バンコク便り

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第19回「先輩の死」

死亡現場には慣れていても、仲間の死はなお重い

 本業の営業で、毎年僕は東京に滞在する。2016年度は5月中旬から長めに時間を取って27日間滞在した。あと3日でタイ帰国だという6月8日、同じチームに所属する先輩が突然亡くなった。ギアンさんで、確か46歳だったかと思う。仲間の死にショックは隠せなかった。僕が正式に入隊した2004年からずっと優しくしてくれた人だ。夫婦で参加していて、いつも仲よくしていた。
 僕はホワイクワン-スティサン・チームにおいて最初のころから「タナカタケシ」と呼ばれている。ある人はタケシと呼び、ある人はタナカと呼ぶ。タカダが言いにくいため、タナカになっているのかと思う。タケシも推測では当時タイの衛星放送「UBC」(現在は携帯電話キャリアのトゥルーの「TRUE VISION」になっている)で、昔の日本のテレビ番組「風雲たけし城」が放映されていたことから来ているのだろう。そんな中、このギアンさんと奥さんだけは僕のことをちゃんと「高田胤臣」と認識してくれていた。
 タイでは慈善活動がよく行われる。功徳を積むための行動であり、参加には社会的地位によって役割が決まっている。富裕層は金を出し、金がない層は身体を使って奉仕する。報徳堂のボランティアも金持ちは活動資金を出し、中流以下の層がボランティア隊員として活動する。本当の貧困層はさすがに参加する余裕はないので、中の下の層までがボランティアになる。
 こう言ってはいけないのだが、事実としてボランティアには頭のよろしくない人が少なくない。さすがに人助けをしようという者ばかりなので根はいいし、悪人はいない。ただ、残念ながら想像力に欠ける人がいるのも事実だ。というのは、例えば僕は外国人であり、タイ語を完璧に話せるわけではない。いわば中学生レベルのタイ語を話しているのかと思う。だからといって、僕自身の人間性が10代前半であるわけではない。当たり前なのだが、彼らの中にはタイ語レベルから判断して僕を見下している人がいる。
 しかし、ギアンさんは2004年11月に初めて会ったときから違っていた。僕のタイ語にも耳を傾け、疑問に思ったことを質問すると丁寧に教えてくれた。3年前にチーム内の人間関係の悪化が発端で所属人数が激減したときがあった。たまたまその時期は忙しくてあまり活動に参加していなかったので僕自身はまったく知らなかった。なにがあったのか訊いてもほかの人が言葉を濁す中、ギアンさんはちゃんと中立の立場で状況を説明してくれた。どちらかというと僕もそのタイミングでチームを抜けたいと考えたが、ギアンさんが残るので僕も残ることにしたくらいだった。
 そんなギアンさんとはタイミングが合わずにしばらく会えずにいた。それが結果的にこんなことになるなんて。もっと話したいことはいっぱいあった。本当に残念で仕方がない。

チームでサラブリに遊びに行ったときの写真。
7年前にチームでサラブリに遊びに行ったときの写真。中央辺りのシャツを着て立っているのがギアンさんで、左端が奥さん。

献体を寺に運んだときの様子。
今年の、献体を寺に運んだときの様子。まさか1ヶ月もしないうちに仲間を運んで戻ってくるとは誰も思っていなかったろう。



死んでもなおギアンさんらしい最期だった

 ギアンさんの死因はタイ語では「ポート・ティッチュア」という。肺感染症のことだが、日本語で調べても要領を得ない。そこでちゃんと仲間に聞いてみたのだが、ますます首をひねるばかりであった。
 というのは、ギアンさんは持病があり、それに伴って最近は少し体調が悪かったらしい。それにも関わらず、彼は趣味になっていたスキューバダイビングに出かけた。
 報徳堂本部のレスキュー部門の隊員は必ずスキューバダイビングの講習を受ける。バンコクには運河が多く、都内での水難事故もあるし、郊外でもそういった事件事故は頻発するためだ。それが去年、一昨年くらいからボランティア隊員も自前で講習を受け始めた。これはタイの景気がよく、金銭的に余裕ができたからというのもある。しかし、タイではほとんどの学校にプールがないので、30代以上だと泳げない人は少なくない。また、スキューバダイビングも最近になってタイ人が嗜むようになったので、日本のように専門用語がタイ語化されていない。そうなると教科書を読むに当たっても単語ひとつひとつの解説から入らなければならず、日本人インストラクターに聞いたところでは「授業時間は日本人の3倍から5倍はかかる」というほど。そのため、ギアンさんらもかなり前から講習をやっているが、いまだに練習といった域の様子であった。僕自身は日本で潜水士の免許を取っており、もう20年くらい潜っていないが、知識は多少あるのでその講習には参加していない。
 ギアンさんは6月5日前後にも潜りに出かけている。このときにタンク、もしくはレギュレーター(空気を吸うために口に咥える装置)からなにかの菌が肺に入り込み、わずか3日で亡くなってしまったという。レギュレーターから肺感染症になるというのは稀ではあるがあるらしい。僕はそうギアンさんの死因の説明を受けた。
 ギアンさんは亡くなってもなおボランティア精神に溢れていた。亡骸はチュラロンコーン大学の医学部に献体され、早朝に亡くなり、夕方には医学部に運ばれた。そして、来年に解剖実習が終わったら残った骨を解剖学の研究に使ってもらうようにという遺言もあった。タイの一般的な献体では、実習が毎年4月か5月に終わり、家族の元に返される(実際は家族の元で葬儀が行われ、荼毘に付される)。しかし、ギアンさんの場合はすべてが医学に利用され、家族の元に身体は帰ってこない。
 ギアンさんの奥さんも報徳堂のボランティアなので、その精神に納得されているようであった。幸い、ふたりの間に生まれた息子と娘は成人している。奥さんも悲しみこそあれ、この先の生活で苦労することはなさそうでよかった。
 大好きな先輩が亡くなって僕もショックは大きい。しかし、亡くなってもなお医学に貢献しようという気持ちは素晴らしいし、やっぱりギアンさんはギアンさんだったと思う。報徳堂の隊員としても初めての献体希望者だったらしく、テレビでも大きく扱われたという。
 
墓の清掃に参加したとき。
ラーチャブリー県の墓の清掃に参加したとき。白いはちまきをしているのが僕で、左の迷彩帽子を被っているのがギアンさん。

病院にけが人を運んできたときの様子。
国立病院にけが人を運んできたときの様子。夫婦でいつも仲よく参加していた。
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  1. 2016/07/11(月) 04:35:12|
  2. 報徳堂
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プロフィール

bangkokdayori

Author:bangkokdayori
●プロフィール
高田胤臣(たかだ たねおみ)
タイ在住ライター
報徳堂ボランティア隊ホアイクワン005

1977年東京生まれ
1998年初訪タイ。その後旅行で何度かタイを訪れ、2000年から1年間、ユニオン・ランゲージスクールに語学留学
2002年9月からバンコク在住
2004年11月から華僑報徳善堂にボランティア隊員として参加
2011年2月に彩図社より「バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー共著)、2012年8月に同社より「東南アジア 裏の歩き方」を出版
現在はバンコクに編集部がある月刊総合誌「Gダイアリー」に複数の連載やほぼ毎月特集記事を、ウェブサイト「日刊SPA!」やバンコクの無料誌「DACO」にて不定期で執筆中

http://nature-neneam.boo.jp/

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