バンコク便り

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第12回「タイの公共救急車 ナレントーン」

現場では公務員であるナレントーンの指示下に入る

 ある日、ラチャダー通りソイ3の中国大使館前で交通事故発生との通報で現場に駆けつけた。
 現場にはカップルが一組と、倒れている灰色のボーダーシャツの若者がいた。バイクに乗りノーヘルで走っていたところ、カップルの車と接触したらしい。カップルの方は酔っ払っている様子はない。負傷者の方は意識不明だった。
 ちょっと話題がずれるのだが、この負傷者はズボンが下がってしまい青いパンツが見えていた。この事故がそうだったのかはわからないが、激しい交通事故ではベルトをしていても衝突の力でズボンがすっぽりと脱げることがある。なので、穴の開いたパンツやゴムのゆるいものだと下半身露出するはめになったり、恥ずかしい目に遭うので気をつけたい。僕自身も何回かそういった場面に出くわしたので、パンツだけはちゃんとしたものにするように心がけている。
 さて、ラチャダーのこのエリアは、向かいにパブ街のソイ4があるので、夜中には酔っ払いが歩き周り、タクシーも停まるので大渋滞となる。このカップルの証言ではこの負傷者とは低速で側面が接触したということだ。幸い投げ出された場所が中央分離帯の芝の上だった。
 だが、我々ボランティアは訓練と実績を重ねているとはいえ医者ではない。自己判断は非常に危険だ。体がねじれた状態で倒れており、意識がいないのが酔っているのか衝撃でなのかが判別できない。首や脊椎を痛めていると、現場では問題がなくても搬送の仕方で神経を圧迫、半身不随にしてしまうこともある。
 この日は我々にそんな負傷者を運ぶための装備がなく搬送は難しかったが、どうしようかと思案する間もなく、一報を無線で聞いていたナレントーンの救急車が駆けつけた。これはタイ公共保健省の救急車で、装備も技術も優れているチームだ。すぐに隊員たちの指示の下、我々も補助に回る。背中を固定するベルトと首を固定するベルトを装着し、救急車に載せた。

ラチャダー・ソイ3前の現場。
ラチャダー・ソイ3前の現場。体を固定する器具を取りつけようとしている。

固定が終わり、搬送の準備を始める。
固定が終わり、搬送の準備を始める。


日本の病院前救護から派生したチームがナレントーン

 ナレントーンは1995年3月10日、戦勝記念塔にあるラーチャウィティー国立病院に本部が置かれた。当初はラーチャテーウィー、パヤタイ、ディンデン、ホワイクワン、ラートプラオ、バンガピの地区での限定活動だった。間違った応急処置や搬送方法が横行し、受傷後の扱いによる後遺症が多かったことを改善するために設立されたのだ。
 ナレントーン設立に先立つ1993年、公共保健省はコンケーン病院(コンケーン県)に交通事故センターを設立する。その際にJICAの支援でプレ・ホスピタルケア(病院前救護)の技術を得た。続く1994年、ワチラパヤバーン病院(バンコク)に救急車と育成された乗務員を配備。このチームはSMART (Surgico-Medical Ambulance and Rescue Team)と呼ばれ、活動地域は小さいが今でも存続している。
 そして、95年にナレントーンが地域限定で活動を始め、2001年4月2日からタイ全土に配備された。ここにきてやっと国のEMSが形を作ったということになる。
 100年前から報徳堂や義徳堂がタイEMSの役割を担ってきたが、民間団体の活動には限界があった。EMSは国が法の整備や活動の意義や意味を啓蒙し、国民の認知の元の協力が不可欠だ。本来ならば国のEMSネットワーク内に報徳堂や義徳堂があるべきだが、政府はそれを怠ってきた。現在も緊急走行中の車両に道を譲ったりする習慣も根付いてないし、ひどい者はその前に無理に割り込みをしたりする(2013年ごろからかなり改善はされているが)。

別の現場でもナレントーンが到着。
別の現場でもナレントーンが到着。ボランティアはナレントーン隊員の指示に従って行動する。

実践に沿った内容で講習を受けられる。
ナレントーンの訓練は実践に沿った内容で講習を受けられるので有意義である。


ナレントーンの訓練と聞いて行ったのだが……

 設立は遅いとはいえ、ナレントーンはタイで最新のEMS技術を持っているし、救急車の装備も最新だ。ときどき、そんなナレントーンがボランティアたちのために講習会を開催する。
 応急処置技術は常に更新されるので、受講は必須だ。と言いつつ、僕は2回しかまだ出たことがない。平日に2日とか3日は時間が取れない……。
 訓練内容は心臓マッサージ訓練、酸素ボンベの使い方、事故の負傷者の対処法、車の中に閉じ込められた者のシチュエーションなどで、短くても1日がかりで学ぶ。
 僕が参加した2回のうち1回はいまだになんだったんだと思うようなもので、コラート駐屯の陸軍体験入隊だった。その数ヶ月前から数回、弱小レスキューチーム同士が抗争事件を起こしていて、公共保健省がタイ中のボランティアを集めて「みんなで仲よくしようぜ」というところだったのだと思われる。
 僕自身はレスキューの訓練としか聞いていなかったので、最初の講習が爆弾解説だったときに「どうなっているんだ」と思い、本物のダイナマイトを爆破させたあたりでやっと自分が間違った集まりに来てしまったことに気がついた。その後、2泊3日に一切自由はなく、文字通り軍隊生活を送らせられた。朝の5時に匍匐前進、食事の時間は10分ももらえないし勝手に食べたりなどできない。昼間にはパラシュート訓練で高い塔から飛び降りさせられた。そして、深夜に山に連れていかれ洞窟を這って進み、夜中1時まで行進の練習。その時期は記録的な寒さにも関わらず、薄っぺらい脚しか覆えないような小さな毛布を渡され、屋根だけしかない板の間で寝かされた。実際寒くて眠ることができなかった。
 タイ人はみんな楽しそうだったのでナレントーンの意図は成功だったのかもしれないが、どう見てもナレントーンもレスキューも関係ない。というわけで、僕自身はナレントーンの訓練を実質、1回しか訓練を受けたことがないのが本当のところだ。

なぜか落下傘降下訓練までさせられた。
放り込まれた陸軍施設で、なぜか落下傘降下訓練までさせられた。

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  1. 2015/05/27(水) 11:02:52|
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プロフィール

bangkokdayori

Author:bangkokdayori
●プロフィール
高田胤臣(たかだ たねおみ)
タイ在住ライター
報徳堂ボランティア隊ホアイクワン005

1977年東京生まれ
1998年初訪タイ。その後旅行で何度かタイを訪れ、2000年から1年間、ユニオン・ランゲージスクールに語学留学
2002年9月からバンコク在住
2004年11月から華僑報徳善堂にボランティア隊員として参加
2011年2月に彩図社より「バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー共著)、2012年8月に同社より「東南アジア 裏の歩き方」を出版
現在はバンコクに編集部がある月刊総合誌「Gダイアリー」に複数の連載やほぼ毎月特集記事を、ウェブサイト「日刊SPA!」やバンコクの無料誌「DACO」にて不定期で執筆中

http://nature-neneam.boo.jp/

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