際には2560年分+1年くらいの有効期限になるのかと思う。
 僕がアーサーになったのは2004年の12月だ。ちょうどプーケットの津波直前に認められた。当時勤めていた無料日本字誌の取材で2日間ほど報徳堂に同行し、役員の名刺を手に入れ、後日、ひとりで本部に行き隊員にしてくれと頼み込んだ。それがきっかけで今の隊長を紹介されて、晴れて念願のアーサーになった。
 あのころは本当に適当だった。そもそも隊長クラスだけしか本部公認とされておらず、形式だけ存在していた出勤簿には予備隊員という肩書きでサインをしていた。要するに、入れてと言えば誰でもアーサーになれた時代だった。
 とはいえ、隊員数も膨れあがれば悪いことをする輩も現れる。本部からは持ち物の検査などは人前で行うように指導され、よく聞かれる「隊員が死傷者の金品を盗む」という噂に徹底的に対応していた。僕自身の活動の中で実際に窃盗をするようなアーサーは見たことがない。しかし、窃盗こそなくても、緊急走行中に事故を起こすアーサーもいたり、社会的に本部の管理手法を問われるようになってしまう。
 そのため、2006年に登録制となった。活動中の事故はまだ正式アーサーであればいいが、ときには勝手に制服を作っただけで未登録の幽霊アーサーが事故を起こすと処理が大変なことになる。事実上は本部は無関係だが、被害者は制服を見て報徳堂だと思っているし、下手な対応は活動資金である寄付金獲得へも悪影響をおよぼす。
 その対策のひとつとして、一時期は制服の自作を禁止し、報徳堂本部が特注の布で制服を支給した。まあ、これは経費のかかりすぎで、たった1回で終了したけれども。

2006年、本部で登録する新人アーサーたち
2006年、本部で登録する新人アーサーたち。

もはやレア状態の、本部支給の制服
もはやレア状態の、本部支給の制服。

支給制服のロゴはワッペンではなく刺繍
支給制服のロゴはワッペンではなく刺繍。


001番と知り合いにならなければアーサーになれない

 登録は本部で行われる。更新の場合は代表者が書類を本部に届ければ済む。
 登録制になってから、基本的には誰でもアーサーになれるわけではなくなった。登録に当たっては各管轄の隊長である001番のアーサーに認められることが先になったからだ。活動の責任者である001が信用できない人物は入隊させないというのは当然の権利である。
 そのため、001の責任下で各管轄における活動の細かい方針はチーム単位で決められている。アーサーに割り当てられる番号も、それぞれの管轄のリストの空きを001番が割り振っていくので、いきなり本部に入れてくれと行っても対応できない。
 ちなみに僕は、最初にもらった番号はホワイクワン010だった。ホワイクワン署の管轄で活動する9番目の隊員ということだ。009はタイ人にとってのラッキーナンバーで
ケンカになるので存在しない。また、当時はひとチームがせいぜい10人だったので、要は下っ端という扱いだった。ただ、この番号には大きな問題があった。010はタイ語で「スーン・ヌング・スーン」なのだが、無線で告げると「スーン・ヌング・ソーン」に聞こえるようで、よく「012?」と聞き返された。そのため、2回目のときに変えてくれと隊長に頼み込み、やってきた番号が012だった。なんの問題解決になっていない。そして、不遇の6年を過ごしたのち、再度頼み込んで今はホワイクワン005になっている。

特注の布には報徳堂とプリントされている
特注の布には報徳堂とプリントされている。厚手の布なので、着ていて暑いという難がある。

支給制服のバッグ
支給制服のバッグ。善の字が赤いのは、本部の本堂にいるおじいちゃんに判をお守り代わりに押してもらうのだが、その朱の色がついている。


今年はさらに厳しくなったアーサーの登録

 誰でもアーサーになれるわけではない点は、今年さらに厳しくなった。
 前回、と言ってももう3年以上前のときは、新規入隊者は規定の応急処置訓練を修了していなければならなくなった。その件は第5回目に書いているのでそちらを参照にしてほしい。
 そして、今年の募集では警察や公安が発行する「無犯罪証明書」の提出が義務づけられた。実は、数ヶ月前に地方の報徳堂アーサーがなにか事件を起こした。傷害事件だったか、窃盗だったか、ひき逃げだかは憶えていない。タイ在住の日本人にその書類の取得は非常に難しく、更新ができないかもしれないというショックで、隊長の説明を聞き逃したからだ。
 タイ人の場合、最寄りの警察署に行けばささっと確認して書類をもらえる。タイは出生届を出すと国民番号が割り当てられ、すべてがオンライン化された今はどこでも簡単に経歴を確認できるからだ。
 日本人の場合は日本で申請するか、在タイ日本大使館に申請の代行をお願いしなければならない。しかし、いずれにせよ発行を要請する事由を明確に書いたレターを持参する必要があって、そのノウハウは報徳堂にはない。ちなみに、日本人がタイ関係でその書類を申請するケースとしては年金ビザやロングステイビザの取得のためというのが大半かと思う。なので、報徳堂の要請で大使館が対応するのかも不明だった。
 レターは自分で書いて、報徳堂に発行させる方向で動くことになったのだが、実はその話が出てきた6月は日本に滞在していたので、なかなか対応できなかった。
 もう僕のアーサー人生も終わりか。
 そう思ってタイに戻り隊長に連絡したところ、日本に行っている間に本部と交渉をしてくれ、もう10年もアーサーをやっているし、外国人だから特別に、ということで僕だけ特例の「無犯罪証明書」なしでの更新が可能になった。うちの隊長は口がムチャクチャ悪くて、よくタイ人アーサーもケンカして除隊していくのだが、このように面倒見は実はよかったりする。
 というわけで、ひとまず更新は完了し、少なくともあと数年はアーサーでいられそうだ。あとは隊員証がいつ来るのか。それを待つばかり。

入隊当初に作った制服
入隊当初に作った制服。紺色のシャツ、ワッペンを自分で別々に購入し、仕立屋で作ってもらう。

仕立屋の中には報徳堂のロゴを刺繍できる店も
仕立屋の中には報徳堂のロゴを刺繍できる店もあり、そこでみんな作っていた。

名前をわざわざ英字にしてくれた
名前をわざわざ英字にしてくれたおかげで、初対面の人からよく「なぜアーサーに?」と質問攻めに遭うようになった。

  1. 2015/07/06(月) 23:21:09|
  2. 報徳堂
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第12回「タイの公共救急車 ナレントーン」

現場では公務員であるナレントーンの指示下に入る

 ある日、ラチャダー通りソイ3の中国大使館前で交通事故発生との通報で現場に駆けつけた。
 現場にはカップルが一組と、倒れている灰色のボーダーシャツの若者がいた。バイクに乗りノーヘルで走っていたところ、カップルの車と接触したらしい。カップルの方は酔っ払っている様子はない。負傷者の方は意識不明だった。
 ちょっと話題がずれるのだが、この負傷者はズボンが下がってしまい青いパンツが見えていた。この事故がそうだったのかはわからないが、激しい交通事故ではベルトをしていても衝突の力でズボンがすっぽりと脱げることがある。なので、穴の開いたパンツやゴムのゆるいものだと下半身露出するはめになったり、恥ずかしい目に遭うので気をつけたい。僕自身も何回かそういった場面に出くわしたので、パンツだけはちゃんとしたものにするように心がけている。
 さて、ラチャダーのこのエリアは、向かいにパブ街のソイ4があるので、夜中には酔っ払いが歩き周り、タクシーも停まるので大渋滞となる。このカップルの証言ではこの負傷者とは低速で側面が接触したということだ。幸い投げ出された場所が中央分離帯の芝の上だった。
 だが、我々ボランティアは訓練と実績を重ねているとはいえ医者ではない。自己判断は非常に危険だ。体がねじれた状態で倒れており、意識がいないのが酔っているのか衝撃でなのかが判別できない。首や脊椎を痛めていると、現場では問題がなくても搬送の仕方で神経を圧迫、半身不随にしてしまうこともある。
 この日は我々にそんな負傷者を運ぶための装備がなく搬送は難しかったが、どうしようかと思案する間もなく、一報を無線で聞いていたナレントーンの救急車が駆けつけた。これはタイ公共保健省の救急車で、装備も技術も優れているチームだ。すぐに隊員たちの指示の下、我々も補助に回る。背中を固定するベルトと首を固定するベルトを装着し、救急車に載せた。

ラチャダー・ソイ3前の現場。
ラチャダー・ソイ3前の現場。体を固定する器具を取りつけようとしている。

固定が終わり、搬送の準備を始める。
固定が終わり、搬送の準備を始める。


日本の病院前救護から派生したチームがナレントーン

 ナレントーンは1995年3月10日、戦勝記念塔にあるラーチャウィティー国立病院に本部が置かれた。当初はラーチャテーウィー、パヤタイ、ディンデン、ホワイクワン、ラートプラオ、バンガピの地区での限定活動だった。間違った応急処置や搬送方法が横行し、受傷後の扱いによる後遺症が多かったことを改善するために設立されたのだ。
 ナレントーン設立に先立つ1993年、公共保健省はコンケーン病院(コンケーン県)に交通事故センターを設立する。その際にJICAの支援でプレ・ホスピタルケア(病院前救護)の技術を得た。続く1994年、ワチラパヤバーン病院(バンコク)に救急車と育成された乗務員を配備。このチームはSMART (Surgico-Medical Ambulance and Rescue Team)と呼ばれ、活動地域は小さいが今でも存続している。
 そして、95年にナレントーンが地域限定で活動を始め、2001年4月2日からタイ全土に配備された。ここにきてやっと国のEMSが形を作ったということになる。
 100年前から報徳堂や義徳堂がタイEMSの役割を担ってきたが、民間団体の活動には限界があった。EMSは国が法の整備や活動の意義や意味を啓蒙し、国民の認知の元の協力が不可欠だ。本来ならば国のEMSネットワーク内に報徳堂や義徳堂があるべきだが、政府はそれを怠ってきた。現在も緊急走行中の車両に道を譲ったりする習慣も根付いてないし、ひどい者はその前に無理に割り込みをしたりする(2013年ごろからかなり改善はされているが)。

別の現場でもナレントーンが到着。
別の現場でもナレントーンが到着。ボランティアはナレントーン隊員の指示に従って行動する。

実践に沿った内容で講習を受けられる。
ナレントーンの訓練は実践に沿った内容で講習を受けられるので有意義である。


ナレントーンの訓練と聞いて行ったのだが……

 設立は遅いとはいえ、ナレントーンはタイで最新のEMS技術を持っているし、救急車の装備も最新だ。ときどき、そんなナレントーンがボランティアたちのために講習会を開催する。
 応急処置技術は常に更新されるので、受講は必須だ。と言いつつ、僕は2回しかまだ出たことがない。平日に2日とか3日は時間が取れない……。
 訓練内容は心臓マッサージ訓練、酸素ボンベの使い方、事故の負傷者の対処法、車の中に閉じ込められた者のシチュエーションなどで、短くても1日がかりで学ぶ。
 僕が参加した2回のうち1回はいまだになんだったんだと思うようなもので、コラート駐屯の陸軍体験入隊だった。その数ヶ月前から数回、弱小レスキューチーム同士が抗争事件を起こしていて、公共保健省がタイ中のボランティアを集めて「みんなで仲よくしようぜ」というところだったのだと思われる。
 僕自身はレスキューの訓練としか聞いていなかったので、最初の講習が爆弾解説だったときに「どうなっているんだ」と思い、本物のダイナマイトを爆破させたあたりでやっと自分が間違った集まりに来てしまったことに気がついた。その後、2泊3日に一切自由はなく、文字通り軍隊生活を送らせられた。朝の5時に匍匐前進、食事の時間は10分ももらえないし勝手に食べたりなどできない。昼間にはパラシュート訓練で高い塔から飛び降りさせられた。そして、深夜に山に連れていかれ洞窟を這って進み、夜中1時まで行進の練習。その時期は記録的な寒さにも関わらず、薄っぺらい脚しか覆えないような小さな毛布を渡され、屋根だけしかない板の間で寝かされた。実際寒くて眠ることができなかった。
 タイ人はみんな楽しそうだったのでナレントーンの意図は成功だったのかもしれないが、どう見てもナレントーンもレスキューも関係ない。というわけで、僕自身はナレントーンの訓練を実質、1回しか訓練を受けたことがないのが本当のところだ。

なぜか落下傘降下訓練までさせられた。
放り込まれた陸軍施設で、なぜか落下傘降下訓練までさせられた。

  1. 2015/05/27(水) 11:02:52|
  2. 報徳堂
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第11回「犯人はプロ? 現場近くに戻ってきた犯人たち」

銃が身近にある国

 旅行に来る日本人の多くがなぜかあまり知らないのが、実はタイは銃社会で、本物の銃が簡単に入手できるということだ。バンコクでは中華街ヤワラーを西の方向に進むと突き当たりになり、その辺りは銃器店が並ぶ。
 外国人は購入できないが、成人しているまともなタイ人であれば誰でも簡単に買うことができる。「まともな」というのは、職があって定期収入があること、犯罪歴がないこと、警察が認めてくれる、ということ。購入許可証を警察で発行してもらい、それを持っていけば合法的に買うことができる。
 とはいっても、購入許可証はあくまで購入し、自宅に保管することを許すもので、持ち歩くには別に携帯許可証がいる。これは一般の人には普通は発行されない。また、購入できるのも自動連射の機能がないものに限る。いわゆるマシンガンは警察官でも個人所有はできないようになっているほどだ。
 本来であればしっかりと管理されているので銃による犯罪は起こらないはずだが、これがそうはいかない。かっとなって撃ってしまうことが多々ある。身近に銃があるということ、徴兵制で銃の構造を知っている者が多いこともあって模造銃も少なくない。あるギャングに話を聞いたところ、日本でいう工業高校の課程で習得する技術だけでペン型銃製造や、おもちゃのエアガンを実弾発射可能な状態にまで改造できるのだそうだ。


繁華街では銃が絡んだ事件が多い

 タイに長く暮らすと目の前で銃絡みの事件が起こることはよくある話だし、レスキューに関わっていればなおさらその頻度は高くなる。
 まだ早朝まで営業をして人気だったシーフードレストラン『ポーグンパオ』がラチャダー通りソイ6の向かいにあったころ、深夜2時以降は特にRCAやほかの地域から飲み足りない若者が集まってきたのでトラブルが多かった。
 ある日、ソイ6の入り口で待機していた我々の耳に、通りの向こう側から銃声と逃げ惑う人々の叫び声が聞こえてきた。急いで渡ってみると、殴られたり蹴られたりで鼻血を流している者などが数名いた。彼らは仲間同士で、そのうちのひとりはくるぶしの少し上にぽつりと赤い点がついていた。銃創だ。つまり銃で撃たれた痕だった。

貫通したのかもしれない。
くるぶしの上に小さな点がある。その斜め下にもひとつ点があるので、貫通したのかもしれない。

ケンカするグループは女性同伴が多い。
不思議とケンカするグループは女性同伴が多い。かっこつけたい気持ちが悪い方向に行くのだろうか。


 幸い、命に別状はなく、応急措置をしてから病院へ運ぶことになったのだが、どうやらディスコでほかのグループと揉め、その後『ポーグンパオ』の前で再びかち合ってしまいケンカになったようで、そのときに銃が出てきて撃たれたようだ。顔や心臓を狙われなかっただけ運がよかったと言えよう。タイ人の場合はカッとして後先考えずに罪を犯す輩は少なくない。
 しかし、狙って撃っていたとしたら相当腕がいい。実際に銃を撃ってみるとわかるが、そこそこ大きなものでも動いているものを撃つのは難しい。脚という細いターゲット。しかもちょこまか動いているところを狙って当てたとしたらプロなのではないだろうかと思う。映画の世界ではなく、タイにはまだ殺し屋という職業が現実に存在するので、そういった輩の可能性もある。
 タイではケンカしないこと。これが一番である。

野次馬が至近距離に来る。

タイで事件事故に巻き込まれると野次馬が至近距離に来るので見世物の状態になることもある。


現場近くに戻ってきた犯人たち

 さて、この話には続きがある。
 結局我々が渡った時点で犯人は逃走。僕は見ていなかったが、我々のチームのひとりが車の車種とナンバーを目撃していた。
 この現場での救助活動が終わったあと、渋滞がひどかったので近くのガソリンスタンドに待機ポイントを変更した。そこでけが人の氏名などを本部に報告し、警察署から車の目撃について無線で問い合わせがあったりした。事件発生から1時間経っていないくらいだろうか。
 ガソリンスタンドに1台の車が止まった。たまたま僕がなんとはなしに立っていた目の前だった。ほかの隊員は一斉に物陰に隠れた。犯人の車だったからだ。犯人たちが通報した我々に報復しに来たのだとみんな思ったようだ。僕の位置からは車のナンバーが見えないので、完全に逃げ遅れてしまった。
 しかし、結局彼らは現場の様子を見に戻ってきただけのようで、車から降りることもなく再び走り去っていった。彼らには我々が通報していることは知るよしもないのだから。正直、殺されるかと思い、背筋が凍った。

  1. 2015/04/27(月) 21:55:26|
  2. 報徳堂
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第10回「不謹慎だが、笑ってしまう現場もある その4」

 今回で僕自身が引き起こした失敗で笑いを巻き起こした不謹慎な話はいったんおわりにしよう。最後に不注意だったというのもあるが、本当に回避できたのかという疑問をいまだに持っている失敗を書きたい。
 ある日、ラチャダー通りのタナチャート銀行のビルの下で男性が不調を訴えているという連絡を受けて急行した。そのビルで働く会社員と守衛が発見し、通報後も我々の到着まで待っていてくれた。意識はあるが、彼は酔っているのか体調不良で横になっているのかイマイチ判断しづらい。当然ながら我々は医師ではないので下手なことは考えず、彼が所持する社会保険の指定病院へ搬送することにした。
 このビルはラチャダー通りに面していて、道路および歩道からビルまでラチャダー通り1本分は離れている。そのスペースは黒い大理石のような石が敷かれていた。街灯や周囲のビルの明かりに床は反射している。
 隊長に指示され、僕は通りに停められている我々の救急車に担架を取りに行った。プラスチック製のボードなのでひとりで持ち運びができる。僕は走って現場から救急車に向かって直線的に走った。
 歩道に出るまであと1メートルになったとき、視界が急激に変化した。地面が急に目の高さに来たのだ。
 僕は知らなかったが、歩道沿いには噴水の池があった。夜間は噴水が停止しており、その水面は石の床と同じ高さにあった。囲いをしているわけでもなく、しかも、その日は無風だったため、僕の目には大理石も水面も同じに見えていたのでまさかそこに池があるとは思いもしなかった。それでそのまま池に突進し、転落したのだ。
 隊員たちも、そして残っていた会社員たちも腹を抱えて笑っている。よく見れば不調の男までゲラゲラ笑っていた。この落水で携帯電話をダメにした。また、身長分の高さを構えずにすとんと落ちたことで、さすがに数日間首の痛さは引かなかった。この日は頭に来たので僕は帰った。
 ちなみにこの話はちょうど9年くらい前の話だ。29歳の年である。19歳の年には長崎のグラバー園でも同じく見えなかったという理由で池に転落している。今年38歳。そろそろ再び落ちる時期なのだと不安を感じている。
 それから、その噴水の池はその翌月か翌々月に埋め立てられて木が植えられた。僕が所属するホワイクワン・チームの中では「あれは高田が落ちたから」ということになってしまっている。今でも本当に回避できたのか疑問だ。水面と床がまったく同じ色になっていたのだから、避けようがないのではないか。タイ人だって知らなかったら落ちていると思いもするが、タイ人は全般的に目がいいのでどうなのかとも思う自分がいる。

現場に急行したメンバーと車。
現場に急行したメンバーと車。落ちた日ではないが、同じ年に撮影されたもの。


写真は現場ではなく訓練の様子。
写真は現場ではなく訓練の様子。担架はひとりで持ち運べるが、載せることはひとりではできない。


10年くらい前の担架。
最近は脚とタイヤのついた大きな担架が主流になっているが、10年くらい前は写真のように簡素な荷台に軽い担架のボードを載せていた。

  1. 2015/04/02(木) 18:24:44|
  2. 報徳堂
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第9回「不謹慎だが、笑ってしまう現場もある その3」

空振りになる現場も少なくない

 前回前々回に続き、現場で起こったおかしな話をしてみたい。
 報徳堂に限らず、タイのレスキュー・ボランティアの救急車は管轄区域内の要所にて待機する。どの方向にでも出やすい交差点やガソリンスタンド、大通り、どこかの駐車場などで複数の無線を聞きながら、同じチームのほかの車がどこに待機しているかを考慮しつつ、管轄内で起こった事故や事件に急行する。
 ただ、空振りということも実は結構な頻度で起こる。通りかかったトゥクトゥクなどで自力で病院に行ってしまう人、もしくは加害者や現場の人が運んでしまうこともあり、通報を受けて急行しても現場には誰もいないことも多い。現場の人は無線を持っていないので急行中であることを知らないことと、どうも一般人の中に救急車は有料だと思っている人も少なくないからだと思われる。ときどき搬送中に「いくらですか」と訊かれる。確かに私立病院の救急車は有料だが、報徳堂や公共保健省の救急車が無料だということを知らないのだ。
 さらに、場所によっては目印がない、入り組んでいるので説明できないところがあったり、通報者がその場所の名称を知らないため、受け手のこちらでも混乱が生じることもある。

当時の本部のレスキュー車。
当時の本部のレスキュー車は緊急灯が古めかしくていい感じだ。


目と鼻の先で発生した事件で

 ある日、地下鉄のタイ・カルチャーセンター駅そばのガソリンスタンドで我々アーサーのグループが待機していた。その日は車が2台、総勢8人のメンバーだった。その日はほかの地域でも事件事故が少なく、無線は静かなものだった。そこに唐突に通報が入った。
「ラチャダー通り、カルフール向かいで傷害事件発生」
 ラチャダーのカルフール(当時)は我々の目の前だ。全員が「?」となりながら、歩道に立ち、左右や前方を見る。すると、一番右手に立っていたアーサーが「あっちだ!」と叫び、走り出した。わけもわからず僕も走り出す。そして、最初に叫んだアーサーが倒れている若者に駆け寄り、なにか叫んだ。続いてふたりめのアーサーも到着し、なにか叫んだ。
「・・・が出ている!」
 よく聞こえず、3番目についたのが僕だった。若者を見て、僕も叫んだ。
「腸が出ている!」
 その後、あとに続いた4人全員が「腸が出ている!」と叫んだ。どうやら人は腸が出た人間を見ると「腸が出ている!」と叫ぶようである。唯一叫ばなかったのは急いで救急車を回してきた運転手のみだった。

当時、現場に駆けつけたメンバー。
当時、現場に駆けつけたメンバー。


このあとは笑えない話になってしまった

 この若者は刃物で腹部を刺され、破れた腹から腸が出てしまった。と言っても、わずか数センチなので全部が出ていたわけではない。意識もはっきりしていた。
 珍しい光景にあたふたとアーサーたちはこの男に取りかかっていた。しばらくして、若者が倒れていた場所の目の前にあるイサーン料理(タイ東北料理)の食堂の店主が、アーサーたちの一番うしろにいた僕の肩を叩いた。
「あの、中に・・・・・・」
 もじもじしながら話しかけてくるので、てっきりゲイ男性かと思った。僕は肌が白いからか、そちら方面でも結構モテたので本当にそう思った。しかし、中に、中に、と何度も言うので見に行ったところ、店内にはもうひとり、メッタ刺しにされ血まみれの若者が横たわっていた。こちらはまさに虫の息だった。
 ちょうど到着した別働隊に店内の若者を任せ、腸が出た若者を僕らは病院に運んだ。無線でこの事件が殺人事件に切り替わったことを聞いた。
 搬送後に現場に戻る。警察の現場検証、監察医の到着待ちでしばし死体は放置された状態だったので、僕ともうひとりのアーサーが監察医の補助で死体をいじくり回し始めたときには顔面に大量の蟻がたかっていた。刺殺直前にウィスキー・コーラ(タイではウィスキーとコーラを混ぜて飲むのが一般的に)の飲んでいたので、その甘みに蟻が集まったようだ。
 その日はそのあとに数件ほど大きな事件がバンコクで起こり、この事件は報道されなかった。そのため、続報はないのでどうなったかはわからないが、そのイサーン料理店はなくなった。凶器もすべて店内にあったもの。最初の無線通報も別のレスキュー団体のアーサーが直接入れてきたもので、彼はその現場から逃走した者を見ていないという。これはあくまで僕の推測でしかないが、僕の肩を叩いたあの男がこのふたりを刺した犯人なのだと思っている。

事件事故の現場はいつでも騒然。
今回の現場に限らず、事件事故の現場はいつでも騒然とする。

  1. 2015/02/16(月) 14:58:09|
  2. 報徳堂
  3. | コメント:0

第8回 「不謹慎だが、笑ってしまう現場もある その2」

 前回に続き、今回も僕自身が引き起こした失敗で笑い話になってしまった不謹慎な話をしたい。
 ラチャダーの中国大使館裏手の住宅街でけが人がいるという通報があったときのことだ。タイミング悪く、僕の無線は電池切れでなにが起こったのかがまったくわからないまま現場に立たされることになった。
 現場に着くと40代後半くらいの男性が鉄柵に乗り出して上を見ている。アーサーの先輩らも大きな声で「大丈夫か?」とか「もう少し我慢してくれ」と声をかけていた。ときどき上を見てはそんなことを何度も言っていた。状況から判断するに、数メートル上のベランダにけが人がいるのだと僕は考えた。

現場に一緒に行った先輩アーサーのひとり。
現場に一緒に行った先輩アーサーのひとり。

 現場はタウンハウスの端だった。タウンハウスはバンコクなど大きな街に多い、2階から4階建てくらいの長屋状の建物だ。

タウンハウス。
写真はハートヤイだが、タウンハウスとはこのように隣とくっついている長屋状の建物。

 その時点では僕はまだけが人が見えておらず、手当の準備に取りかかっている先輩らには訊けなかったので、その柵にいる中年男性に「どこにいるの? そこから見える?」と訊いた。しかし、このおじさんは答えてくれない。僕はおじさんの頬に顔を寄せるようにして一緒に上を見た。おじさんには見えているのだと思っていた。そんな僕に先輩が言った。
「なにしてんだよ!」
「いや、どこにけが人がいるか見えないんだけど」
「なに言ってるんだ、おまえは」

僕のイメージしていたけが人。
現場到着時の僕のイメージでは、こういったけが人がいるのだと思っていた。

 結論から言えば、そのおじさんが要救助者であり、鉄の柵に串刺しにされその時点ですでに死亡していた。僕は死体に顔を寄せていたおバカなアーサーになっていたようだった。野次馬はまだ遠巻きに見ているだけだったのでほかの人にはなにが起きているかはわからなかっただろう。死体を前に先輩アーサーたちは肩を震わせて笑いをこらえていた。
 このおじさんは数軒先の内装工事を請け負っていた職人で、住み込みで働いていた。夜、酒盛りになり、トイレに行くふりをして2階のベランダから端に回り、飛び降りてまた1階から入ればみんな驚くだろうと思ったのだと推測される。しかし、2階のベランダは6メートルはあり、しかも隣の家が串状になった鉄柵を作っていたので、左脇腹から右の鎖骨まで貫かれて死んだのだった。
 この事件は写真付きで翌朝の新聞の一面の端に小さく載った。僕は手だけが写っていた。これが僕のタイ・メディアのデビュー写真となった。
  1. 2015/01/26(月) 16:02:28|
  2. 報徳堂
  3. | コメント:0

第7回 「不謹慎だが、笑ってしまう現場もある その1」

まじめにやるほど笑ってしまうこともある

 今回から数回ほど、不謹慎だが笑ってしまった現場の話をしたい。
 我々アーサーも現場には緊張感を持って急行する。表向きは社会貢献だとか功徳だとか言うけれども、実際には特にすることもないし、サイレンを鳴らしてかっこよく走れるならと暇つぶしでやっているアーサーも少なくない。僕自身はそれを否定する気はない。動機はなんであれ、そしてそこに人助けをしたいという気持ちがないにしても、その行動で救われている人は確実にいるからだ。とはいえ、救急救命に携わる以上、現場で応急手当を確実にこなし、病院までいかに早く搬送するかを考え、どんなアーサーも急行時は多少でも緊張の面持ちになる。
 しかし、緊張すればするほど失敗することもある。現場が真剣であればあるほど、やっぱりおもしろいことが起こってしまうのだ。


死後硬直が始まった遺体回収現場で

 ある日、ラートプラオ通りソイ1のアパート前で40代前半の男性が亡くなっていた。我々が現場に着いた時点で死後数時間が経過している。この男性は直前まで友人らとソイの中にある雑貨屋前で酒を酌み交わしており、眠くなったからとピックアップトラックの荷台で横向きになり、自分の腕を枕にしながら眠り、そのまま亡くなった。
 人が死にしばらくすると死後硬直が始まる。この硬直はいずれ解けるもので、外気温との影響で始まる時間、終わる時間が違う。そのため、鑑識や司法解剖でおおよその死亡時刻が判明する。
 警察の確認が終了し死体回収になった(なぜかは憶えていないが、監察医は来なかった)。
 昔からタイで死体を回収する際は大きな麻の布を使っている。そこに死体を乗せ、頭と足の部分でぎっちりと布の端を結ぶとまるで棒のように硬くなって運びやすくなる。アメリカなどで使用されるジッパーがついたナイロン製のような死体袋もタイ政府と報徳堂などで一時期検討されたようだが、今のところ採用されていないようだ。
 男性を回収したときは死後硬直まっただ中だった。仰向けにしても寝ていた形のままになっている。枕にしていた腕がちょうど僕の側に来たので、僕はその腕をキコキコと何度も動かした。関節を屈伸させると硬直が解ける。何度も何度も動かして、まっすぐにする。周囲の野次馬も真剣な眼差しで僕を見つめる。日常では見られない光景だから当然だ。
 だいぶよくなったが、なかなかまっすぐにならない。しかし、警察も報徳堂本部の人も早くしろという無言のプレッシャーを与えてくる。周囲の野次馬に「あの日本人、仕事できないな」と思われたくもない。仕方がないのでやや曲がった腕を布で押さえ込むように包み、頭と足の部分で麻布を縛った。
 そして、数名の隊員と共に「1、2、3!」のかけ声で死体を持ち上げた瞬間、びよ~んとバネが跳ねるように腕が布の隙間から飛び出した。
 現場は大爆笑だった。

死体を布で包んだ状態。
死体を布で包んだ状態(警察病院司法解剖室前にて)。

死体は本部の車に積み込まなければならない。
死体の搬送はアーサーの車は許可されておらず、本部の車に積み込まなければならない。

街なかで発見された死体の回収。
街中で発見された死体の回収。布に紙を敷いている。

  1. 2014/12/25(木) 18:34:50|
  2. 報徳堂
  3. | コメント:0

第6回 「交通事故の現場」

車内に閉じ込められていた遺体は……

 ある日の深夜。四輪駆動車が猛スピードで走行中、ハンドル操作を誤ったのか歩道の縁石に乗り上げた。車は勢いよく何回転か、もしくは半回転だけしたところで、そこにあった木に激突し、地面に墜落した。
 現場の傷痕からその事故の経緯はそんなところかと思われた。

赤丸の部分に衝突痕があった。
赤丸の部分に衝突痕があった。

 車内には即死した若者がうつぶせに横たわっている。大破した車から遺体を運び出す術は現場に最初に到着したボランティア隊員たちにはなかった。屋根が完全にひしゃげ、遺体は車内に挟まれた状態だった。
 昼間のバンコクは渋滞が多く、高速走行できないのでこういった事故は少ない。しかし、郊外や夜間のバンコクは高速走行での無謀運転で稀に車内に閉じ込められるような事故も起こる。通報時点でそれがわかっている場合、無線での出動要請時には必ずその趣旨が伝えられる。車内に取り残された要救助者を搬出するのは特別な技術と機材が必要だからだ。特に今回の事故のように大破した車から搬出する場合は本部で所有する特別救護車(第3回の写真を参照)に搭載されている、エアコンプレッサーで作動するカッターなどを使わなければならない。
 このケースでは車の屋根が押しつぶされた状態だったので、まずは車体と屋根の隙間を機材で押し開く。それからカッターでドアや車体ボディ、フレームを切断してこじ開けた。
 そして遺体は引きずり出されたのだったが、うつぶせで挟まっていたと思っていた遺体は仰向けだった。外から見えていたのは遺体の頭で、角度から見て我々はうつぶせだと思っていたのだ。しかし、実際には彼の首はぐるりと回転して、ありえない方向を向いていたことになる。つまり、首の骨が折れていたのだ。

大破した車などを切断する機具。
大破した車などを切断する機具。

司法解剖室の入り口。
司法解剖は伊勢丹が入居するセントラル・ワールド向かいの警察本部内にある司法解剖室で行われる。写真はその解剖室の入り口。


死体の現場は監察医を待つ

 バンコクでは交通事故であれ殺人事件であれ、死体があるときは監察医(検死官)が現場に来て死体検分をする。ここで不可解な点があると司法解剖に回されることもある。事件は警察管轄下とはいえ、警官たちも監察医の到着まで死体に触れない。
 僕がボランティア隊員になって10年。いくつかの現場で死体に遭遇してきたが、監察医をひとりしか見たことがない。たぶん当直制でたまたま報徳堂の活動日程と同じになっているだけなのだとは思うが、なんにせよ一晩中、たったひとりの監察医と助手2名(もしくは1名)でバンコクの現場を走り回っているようだ。監察医は体ひとつで動いているために1回死体の現場が発生すると、報徳堂のチームは監察医が到着するまでひたすら待たないといけなくなる。
 冒頭の事故でも夜中2時過ぎに発生し、監察医到着は5時過ぎだった。明らかな殺人事件の場合は現場には一切手を触れないようにするが、こういったクラッシュは監察医到着までに遺体検分をしやすいように搬出しておく。ただし、現在では監察医到着までは布を被せてプライバシーの尊守をしている。

車から遺体を運び出す。
車から遺体を運び出す。ちなみに、一番右が僕、高田です。

遺体を布に包んで搬送準備をする。
遺体を布に包んで搬送準備をする。


タイも死体は隠すようにはなったのだが

 以前は遺体は道路に寝かせっぱなしで丸見せだった。被害者の尊厳と遺族の感情やプライバシーを考慮するよりもマスコミに露出させることで集まる寄付金が重要だったのだろう。かつては「191」や「アチヤーガム」などのクライムマガジンと呼ばれるジャンルの雑誌が人気で、えげつない死体写真をこれでもかと掲載していたし、メジャー紙の一面トップにも死体が普通に載っているのがタイだった。昨今はプライバシーの侵害や読者層が好まなくなったことからそういった写真は掲載されなくなったし、現場写真も白黒反転かモザイクがかかる。「アチヤーガム」に至っては現在も出版されてはいるが、仏教イベントの記事がメインになっている雑誌へと変貌している。
 この事故で監察医を待っている2、3時間、我々は歩道に布を敷き、さらに遺体の上から白い布で全身を覆っていたが、発生現場が近所のパブの帰り道だったため、やじうまが後を絶たない。それでも「なにが起こったの?」と訊いてくる人が少数いるくらいで遠巻きに見て帰っていく。
 しかし、その中にいたひとりの、今風なギャルといった女の子がなかなかの強者だった。
「たぶん、この人、親戚です」
 なので、死体を見せてくれ、と言うのだ。布を被せているのにどうやって親戚とわかったのかというツッコミはせず、僕らは一言「どうぞ」と答えた。見たければ自分で布をめくってくれと伝えた。
 さすがにこの子はめくらずに帰っていったのだが、近代化の中で死体が隠されるようになったタイでも、一般人のモラルというか感覚はいまだこんなものなのだ。

  1. 2014/11/25(火) 08:51:42|
  2. 報徳堂
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第5回 「華僑報徳善堂ボランティアにまつわる都市伝説」

アーサーがEMS費用の大部分も負担する

  前回、ボランティア隊員であるアーサーについて紹介し、その存在がタイの救急救命活動(EMS)を支えていることを書いた。アーサーは消防や警察、いろいろな団体にも存在する。功徳を好むタイ人らしいシステムで、報徳堂だけでなくタイ社会でうまく機能している点は世界に誇っていいと思う。タイにおいてアーサーはなくてはならないものなのだ。
 報徳堂などのタイのEMSに関係するアーサーの社会的貢献は、本来国が負担するべき活動費用の大幅な削減にも繋がっている。というのは、アーサーは全員、装備品すべてを自前で揃えるからだ。無線機、制服、救急箱にその中身はもちろんのこと、アーサーが使用する救急車(主にピックアップトラックを改造したものだが、2012年以降バンを改造したものが増えている)、赤色灯、担架、ガソリンなど、あらゆるものすべてをアーサーが自費で購入している。
 決して安いものではないのでアーサーも本当に好きでなければできるものではない。しかし、やはり功徳が身についているからか生活を切り詰めても装備を揃える人が多い。タイにいるとこのことが普通に見えるのだが、これは案外すごいことなのだと僕は常に感心してみている。

アーサーが使用するものはすべてアーサーが自分で購入したもの
アーサーが使用するものはすべてアーサーが自分で購入したもの

アメリカ製の救急バッグ
アメリカ製の救急バッグ


応募には訓練修了証が必要になった

 そんな報徳堂のアーサーになるにはおよそ2年に1回ある登録時期に応募しなければならない。しかし、公に募集をかけないので、まめに報徳堂に確認するか、近所のアーサーたちと仲よくなってから入隊するしか道はない。現実的にはどこかの管轄に所属しないといけないので、後者しかアーサーになれないと思ってもいい。
 応募に必要な書類は次のものだ。

①申込用紙
②IDカード(20歳以上であること。基本的に学生は不可)
③健康診断書
④規定の応急処置訓練修了証明書

 応急処置の訓練修了書はいくつかの病院で行われている講習会に参加した証明書だ。以前は未経験者歓迎だったが、昨今は最低限の知識が要求されるようになった。バンコクだとウィパワディー病院などが定期的に開催している。


分担制で、団体間の抗争はほとんどない

  アーサーは担当地区内であれば好きな時間に参加していいことになっているが、バンコクでは実質1日おきにしか活動できない。というのは、タイの2大レスキューである報徳堂と義徳堂で担当地域を分担しているからだ。
 バンコクではペッブリー通りを境に南北に分け、朝の8時を起点に両者で交代している。例えば当月の偶数日は北を報徳堂、南を義徳堂、奇数日はその逆という風にしている。これは分担にしていなかったころに発生した抗争などを鑑みて作られた制度で、一般的にはあまり知られていない。
 1990年代頭くらいまでは、報徳堂と義徳堂は現場の取り合いをしていた。現場で主導権を握り、マスコミに露出すれば活躍をアピールでき寄付金も多く集まる。主導権の取り方は至ってシンプルで、事件が発生したら現場に急行し、先に被害者もしくは死体にタッチすればよかった。
 この場合、現場に急行するのはバイクに乗ったアーサーたちで、彼らが無茶をして現場到着までに自分が仏になる事案が多々あった。そのため、バンコクにおいては警察や国、報徳堂と義徳堂で取り決めをした結果、バンコクを南北に分け交代制になった。いまだに報徳堂と義徳堂は険悪で、暴走族まがいの不良少年たちがアーサーになると思っている一般人は少なくない。もはや都市伝説と言っていい。小さな慈善団体の連中が縄張り争いの事件を起こしているが、2大レスキューは現在では協力し合ってEMSを遂行している。

無線機は中古でも1000バーツ、新品は安くても2000バーツ以上はする
無線機は中古でも1000バーツ、新品は安くても2000バーツ以上はする


アーサーにまつわる都市伝説

 都市伝説と言えば、アーサーが泥棒をするというのもいまだに聞かれる。しかし、現在ではそのようなことをするアーサーはいない。タイ人の多くが裕福になったからとも言えるが、報徳堂などのレスキュー慈善団体本部が最も取り組んでいるEMSに対する心得と意義の啓蒙でひとりひとりが活動に誇りを持ちEMSに注力するようになった。
 例えば、現場では警察官の立ち会いの下、要救助者もしくはその関係者がいる前でしか持ち物を確認しないようにくどいほどに言われている。死亡していたり、関係者がいない場合は野次馬をそばに呼んででも行うように指導が徹底している。
 2004年から参加している僕だが、これまで一度だって被害者の金品をアーサーが盗んだという話を聞いたことがない。今はそれくらい誰もが気をつけているし、そんなことをしようとも思わない。
 それでもいまだに「アーサーを見たら泥棒と思え」的なことを思っている人が少なくない。そんな人も事件事故ではアーサーの世話になるというのに。

所持品確認は気を遣う
所持品確認は気を遣う


  1. 2014/10/30(木) 05:09:28|
  2. 報徳堂
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第4回 「華僑報徳善堂ボランティア隊員たち」

タイEMSを担う主役はボランティア

 これまでに報徳堂の本部職員のレスキュー部門について書いたので、今回はボランティア隊員について紹介したい。
 ボランティアはタイ語では「アーサーサマック」という。会話の中では省略してアーサーと呼ぶ。これは報徳堂だけでなく、消防や警察、各種慈善団体でも同じようにボランティア隊員や職員が存在し、アーサーという。功徳を好むタイ人らしいシステムで、うまく機能している点はもっともっと評価されるべきことだと思う。
 タイのEMS(救急救命活動)はこのアーサーに頼る部分が大きい。というのは、報徳堂でいえば、本部隊員はせいぜい200人いるかいないかといったところで、バンコクですら活動範囲を網羅することが難しい。人員を増やすにしても寄付金で成り立つ慈善団体では簡単なことではない。そこで要となってくるのがアーサーで、報徳堂は1500名近くのアーサーを抱えているとされる。これだけのマンパワーがあって初めてバンコクのEMSを担うことができるのだ。

街中の事故現場で活躍するのはボランティア隊員
街中の事故現場で活躍するのはボランティア隊員


外国人ボランティアは珍しい存在

 当然ながら、タイにいくつもあるレスキュー団体に所属するアーサーはタイ人ばかりだ。そんな中に僕はいるので、全国的に見てもレスキューの外国人アーサーというのはかなり珍しく、一時期はメディアの取材をよく受けた。数回ほどタイの全国放送でも取り上げてもらったことがあり、知らない人から見たと言われたこともあった。
 2011年3月には日本人向けクラブ街で有名なタニヤの真ん中にある大きなビジョンで、僕ひとりだけを取り上げてもらったタイ7チャンネルの特集が放送されたらしい。夜中の1時半のカラオケ店が閉店する時間帯で観た人も多く、呼び込みのホステスたちに「レスキューさん」と呼ばれるようになり、微妙な気分になったことを憶えている。
 僕が受けた取材は記憶にあるだけで、タイのテレビが3局、タイの新聞1社、シンガポールのテレビ、台湾の新聞、日本のニュース番組がある。日本のはどうやら不採用になったようだし、台湾とシンガポールはその後どうなったかは不明のままだ。タイの新聞もその後その記者に会っていないので掲載されたのかわからない。友人らからは「ミスター・お蔵入り」とニックネームをつけられたが、2011年以降はタイのテレビでは放送される確率の方が高い。
 タイの番組は撮影意図を説明せずにインタビューが始まるので、正直、困る。アーサーとしてのインタビューと思えばタイの国王陛下を称える番組だったこともある。ただでさえタイ語で話すというのは難しいし、日本語であったとしてもカメラの前で思っていることをすらすらとは言えないものだ。
 自分でちゃんと確認できた放送では結構ペラペラ喋っているものがあった。あれはレポーターがいきなり話しかけてきたので、まさか映っているとは思ってもいなかったからだ。


ボランティアチームの構成

 アーサーは基本的に各警察署の管轄エリア内で活動する。僕が所属するのはホワイクワン署管轄だ。1署当たりにアーサーは20名前後が配置されている。チームは2~3署分をまとめて1チームとするので、各アーサーのチームには大体60名前後が所属することになる。
 チームの中で001の番号を持つ人が一応の責任者で、この責任者のやり方でだいぶチームの色が変わる。若い人だと自由過ぎてまとまりがなかったり、逆にうちのチームのようにベテランが取り仕切っていて規則が厳しいチームといろいろある。まとまりがある方が本部との連携も多くなり、本部のイベントの手伝いやテレビ取材などに呼ばれ、いろいろとおもしろいことが多い。

地元の仲間がボランティアになるので仲がよい
地元の仲間がボランティアになるので仲がよい


 アーサーになる人の職業もまたいろいろだ。バイタクの運転手から芸能人まで様々いる。僕の所属チームの場合、隊長はタイの某銀行に勤めているし、バイタク、タクシー、日系企業の社長の運転手、会社員、国立病院職員、看護婦と多岐に渡る。
 芸能人は報徳堂の活躍を広く知らしめるための広告塔として、スィラピン(タイ語で芸術家という意味)というグループに入り、所轄に関係なく好きな場所で活動ができる。
 アーサーにも本部隊員にも隊員番号が与えられ、無線交信はすべてその番号を使用する。一般的なアーサーは所轄警察署の名前と番号が組み合わさる。僕の場合は「ホワイクワン005」だ。ライターとして取材を考慮すると本当はスィラピンに入って自由に動き回りたいのだが、さすがに厚顔すぎて本部にお願いをしたことはまだ一度もない。
 
サングラスの人は芸能人
サングラスの人は芸能人

  1. 2014/10/02(木) 17:23:42|
  2. 報徳堂
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第3回 「華僑報徳善堂の本部隊員 後編」

隊員内でも人気が高いレスキュー

 レスキューというからにはやはり人命救助こそが花形だ。報徳堂では水色のユニフォームを着た隊員がそれに当たる。華僑崇聖大学の学生や医学生が実習で同乗する際も色合いやデザインがやや異なる水色のユニフォームを着るので間違いやすいが。

水色のユニフォーム
水色のユニフォーム。警察病院の司法解剖室前にて

 彼らは応急措置の訓練はもちろん、潜水、消火活動、ロープワークなどあらゆる訓練を受けている。
 報徳堂には特別救護車という特殊機材を積んだ車があり、防火服や酸素ボンベも搭載している。これらを身につけ、火災現場や水難現場に飛び込んでいくこともある。タイにも消防署は存在するがこちらもボランティアに頼っているので、報徳堂など慈善団体の隊員が活躍する場面も多い。

報徳堂の特別救護車
報徳堂の特別救護車

特別救護車の装備1
特別救護車の装備1

特別救護車の装備2
特別救護車の装備2

 2001年ごろにナコンラチャシマー県(コラート)のパクチョン郡にある陸軍基地の弾薬庫が炎上し、市内まで爆音が聞こえるほどの大火災が発生したことがある。その際も地元レスキューを支援する形で報徳堂本部の隊員が何名か駆けつけた。その現場に行った人と話をしたことがあるが、やっぱり彼の25年以上のキャリアでもなかなか印象的な現場だったようである。感想を聞くと、
「恐かったなあ」
 の一言だった。燃える弾薬庫に突入する勇気はプロの証だ。


潜水もプロ並みでないといけない

 レスキュー部門の隊員に潜水について訊いてみた。転落や溺死などはドブ川でも起こる。
「タイの河川は透明度が低いので潜水してもなにも見えないから恐い」
 誰が書いていたか記憶が曖昧なのだが「死体は見えないから恐い」という記事を読んだことがある。墓場や夜静まった通夜のあとの会場は死体の姿が見えないからそこになにかが存在しているのではないかと想像することで恐くなるのだという。
 そういえば、1990年代はシリラート病院解剖学資料室、別名『死体博物館』は当時の医学生の実習棟の上にあった。最上階にあって、その下の階は医学生の解剖実習室だった。夕方だと誰もいないので、乾燥を防ぐ袋に入れられた献体が静かに並んでいて不気味だった。上の資料室はもっと広く大量に奇形児や神経系のホルマリン漬けがずらりと並んでいるのに、たったひとりでいても怖くもなんともない。やはり見えないから恐いのだ。
 よくタイ人に「レスキューをやっていてピー(お化け)は恐くないのか」と訊かれる。死体は見えないから恐いが、霊は見えたら恐い。いつも返答に困ってしまう。ただ、ひとつ言えるのは、霊よりも生きている人間の方が恐い。僕自身も何件か殺人事件や傷害事件の現場に急行している。その際にいつも感じるのは人間の悪意は計り知れぬものがあって恐いということだ。
 報徳堂の隊員たちは日夜、そんな人間のどろどろした部分も垣間見ながら任務を遂行している。

  1. 2014/09/01(月) 12:59:35|
  2. 報徳堂
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第2回 「華僑報徳善堂の本部隊員 前編」

報徳堂のレスキュー部門は3部署

 今回は華僑報徳善堂の本部におけるレスキュー隊員について紹介したい。
 報徳堂本部の中で救護関係に携わるのは全部で3部署ある。経理やラジオセンター(関係者専用の無線基地)、ボランティア課など様々な部署があるが、報徳堂の主力はなんといってもレスキュー関連の部門になる。
 報徳堂は基本的に一般市民からの寄付や支援で運営されている。レスキュー部門の活躍こそが一般市民の目に最も留まる活動であり、これにより寄付金の集まり方が変わってくるとされる。
 正直に言えば報徳堂などへの寄付金は税金控除の対象になるので、節税のために寄付をする富裕層も少なくはないのだが。

ボランティア隊員とイベントの準備をする救急車隊員
ボランティア隊員とイベントの準備をする救急車隊員


最も出動件数が多いのが警察支援部隊

 レスキュー部門の正規隊員の中で、活躍が最も一般の方の目に留まるのは黄色い制服を着た警察支援部隊だ。彼らは交通事故や殺人事件など、警察の管轄下に発生した事案の業務をこなす。けが人がいれば手当をして病院に運び、殺人事件が起きれば現場保存の補助や検証写真の撮影をする。

過労死(?)の現場で遺体の写真を撮影する警察支援部隊隊員
過労死(?)の現場で遺体の写真を撮影する警察支援部隊隊員

 僕のようなボランティア隊員とほぼ同じ仕事をしているのがこの警察支援部隊だが、ボランティアと大きく違うのは死体の搬送業務があることだ。ボランティアは事件の証拠ともなる死体の搬送は許されていない。
 ちなみに、報徳堂では市民の葬儀の際に依頼があれば霊柩車の役割も果たす。この場合もボランティアが死体を搬送することはできず、警察支援部隊が行っている。

警察支援部隊の車で搬送を待つ交通事故のけが人
警察支援部隊の車で搬送を待つ交通事故のけが人


エリート集団の救急車部隊

 最新医療機器を搭載した救急車部隊は白いユニフォームを身に纏う隠れたエリート集団だ。
 というのは、報徳堂などのレスキュー隊は数年に1回しか正規隊員の募集がなく、数十倍の競争率となる。仏教信仰が身に染みついているタイ人は善行をしたがる傾向にあり、金をもらいながら功徳となる報徳堂の仕事は非常に人気が高いのだ。
 入隊後は過酷な応急措置訓練や潜水訓練を行う。これらをクリアすると警察支援部門か次回紹介する花形のレスキュー部門に配属される。希望してもすぐには救急車部隊には入れない。規定の実務経験を積んでからでないと搭乗資格を得られないのだ。それほど、白いユニフォームを着るのは難しい。
 報徳堂の救急車の任務は傷病者の搬送がメインだが、特に警察支援部隊やボランティア隊の装備では処置できない重傷者への対応でその力を発揮している。
 ボランティア隊員がこう言ってはいけないかもしれないが、この白いユニフォームの人たちがやってきたら、けが人も安心してくれていいでしょう。

救急車の装備は常に最新のもの(写真は数年前のもの)
救急車の装備は常に最新のもの(写真は数年前のもの)

  1. 2014/08/19(火) 23:03:24|
  2. 報徳堂
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第1回 「華僑報徳善堂の歴史」

 タイの救急救命を担う慈善団体「華僑報徳善堂」はポーテクトゥングと呼ばれ、タイ国内において同様の団体が大小数十ある中、最も長い歴史を誇る。名称の通り、タイに暮らす中華系住民たちが立ち上げた団体で、タイ語の読みは省略した「報徳堂」の中国語発音をそのままタイ語表記にしている。
 報徳堂に強い興味を持ち、気がつけば在タイ年数が12年を超えた。そして、憧れの報徳堂のユニフォームの袖に腕を通してから、今年で10年を迎えようとしている。そんな僕が、この「バンコク便り」の中で日本人にはあまりよく知られていない報徳堂について紹介しながら、現代タイ人の生の姿を書いていきたい。


創立100年を超える報徳堂

 報徳堂は2010年に創立100周年を迎えた。
「この華僑報徳善堂の由来については、1896年に華僑の馬潤が、郷土である広東の潮陽県からバンコクのチャイナタウンへ宋大峰祖師金身塑像を持ち運び廊に納めたことが始まりである。(中略)それゆえ、1910年には、同じく華僑の鄭智勇をはじめとする12名の華僑有志により、社会慈善福利事業の全面的な開拓を目的に慈善団体として本格的に報徳堂(現華僑報徳善堂)を設立したのである」(引用:中山三照著「公的補助金に依存しない社会事業の実現」トレンドライフ発行)
 宋大峰祖師は1120年頃に広東省潮陽県で災害に苦しむ人々を助けた僧侶として知られている。現在も報徳堂本部の寺院にこの像が祀られている。

バンコクの中華街、ヤワラーにある報徳堂本部
バンコクの中華街、ヤワラーにある報徳堂本部

 設立当初の活動はリアカーを引き、行き倒れや引き取り手のない遺体を回収し埋葬することだった。その後、1937年に慈善団体としてタイ政府に認可され、タイ人で知らない人はいない、大きな組織へと発展した。遺体回収活動も徐々にEMS(救急医療サービス)などに変わっていき、現在の形になった。

設立当初のリヤカーの写真(報徳堂ホームページから)
設立当初のリヤカーの写真(報徳堂ホームページから)


多岐に渡る報徳堂の活動

 報徳堂の活動はレスキュー活動がクローズアップされるが、実はそれだけではない。
 タイ国内災害地へのレスキュー隊派遣はもちろんのこと、バンコクで救援物資を受け付け、被災地へ輸送・配布も行う。2004年12月にスマトラ島沖地震により発生したプーケットなどの津波や、2011年のアユタヤなどからバンコクにかけて被害が出た洪水にもすぐに行動を起こしている。
 こういった災害への対応はタイ国内にとどまらない。2011年3月の東日本大震災の際に500万バーツを日本大使館へ寄付し、ハイチ地震などでも素早く募金活動などを行った。
 それから、タイ国内、主にバンコク近郊の低所得者のための寄付も定期的に行われている。米や生活用品などを報徳堂で購入もしくは寄付してもらい、それらを無償で配布している。
 このような広範囲に渡った「人助け」全般を報徳堂は行っている。
 元々の活動であった身寄りのない遺体の引き取りは行ってはいるが、住居登録証(日本の住民票に当たるもの)がオンライン化され、そもそも身寄りのない遺体というものはほぼなくなっているため、規模は縮小している。

スティサンでの傷害事件。棒で殴られた負傷者の応急処置をするボランティア隊員
スティサンでの傷害事件。棒で殴られた負傷者の応急処置をするボランティア隊員

在タイ華僑のアイデンティティー確保のための活動

 報徳堂は華僑病院(フアチアオ病院)という総合病院も経営している。一般的な西洋医学を中心にしながら、中国伝統医学にも力を入れ、ナコンラチャシマー県などに支店を出すに至っている。
 それから報徳堂が運営する華僑崇聖大学(フアチアオ・チャルームプラキアップ大学)がスワナプーム国際空港の近くにある。中国語や中国伝統医学の学科がよく知られている。
 このように報徳堂は中華系移民がタイ社会に溶け込みながら、子孫に故郷のアイデンティティーを守ってもらいたいという目的も持っているとされる。報徳堂設立当初、華僑の地位は現代ほど高くなかった。肉体労働者の多くが中国から渡ってきた人々だったため、タイ人(ここでは人種としてのタイ人)は華僑を下に見る傾向にあった。そこに登場した報徳堂が在タイ華僑を認めてもらう努力をし、結束することで自分たちを守ってきたのだ。
 これが報徳堂の成り立ちである。現在は役員こそ中国名を持った中華系タイ人であるが、職員やボランティアはタイ族が圧倒的に多い。タイ社会に認められるというひとつの目的は果たせているようだ。

  1. 2014/08/01(金) 00:40:23|
  2. 報徳堂
  3. | コメント:0

プロフィール

bangkokdayori

Author:bangkokdayori
●プロフィール
高田胤臣(たかだ たねおみ)
タイ在住ライター
報徳堂ボランティア隊ホアイクワン005

1977年東京生まれ
1998年初訪タイ。その後旅行で何度かタイを訪れ、2000年から1年間、ユニオン・ランゲージスクールに語学留学
2002年9月からバンコク在住
2004年11月から華僑報徳善堂にボランティア隊員として参加
2011年2月に彩図社より「バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー共著)、2012年8月に同社より「東南アジア 裏の歩き方」を出版
現在はバンコクに編集部がある月刊総合誌「Gダイアリー」に複数の連載やほぼ毎月特集記事を、ウェブサイト「日刊SPA!」やバンコクの無料誌「DACO」にて不定期で執筆中

http://nature-neneam.boo.jp/

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