バンコク便り

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第27回「前国王を火葬した祭壇が一般公開され見に行ってきた」

 プーミポンアドゥンヤデート前国王を火葬した祭壇が11月2日から月末まで一般公開されている。8ヵ月かけて造ったが、公開期間が終われば解体される。おそらく一部はどこかの博物館に寄贈されるのではないかとは言われているが、10月26日のたった1日のためだけに建造された刹那的な最高位の祭壇だ。
 当然、前国王が崩御した日とこの火葬が行なわれた10月26日はタイの歴史が大きく変わる節目でもあった。しかし、正直なところ、かつての僕であればあまりこういったものに興味はなかった。バンコクの定番観光スポットであるエメラルド寺院や涅槃像で有名なワットポーも、初めて訪れたのは初訪タイから数年経ったあとだ。まったく見たいとも思わず、以前は古いものではなく、現在のタイ人そのものに興味があった。
 それが歳をとったからか、ある程度タイ人がわかってきたからか、今はもっと深くタイを知るにはタイの歴史を学ぶ必要があると思っている。一番最初にそれを思ったのはタイではなくカンボジアだった。僕は、アンコールワットの直線と方角をビシッと定めたあの造りに感動した。この国になんでこんなにもきっちりしたものがあるのか、と思った。そして数年前、タイ東北地方の玄関口、ナコーンラーチャシーマー県にあるピマイ遺跡を初めて訪ねた。ここもタイ国内にありながらアンコールワットと同じクメール遺跡であり、やっぱり方角と直線の美しさがあった。自分にも遺跡がおもしろいと感じるときが来たのかと自分に驚き、こういった昔のことを知るのもいいなと考えるようになった。
 今回の火葬の祭壇は古いものではないけれども、タイの宗教美術と仏教の歴史が織りなす最高の芸術品でもあり、今後語り継がれるであろう。ちょうど友人が日本からやってきたので、いい機会だからから見ておこうと、僕は重い腰を上げた。
 

警官とおばさんとどちらが正しいか

 さて、友人を連れて現地に赴いたのはいいにしても、そもそもどこから入るのかがまったくわからない。王宮前広場で葬儀が執り行なわれたのは知っているが、祭壇見学の入り口はまったく調べずにやってきた。ちょうど友人は過去に訪タイ歴があり、カオサン通りも久しぶりに見てみたいというので、カオサンに寄り、歩いて広場に向かった。
 適当に誰かに訊いてみようとしたところ、ちょうど国立博物館前にいた物売りのおばさんと目が合った。
「入り口はターチャーンの前よ」
 ターチャーンは王宮やワットポーに最も近い船着場だ。BTSサパーン・タークシン駅前からの水上バスの発着場でもある。国立博物館からならタマサート大学の方に向かい、仏像のお守りを売る市場を過ぎたらすぐだ。
 ところが、僕はなるほどと思いながらも、なぜか、これはほかの人にも訊いた方がいいなと考えてしまった。よくタイ人はわからないことをわからないと言わず、適当に臆測でものを言う。僕は勝手にその物売りのおばさんもその部類だと思ったのだ。
 ターチャーンは王宮前広場から見て南西の辺りにある。近くにいた警察官に尋ねたら、真逆の北東側に入り口があると言った。僕は警官を信じた。
 しかし、結論から言うと、物売りのおばさんが正しく、警官も間違ってはいないが、そこはタイ人専用の門で、外国人は南東側にある門に行かなければならなかった。結局、王宮前広場をぐるりと周回する羽目になり、時間にして30分以上歩くことになった。もしおばさんを信じていれば10分も歩かなかったのに。
 この祭壇は11月末まで公開されているので、もし行ってみたい人はターチャーン船着き場を目指すか、サパーンチャーン・ローングシー交差点を目指すこと。外国人はパスポーートかタイの運転免許証などの身分証明書を提示すれば入れる。

王宮前広場や王宮周辺は通行止めが続く
王宮前広場や王宮周辺は通行止めが続く。王宮やワットポーは検問を通らなければならないが、通常営業をしている。

ターチャーンの検問所
ターチャーンの検問所。身分証明証を防犯カメラに掲げて見せながら入場する。


驚いたのは喪服姿がほとんどいなかったこと

 祭壇見学で懸念していたのは、服装はどうなのかということだった。一応10月29日で服喪期間が終わってはいるが、敬愛された前国王の最後の地。王室や宗教関係には保守的なタイ人だから、喪が明けているとはいってもさすがにジーンズにTシャツではまずいのではないかと思った。僕は一応紺色の長袖シャツを着ていったが、下はチノパンだったし、友人はTシャツだ。
 ところが、検問所でもなにも言われなかったし、それどころか、タイ人でさえ喪服ではない。赤い派手なシャツを着ている人もいた。服装はまったく問題なかったのだ。もちろん、例えばタイの寺院では女性のミニスカートなどは禁じられているので、おそらくそういった服装は注意されるだろう。要は常識的な範囲であれば、喪服でなくてもいいのだ。
 さらに驚いたのは、近辺に警察官や軍人はいるものの、特に厳重な警備でもなかったし、タイ人も中国人団体観光客らも笑顔を見せながらべらべらとしゃべりながら歩いていたことだ。敬意といったものを押しつけられて、静かに会場に向かわなければならないのかと思ったら、まったくそんなことはなかった。前国王が崩御されてから1年間はこの周辺はタイ全土からたくさんの弔問客が訪れ、雰囲気も重々しいものだったが、服喪期間が明けた途端、がらりと変わってしまったようだった。

タイ人は写真撮影に余念がない
前のグループが退出するのを待っている間もタイ人は写真撮影に余念がない。


ちゃんと一般公開は最初から決めていたこと?

 祭壇の見学は1グループが45分間の時間制になっていた。1グループは数百人単位で、入り口に入るとまずは待合所に誘導される。そこで数百人が席に座らされ、座席がいっぱいになれば別の列に連れて行かれて次のグループに入ることになる。
 軍人らが先頭に立っているようではあったが、ボランティアの誘導員も多かった。入り口ではボランティアたちが無料で水と食べもの、団扇を配ってくれる。水はいいにしても、食べものは唐揚げともち米が紙に包んであるのだが、どこで食べろというのか。団扇も形が変で、扇いでも風が来ない。前国王のことや祭壇について書かれたパンフレットももらえる。ただ、タイ語と中国語しかないようだった。
 ボランティアは僕自身がレスキューのボランティア隊員をやっていることからなんとなくわかるが、レスキューは暇潰しでやっている人が多いのに対して、さすがにここで働くボランティアは国のために、王室のために働こうという前向きな意志があると感じた。おもしろいのは、ここのボランティアたちを支えるためのボランティアたちも裏にいることだ。食料や水はそういった裏方が手配しているのだ。
 前グループの見学が30分を過ぎると移動開始となる。まずは祭壇周辺の外門の前で時間が来るのを待つ。そして、前のグループが出て行くと門が開き、我々の番になる。
 僕は内心でかなり驚いていたのが、この手際のよさだった。王室の関係施設であるし、上が軍や警察の関係が司っているからというのがあるにしても、タイでここまで人の流れを管理することができるのか。それに、祭壇周辺を巡ってみると豪華な飾りすべての説明文がしっかりと展示されている。祭壇の周囲にある施設も現国王陛下やVIP来賓が来るからと、たった8ヵ月とはいえ当然しっかりとした造りになっていた。国民には葬儀後に一般公開のことが発表された印象があるが、これはかなり前から準備していたに違いない。あまりにもすべてがしっかりしていた。
 火葬場となった祭壇は美術センスのない僕が見ても確かに素晴らしいものだった。実は火葬自体はテレビでは放映されていない。あの日、朝から葬儀の様子をずっとテレビは追っていたけれども、夜10時に火が入るタイミングでその中継は打ち切られた。だから、ほとんどの人がこの一般公開でその祭壇をしっかりと目にした。きらびやかで荘厳で、じっと見入ってしまう素晴らしさがあった。
 祭壇の周囲の施設には制作過程や、関連美術品が丁寧に展示されていた。見学は45分間だが、出て行くのは自由。しかし、本当にすべてを見ておきたいのであれば45分ではまったく足りない。その場合はもう一度門に入って見直すしかない。
 見学に訪れていたタイ人の中にはおしゃべりしながら笑顔でいる人もいたし、祭壇の前で地面にひれ伏して最敬礼する人もいた。意外とタイ人はドライだなと感じた。タイも時代と共に変わりつつあるのかもしれない。

歴代国王の祭壇で最も大きい
中央の仏塔の先端が50m超だそうで、歴代国王の祭壇で最も大きいものなのだとか。

ナーガも高級感が漂う
タイの寺院では階段に必ずあるナーガもどこか高級感が漂う。

細部に至るまですべてが緻密で繊細
細部に至るまですべてが緻密で繊細な芸術品になっていた。

細部の飾りにまですべて説明が
細部の飾りにまですべて説明がつけられていた。

「周囲の動物などの芸術性が圧倒的」
マンガ家のたーれっくさん曰く「こういった周囲の動物などの芸術性が圧倒的」とのこと。

前国王の棺を載せた山車の車輪跡?
タイ人は誰も気に留めていなかったが、この痕跡は前国王の棺を載せた山車の車輪跡では?

すべてを見たら45分では到底足りない
こういった作品などもすべて周囲の施設に展示され、説明がなされる。すべてを見たら45分では到底足りない。


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  1. 2017/11/21(火) 18:09:38|
  2. タイ国王陛下
  3. | コメント:0

第26回「タイの歴史が今度こそ大きく変わる? タイ前国王の葬儀」

報徳堂のボランティアも参加している前国王の葬儀

 2017年10月26日にタイのプーミポンアドゥンヤデート前国王の葬儀が執り行なわれた。タイでは朝からどのチャンネルでも同じ映像とアナウンスが放映され、ほとんどの国民が観ていたのではないかと思う。
 報徳堂の正隊員やボランティアもたくさん参加したようだ。僕自身は行っていないが、報道部門のグループラインでは活動の様子が報告されていた。テレビ放映では一切なかったが、炎天下だったので一般市民の参列者の中には倒れてしまう人も少なくなくて、報徳堂や義徳堂のボランティアたちが大活躍したようだ。
 タイはこれまでの傾向では10月末までが雨期で、11月に入ると乾期になる。朝起きると肌で「あ、乾期に入った!」とわかるほど空気が変わる。10年くらい前は乾期に入ったら雨が降ることなんてまずなかった。最近は季節の変わり目がわかりにくくなったし、乾期の間もよく雨が降る。ただ、空気感は相変わらずで、今年は先週、乾期に入った空気を感じていた。
 そんなこともあってか、国王の葬儀は朝から青空で、誤解を恐れずに言うならば、葬儀の隊列がより美しく見える天候に恵まれていた。先々週、バンコクは歴史的豪雨に見舞われた(ちょうど僕自身はバンコクにおらずタイ南部にいたため体験していない)のがまるでウソのような天候だ。これも前国王の神秘的な力なのではないかというほど、いい日になった。

火葬場の模型
国立博物館にあった王宮前広場に特設された火葬場の模型。歴代国王の中では最も大きな火葬場になるのだと聞いたことがある。

一般市民の参列客は喪服を着ている
一般市民の参列客は喪服を着ている。スマートフォンを弄るあたりにやっぱり時代の変化を感じる。(テレビ放映のキャプチャー)


すべてが荘厳な出棺の儀式

 子どももいるし、喪服を持っていないから現実的に現地には行けないので、前国王の棺を火葬場に移動させる隊列はテレビで観ていた。これもまた誤解される言い方かもしれないが、素晴らしいほど荘厳な隊列だった。
 まず、タイらしく色合いが鮮やかというのがある。一部は民族衣装を着るのだが、それが赤などの派手目な色合いになっている。これをタイ族らしい焦げ茶色の肌の若者たちが
身にまとい、一糸乱れぬ動きで前国王の棺を乗せた山車を牽いていく。最近のタイ人は男でも色白が多くなったのだが、どうしてこんなにも茶色いのかというほど、いい肌の色をしているタイ人男性が揃っていた。
 それから、ワチラロンコーン国王を始めとした隊列は英国の近衛兵のような赤い軍服と、黒い髪の毛のような、あの長い帽子をかぶる。タイは英国の影響を強く受けているので、そういった端々にイギリス感がある気がするが、この近衛兵は最たるものだ。この隊列の動きもまた美しい。
 それからなによりも使用されている道具。棺の山車、僧侶を乗せた神輿、隊列の傘。どれをとってもタイの歴史を彩る芸術品だ。一段落したらこういった道具は博物館に飾られることになるだろうし、歴史の変わる大切な日であり、国王の葬儀ということで最高級品を使うのは当たり前でしょう。そういったものに興味のない僕でさえ感心するほどのもので、所作から道具からすべてが最高レベルといった水準であり、何時間でも見入ってしまうものだった。国王崩御から1年後に葬儀というのが当時「なぜ?」と思ったが、あのレベルの葬儀なら1年で用意できたことがすごい。普段あれだけいい加減なタイ人もやればできるのだなと感心するほどだった。

出棺の隊列
出棺の隊列。所作から道具からすべてが一流で、何時間でも観ていられた。(テレビ放映のキャプチャー)

特設ステージでのコンサート
火葬は26日22時に始まった(とされる。テレビ放映はない)。その後は特設ステージで古典舞踊ショーやコンサートが開催され、タイらしい明るさもあった(それはテレビ放映があった)。(テレビ放映のキャプチャー)


正直、どうなってしまうのか心配だった

 プーミポンアドゥンヤデート前国王が崩御したのは2016年10月13日。26日の葬儀は厳密には1周忌ではない。ただ、今月13日には儀式があり、タイは一応休日となっていた。
 我々日本人にとって、特に昭和50年代前半以前に生まれた人は昭和天皇の崩御の日を今でも思い出せるのではないだろうか。タイ在住日本人の多くもあの日とタイ前国王崩御の日を重ねたのではないか。僕自身は小学校5年生だったのではっきりとした記憶ではないが、とにかくテレビは葬儀一色であり、飲食店なども休みになっていたところが多く、正直、つまらなかったような気がする。
 タイの場合、特にプーミポンアドゥンヤデート前国王の人気は絶大だったので、それこそすべてが停止するほど国民は悲観するのかと思った。ところが、翌日になってみれば宅配ピザはやっているし、どこの飲食店も開いていたし、アルコール販売も普通にあった。
 そして、国王崩御からジャスト1年の13日。今年はちょうど金曜日だったこともあって、3連休になった会社も多かったようだ。とはいっても、いつもの嬉しい3連休ではなく、あくまでも国王を失った悲しみの日になるのではないかと僕は思っていた。しかし、それなりの人数のタイ人がいつもの連休と同じように郊外や海外に旅行に出かけていた。当日、僕は南部にいて飲食店の取材をしていたのだが、店内のテレビで流されていた儀式を観ていたのは僕だけで、ほかのタイ人は楽しいおしゃべりに興じていた。
 確かに昭和が終わったときとは時代が違う。タイ政府も一般企業には節度は求めるものの喪に服すことを強要はしなかった。だからといって、あれだけ尊敬し慕っていた前国王の命日にそれか? と思ったものだ。人間、生きて行くにはいつも前を見ていなければならないものだが、切り替えるにはドライすぎやしないか?
 それでも26日の葬儀を観ていて、やっぱり前国王はタイ人にとって大切な人だったのだと感じた。時代は変わった。その表現方法が変わっただけで、ちゃんと心に残っているのだなと思った。喪に服す期間はやや延長され、10月29日まで。このとき、タイはすべてを一新して新たな一歩を踏み出すことになる。

ローソンにはこんな張り紙が
デパートや銀行、コンビニが終日あるいは半休となった26日。ローソンにはこんな張り紙があった。

  1. 2017/10/27(金) 11:35:58|
  2. タイ国王陛下
  3. | コメント:0

第21回「国王崩御から10日 バンコクの様子」

国王がいかに敬愛されていたかを改めて感じる

 今回はレスキューとは若干関係ない内容になるが、タイの歴史が大きく変わったときの話を書いておきたい。
 今月13日の夕方、プーミポンアドゥンヤデート国王陛下が崩御したという非公式の情報がタイ人の間を一斉に駆け巡った。数日前にかなり容態が悪いことがニュースになり、近隣の市民が入院されていたシリラート病院に駆けつけるなど、その時点でこれまでの国王陛下の容態のニュースとは物々しさが違っていた。そして、13日の夕方に公式発表の準備をする国家公務員から漏れたと思われるメールがSNSを中心に出回り、同日19時に政府からの公式発表があった。
 日本の皇室とは違って、タイでは王室というよりもプーミポンアドゥンヤデート国王自身に人気がある。そのため、タイ国内ではおおっぴらに国王崩御によりタイがどうなるかという議論はされていなかったものの、国内外で王位継承権者たちによる争いがあるのではないか、また混乱によって大不況になるのではないか、という予測が密かにあった。実際、数年前から内戦を恐れて国外に移住したタイ人もわずかながらにいたほどだ。
 ところが、継承権第1位の皇太子が喪に服したのちに即位することが崩御した夜には発表され、タイ政府も公務員は向こう1年間は喪に服すこと、一般市民に関しては喪に服すことを強制はせず、向こう1ヶ月間だけ派手なイベントをしないように呼びかけたに過ぎない。日本人にとってはまだそれほど古い記憶ではない昭和天皇崩御した数日間と比べて驚くほどに差があった。むしろタイの場合はもっと暗い雰囲気になり、店もすべて閉まってしまうなどがあるのではないかと多くが思っていた。しかし、翌14日においてもすべてがいつも通りだった。企業や飲食店、小売店なども休業したのはほんの一部のみで、バンコク中心はいつも通り渋滞が発生していたし、タクシーも走り、ピザの配達人が働いていた。物乞いも道に座っていたし、夜のバーもほとんどが静かにだが開いていた。

至って普通の日々が営まれている
国王が崩御しても、渋滞は発生するし、ピザの配達も行われている。至って普通の日々が営まれている。


 ただ、街中は黒い服を着たタイ人で溢れていた。喪に服すことを強制されてはいなかったが、敬愛する国王陛下の崩御で悲しみを表して黒、あるいは白い服を着ていた。正直、僕自身は「案外みんな黒い服を持っているものだな」と思った。黒い服は喪服というわけではなく、あくまで黒ければTシャツでもなんでもいいのだが、さすがにそれくらいは持っている人は少なくなかった。また、商魂たくましいというか、市場や繁華街の服飾店ではちゃっかり黒い服が売られてもいた。さすがに商売人で喪に服すために安くするというわけでもなく、買えない人のために街中には染色を安価で引き受ける業者もはびこっていて、古いシャツを黒に染めてくれている。
 14日は昼過ぎから市内を歩いて見た。いつも通りの風景だったが、高架電車のスカイトレイン車内のテレビや街中の大型のビジョンは広告放送を取り止めていた。ATMを始め、多くの企業のホームページも白黒になっていた。ウェブサイト上の色合いはすぐにいじれるにしても、商業施設などで白黒の大きな横断幕が飾られていたのには、穿った見方をすれば事前に用意していたのではないかと思ってしまう。噂レベルではあるが、政府もこのところ計画していたイベントはすべて2パターンあったという。急遽崩御された場合に備えていたとは言われている。
 崩御からおよそ丸1日が経過した14日の16時半ごろ、伊勢丹が入居するセントラル・ワールド前の大型ビジョンではシリラート病院から王宮へと出発する国王の棺の車列が映し出された。多くの人が足を止めて見上げる。映像内では沿道にたくさんの人が集まっていた。昼過ぎの時点でセンセーブ運河の旅客ボートは定員オーバー状態でフル稼動していて、王宮近辺まで行くことも困難を極めた。そのため、プラトゥーナームで断念して伊勢丹前のビジョンでその様子を視聴する人も多かった。あくまでもテレビから車列を見ているだけだったにも関わらず、周囲からはすすり泣く声が聞こえてきた。
 10月22日には王宮広場で30万人(報道によっては15万人だとか数十万人)以上が集まって国王賛歌を歌った。このとき、僕自身は仕事であるコンベンションセンターにイベント取材に行っていたのだが、同じ時間に会場でも国王賛歌の合唱となった。おそらく、30万人どころか、タイ全土で一斉に歌われたのではないだろうか。
 タイで暮らしていると生活の端々に国王への想いを感じ取ることができるが、このときもまたプーミポンアドゥンヤデート国王陛下がいかに慕われていたかを改めて体感した。

商業施設では黒い服の売れ行きが好調
商業施設では黒い服がヒット商品かのごとく並べられ、売れ行きも好調のようである。



それでもタイは平常運転中

 日本人在住者たちがフェイスブックなどに書き込みをしているのは「タイ旅行を中止すべきかどうか」の問い合わせが多いということだ。どうも日本の報道はタイが混乱しているだとか、経済活動が停滞しているといった内容が多いらしい。僕自身の母親から「物資が不足していて買い出しに行かないといけないんだって?」と言われた。
 まったくもってそんなことはない。タイはむしろ平常運転だ。変わったことといえば、黒服が増えたことと、派手はイベントがないこと、バーや居酒屋などが通常深夜2時閉店のところ0時に閉めてしまうことくらいだ。確かに喪に服した公務員がそれを理由に様々な手続きを遅延させて景気に影響が出る可能性はあるかもしれない。しかし、崩御から10日たった現在、なんら崩御に関連した混乱は起きていない。そして、体感的にも大きな出来事は起こらず、平穏に時間が過ぎていくような気がする。

すすり泣く声もあちらこちらから聞こえた
買いものに訪れた人々が足を止めて大型ビジョンを眺める。すすり泣く声もあちらこちらから聞こえた。


国王陛下のニュースを見上げる人
伊勢丹の前の大型ビジョンで放映される国王陛下のニュースを見上げる人。


 タイ人はいい意味でも悪い意味でも、2006年から続く現在の政情不安に疲弊し、慣れてしまったのだと思う。だから、この数十年で最も大きな出来事となってしまった国王崩御でも落ち着いた行動が取れたのではないか。
 タイはあまりにも平常過ぎて、犯罪も普通に発生している。昨日は報徳堂の報道担当者間で作成されているLINEのグループによれば拳銃自殺まであった。
 日本と比べればタイの治安は元々悪い。その点ではなんら変化はなく、だから国王の崩御でタイ旅行を中止するべきかという問いに関して、僕自身は不要だと答えたい。喪に服すべきで、あまり派手な行動は慎まなければならないけれど、特に旅行を中止するほどの混乱はない。
 ただ、カオサン通りに泊まりたい低予算旅行者はちょっと検討が必要かもしれない。今は国王の棺が王宮に納められており、最後のお別れをしようとタイ全土からタイ人が駆けつけている。そのため、周辺は大混乱になっており、旅行者として滞在はしづらいと思う。
 王宮や王宮広場周辺ではバイクタクシーなどが王宮へ来た人々のために無料運行をしていたり、食べものや水を配る個人的なボランティアも増えている。報徳堂もまた昼間は本部が炊き出しをしているし、夜間は全国からやって来たボランティアが交代で食事を配布している。
 タイでは災害や事件が発生すると自発的に私財を投入した個人ボランティアが現れる。仏教国らしい一面でもあるし、今回の件に関してはいかに国王が愛されていたのかがわかり、また、こういった事態だからこそタイ人はひとつにまとまりやすいという国民性を見ることができたと思う。もう少し落ち着いたら、僕も報徳堂の一員として王宮の炊き出しに参加しようと思っている。

国王陛下の棺が移送された
14日16時30分ごろ、国王陛下の棺が移送された。セントラル・ワールド館内では同時刻にその事実と、国王を讃えるアナウンスが放送された。


ボートで棺が王宮に移される場に向かう人々
14日、シリラート病院から国王の棺が王宮に移される場に立ち会おうと、センセーブ運河のボートで向かう人々。プラトゥーナーム乗り場でこの時間帯にこれほどの人が集まることは普段はない。


棺の移送を見つめる守衛たち
仕事の手を休め、ビジョンに映し出される国王の棺の移送を見つめる守衛たち。

  1. 2016/10/25(火) 14:00:32|
  2. タイ国王陛下
  3. | コメント:0

プロフィール

bangkokdayori

Author:bangkokdayori
●プロフィール
高田胤臣(たかだ たねおみ)
タイ在住ライター
報徳堂ボランティア隊ホアイクワン005

1977年東京生まれ
1998年初訪タイ。その後旅行で何度かタイを訪れ、2000年から1年間、ユニオン・ランゲージスクールに語学留学
2002年9月からバンコク在住
2004年11月から華僑報徳善堂にボランティア隊員として参加
2011年2月に彩図社より「バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー共著)、2012年8月に同社より「東南アジア 裏の歩き方」を出版
現在はバンコクに編集部がある月刊総合誌「Gダイアリー」に複数の連載やほぼ毎月特集記事を、ウェブサイト「日刊SPA!」やバンコクの無料誌「DACO」にて不定期で執筆中

http://nature-neneam.boo.jp/

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