バンコク便り

第26回「タイの歴史が今度こそ大きく変わる? タイ前国王の葬儀」

報徳堂のボランティアも参加している前国王の葬儀

 2017年10月26日にタイのプーミポンアドゥンヤデート前国王の葬儀が執り行なわれた。タイでは朝からどのチャンネルでも同じ映像とアナウンスが放映され、ほとんどの国民が観ていたのではないかと思う。
 報徳堂の正隊員やボランティアもたくさん参加したようだ。僕自身は行っていないが、報道部門のグループラインでは活動の様子が報告されていた。テレビ放映では一切なかったが、炎天下だったので一般市民の参列者の中には倒れてしまう人も少なくなくて、報徳堂や義徳堂のボランティアたちが大活躍したようだ。
 タイはこれまでの傾向では10月末までが雨期で、11月に入ると乾期になる。朝起きると肌で「あ、乾期に入った!」とわかるほど空気が変わる。10年くらい前は乾期に入ったら雨が降ることなんてまずなかった。最近は季節の変わり目がわかりにくくなったし、乾期の間もよく雨が降る。ただ、空気感は相変わらずで、今年は先週、乾期に入った空気を感じていた。
 そんなこともあってか、国王の葬儀は朝から青空で、誤解を恐れずに言うならば、葬儀の隊列がより美しく見える天候に恵まれていた。先々週、バンコクは歴史的豪雨に見舞われた(ちょうど僕自身はバンコクにおらずタイ南部にいたため体験していない)のがまるでウソのような天候だ。これも前国王の神秘的な力なのではないかというほど、いい日になった。

火葬場の模型
国立博物館にあった王宮前広場に特設された火葬場の模型。歴代国王の中では最も大きな火葬場になるのだと聞いたことがある。

一般市民の参列客は喪服を着ている
一般市民の参列客は喪服を着ている。スマートフォンを弄るあたりにやっぱり時代の変化を感じる。(テレビ放映のキャプチャー)


すべてが荘厳な出棺の儀式

 子どももいるし、喪服を持っていないから現実的に現地には行けないので、前国王の棺を火葬場に移動させる隊列はテレビで観ていた。これもまた誤解される言い方かもしれないが、素晴らしいほど荘厳な隊列だった。
 まず、タイらしく色合いが鮮やかというのがある。一部は民族衣装を着るのだが、それが赤などの派手目な色合いになっている。これをタイ族らしい焦げ茶色の肌の若者たちが
身にまとい、一糸乱れぬ動きで前国王の棺を乗せた山車を牽いていく。最近のタイ人は男でも色白が多くなったのだが、どうしてこんなにも茶色いのかというほど、いい肌の色をしているタイ人男性が揃っていた。
 それから、ワチラロンコーン国王を始めとした隊列は英国の近衛兵のような赤い軍服と、黒い髪の毛のような、あの長い帽子をかぶる。タイは英国の影響を強く受けているので、そういった端々にイギリス感がある気がするが、この近衛兵は最たるものだ。この隊列の動きもまた美しい。
 それからなによりも使用されている道具。棺の山車、僧侶を乗せた神輿、隊列の傘。どれをとってもタイの歴史を彩る芸術品だ。一段落したらこういった道具は博物館に飾られることになるだろうし、歴史の変わる大切な日であり、国王の葬儀ということで最高級品を使うのは当たり前でしょう。そういったものに興味のない僕でさえ感心するほどのもので、所作から道具からすべてが最高レベルといった水準であり、何時間でも見入ってしまうものだった。国王崩御から1年後に葬儀というのが当時「なぜ?」と思ったが、あのレベルの葬儀なら1年で用意できたことがすごい。普段あれだけいい加減なタイ人もやればできるのだなと感心するほどだった。

出棺の隊列
出棺の隊列。所作から道具からすべてが一流で、何時間でも観ていられた。(テレビ放映のキャプチャー)

特設ステージでのコンサート
火葬は26日22時に始まった(とされる。テレビ放映はない)。その後は特設ステージで古典舞踊ショーやコンサートが開催され、タイらしい明るさもあった(それはテレビ放映があった)。(テレビ放映のキャプチャー)


正直、どうなってしまうのか心配だった

 プーミポンアドゥンヤデート前国王が崩御したのは2016年10月13日。26日の葬儀は厳密には1周忌ではない。ただ、今月13日には儀式があり、タイは一応休日となっていた。
 我々日本人にとって、特に昭和50年代前半以前に生まれた人は昭和天皇の崩御の日を今でも思い出せるのではないだろうか。タイ在住日本人の多くもあの日とタイ前国王崩御の日を重ねたのではないか。僕自身は小学校5年生だったのではっきりとした記憶ではないが、とにかくテレビは葬儀一色であり、飲食店なども休みになっていたところが多く、正直、つまらなかったような気がする。
 タイの場合、特にプーミポンアドゥンヤデート前国王の人気は絶大だったので、それこそすべてが停止するほど国民は悲観するのかと思った。ところが、翌日になってみれば宅配ピザはやっているし、どこの飲食店も開いていたし、アルコール販売も普通にあった。
 そして、国王崩御からジャスト1年の13日。今年はちょうど金曜日だったこともあって、3連休になった会社も多かったようだ。とはいっても、いつもの嬉しい3連休ではなく、あくまでも国王を失った悲しみの日になるのではないかと僕は思っていた。しかし、それなりの人数のタイ人がいつもの連休と同じように郊外や海外に旅行に出かけていた。当日、僕は南部にいて飲食店の取材をしていたのだが、店内のテレビで流されていた儀式を観ていたのは僕だけで、ほかのタイ人は楽しいおしゃべりに興じていた。
 確かに昭和が終わったときとは時代が違う。タイ政府も一般企業には節度は求めるものの喪に服すことを強要はしなかった。だからといって、あれだけ尊敬し慕っていた前国王の命日にそれか? と思ったものだ。人間、生きて行くにはいつも前を見ていなければならないものだが、切り替えるにはドライすぎやしないか?
 それでも26日の葬儀を観ていて、やっぱり前国王はタイ人にとって大切な人だったのだと感じた。時代は変わった。その表現方法が変わっただけで、ちゃんと心に残っているのだなと思った。喪に服す期間はやや延長され、10月29日まで。このとき、タイはすべてを一新して新たな一歩を踏み出すことになる。

ローソンにはこんな張り紙が
デパートや銀行、コンビニが終日あるいは半休となった26日。ローソンにはこんな張り紙があった。

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  1. 2017/10/27(金) 11:35:58|
  2. タイ国王陛下
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プロフィール

bangkokdayori

Author:bangkokdayori
●プロフィール
高田胤臣(たかだ たねおみ)
タイ在住ライター
報徳堂ボランティア隊ホアイクワン005

1977年東京生まれ
1998年初訪タイ。その後旅行で何度かタイを訪れ、2000年から1年間、ユニオン・ランゲージスクールに語学留学
2002年9月からバンコク在住
2004年11月から華僑報徳善堂にボランティア隊員として参加
2011年2月に彩図社より「バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー共著)、2012年8月に同社より「東南アジア 裏の歩き方」を出版
現在はバンコクに編集部がある月刊総合誌「Gダイアリー」に複数の連載やほぼ毎月特集記事を、ウェブサイト「日刊SPA!」やバンコクの無料誌「DACO」にて不定期で執筆中

http://nature-neneam.boo.jp/

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